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育てたんじゃない。

指導者をしている人間同士で話していると、「子どもを育てた。」と自慢げに話す人がいます。
「いやいや、育てたんじゃなくて育ったんだよ。」と声を大にして言いたいです。

当然のことですが、僕ら指導者は試験を受けることもできなければ、試合に出場することもできません。だから、子どもたちは勉強や練習をします。目的地、つまり、勉強では合格、試合では勝利などを目指して進みます。もちろん指導者も同じように目的地まで一緒に進みますが、その目的地は子どもにとっての目的地であり、「子どもたちが目的地にたどり着くことが指導者の目的地」と間接的な目的地にはなっても、指導者にとって直接的な目的地にはなりません。

指導者は目的地までの道のりを走る子どもを上空から見るようなイメージで上から見たり、前から見たり、後ろから見たり、その場に応じて様々な位置から見て声かけをしたりしなかったり、また、その子に合った道を教えることが仕事です。真っ直ぐな道を走る子が好きな子もいれば、坂道の多い道を走る子が好きな子だっています。どれだけ楽な道を紹介したところで、人間には感情がつきもの。子どもが走りたくなる道を案内した方がいい。
ここでもしつこく言いますが、子ども自身が目的地へと進みます。指導者が目的地まで子どもを運ぶわけではありません。

このように考えると、「子どもを育てた。」と発言することはありません。また、「子どもを育てた。」の発言には「主役は指導者」の意味も加わっていて違和感しかありません。いつでも主役は子どもです。

子どもは育つ。僕の役割は、どのようにして育つ環境を用意するか。
いつでも主役は子ども。改めて意識しようと思います。

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#夢  #教育 #指導  #コーチング

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