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簡単、難しい

僕らは日常的に、そして無意識に『簡単』や『難しい』という言葉を使います。この言葉はめちゃくちゃ曖昧で、その基準は、『人それぞれ』としか言いようがありません。

でも、僕の感覚と子どもの感覚がズレていたら、子どもを傷付けてしまう恐れがあります。安易に「この問題は簡単だね!」と子どもに言っても、その子どもからすると、とても難しい問題だと感じていた場合には落ち込んでしまうかもしれません

「先生が簡単だと言っている問題を僕は解けない。僕は勉強できないんだなぁ…。」

こんなことを思ってしまうかもしれません。一度、自分のことを『勉強ができない人間』と思い込めば、そこからはなかなか抜け出せません。だからといって、すべての問題を難しいと言うわけにもいきません。

簡単と難しいの基準はシンプルで、大きな枠で言うと、『自分ができる/できない』だと思っています。しかし、『簡単』に関しては少し話が変わってきます。自分が苦労してできるようになったことは『簡単』とは言わずに『難しい』と言うこともあります。

残念なくらいに勉強ができなかった中1の僕は英語の三単現すらわかりませんでした。当時の僕は「難しい!難しい!」と叫んでいたわけですが、今の僕はそうは思いません。「なぜ、あんなことがわからなかったんだろう。」とすら思います。こんな経験は誰もが経験したことがあるのではないかと思います。

しかし、人は忘れる。

自分ができなかったことを人は忘れてしまいます。小さい頃は箸を上手に持つことはできなかったことを人は覚えていません。だから、言ってしまいます。「なんでできないの!」と。


ずっと野球を頑張ってきた人は、野球に対する『簡単/難しい』の境界線が周りの人よりも少し違うところにあると思います。しかし、そんな人もピアノやギターになると話は変わります。いわゆる初心者向けと言われるような曲でも、弾ける人に対しては「すげえ!」という感想を抱く可能性が高いです。もちろん、逆も然りです。

指導者は、専門的な人が担うことが多いです。しかし、そこに大きな落とし穴があります。『簡単/難しい』の基準です。自分もできなかったことがあることを忘れて、「なんでできないの!」と言う人は少なくないです。どれだけ意識しても、『自分は、できる』というフィルターを通して見てしまう部分はあるのだと思います。

子どもたちの成長はめちゃくちゃ嬉しいし、僕もここはとても意識しているのですが、素直なリアクションができてるかどうか、そこには少し自信が無かったりします。

だからこそ、無知が輝く。

『無知』と言うと、語弊があるかもしれませんが、一切悪意がないことをご了承願います。

専門知識のある人、または専門知識のある人を装っている人が指導をしていますが、前者には悪意はないかもしれないけど、自分ができてしまう分、子どもが何かをできるようになっても、それを当然だと捉えてしまうこともあります。(後者は悪意の塊だと思っています。)

しかし、専門知識のない人は違います。ほんの少しの成長でもめちゃくちゃ素直に「すげー!」と喜ぶことができます。この素直なリアクションは専門知識のない人だからこそできることで、そんな人との時間も必要だなぁと感じるこの頃でした。

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#前田敦子  #夢 #教育 #指導  #コーチング

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