見出し画像

億り人でも退職しない国民性。

ゴールはFIREにあらず。

 先日、日経新聞の記事で3編に分けて億り人に関する調査結果が記事になっていたが、そこで感じたのは、億単位の金融資産を保有していても、経済的に独立できていないと回答する人が4割を超えており、仮に経済的に独立していても、4割以上は何かしらの理由で仕事を続けており、大衆が富裕層と聞いてイメージするような、専業投資家として定職に就かず悠々自適に暮らしているような人は1割程度と少数派であった。

 生活に不安がないからこそ、稼ぎを気にせず楽な仕事や、好きな仕事に就いたり、これから直面するであろう不況に備え、元々の仕事を続けているなど、労働が美徳とされているプロテスタント的思想が根強いのは、何とも日本の国民性が表出していて興味深い。

 これらは、国民の義務である教育システムが、サラリーマンを量産するために設計されたものだと考えれば辻褄が合う。擬似的に与えられた社会環境で人間関係を構築しながら、立場が上の人から教わった内容を覚え、それを正確に再現できるかどうかを数値化して成績を付ける。

 これを最低でも9年間、高等学校を含めると12年間、大学まで考えると16年前後の長期に渡り、社会に順応する人格を形成するように誘導されていて、仮に人と違う考え方をする個性的な人は、子供の頃から同調圧力社会に晒されることで、社会に出る頃には矯正されるか、潰れされて一般社会の枠組みからは外れた生き方を強いられるのが現状である。

 こうして、大多数が何かしら社会的なつながりを持つことが、幸せな人生を送るための必要条件だと思い込んで社会に出るため、仮に億単位の資産を築き上げても、リタイアしない億り人が多数派となり、私のように、労働は罰だと思って1日でも早期に退職したい派の肩身が狭いのは世の常である。

資産がいくらあればリタイアするのか。

 それ以上に、億単位の金融資産を保有しているにも関わらず、経済的独立に至っていないと考える人が4割居ることに驚きを隠せなかった。億り人の方々は一体資産がいくらになればリタイアするのだろうかと、何だか違う生き物を見ている気分になると同時に、人間はそれくらい変化を嫌う生き物であることを痛感する。

 仮に1億円を年率4%で運用したら、税引前で毎年400万円の金融資産所得となる計算で、仮に2割の税金を納めたとしても手残りは320万円と、労働集約型の新卒会社員と同程度かそれ以上の生活レベルが、金融資産所得だけで賄えるのにも関わらず、なぜ4割の方が元々の仕事を続けているのか、私からすれば不思議で仕方がない。

 仮に仕事に何ら不満がないのであれば、宵越しの銭は持たない収支均衡家計が最も幸福度が高くなるはずである。それにも関わらず、収入より遥かに低い支出で暮らし、億単位の資産を築いているのだから、仮想通貨で一発当てたとかでもない限り、何かしらの目的があって将来のために、今の楽しみを先送りしてでもお金を保存した累積であることは間違いない。

 これは人類史において、日本人はビビリで各大陸を逃げ回った末に島国である日本に行き着いた、キングオブビビりの末裔であることが、遺伝子レベルで分析されているため、過度に不安を抱きやすい側面から、自ら給与所得という収入源を絶ってまで、何かに挑戦しようと思わない傾向が強いのかも知れない。

 とはいえ私は理論上、生活費用よりも金融資産所得が上回る計算となったのを機に、多少リスキーかも知れないが、早期退職に踏み切ろうと思ったのは、20代ながら大病を患い、人生の終わりを否応にも意識させられたことが影響している。

 お金を追い求めることに終わりがないが、時間や体力には終わりがある。折角生きるための労働から解放できるカードを持っているのに、それを使わずに最期を迎えたら、これまで何のために質素倹約に生活して、何のために資産運用で堅実に増やしていたのか分からなくなってしまう。

 あの世にお金は持っていけない。お金は使うためにあって、今、20代単身者の上位0.8%に相当する金融資産を有しているのは、裏を返すと、過去の自分がお金を払って経験できる何かを先送りした結果なのである。だから、これから人生は自分勝手に生きるために使うと入院中に決意したのである。

 たとえ保有資産が投資家界隈で少額な部類だとしても、収支が均衡しているのだから、早期リタイアに踏み切る理由としてはそれだけで十分である。

リスクを取らないことが最大のリスク。

 この言葉は似たようなニュアンスで様々な著名人が発しているため、もはや意識高い系の常套句でウザがられる側面もあるかも知れない。

 しかし、昨今の円安で預金一辺倒だった大多数の国民は、コストプッシュ型のインフレに防戦一方で、インフレ耐性のある有価証券や、外貨建て資産にリスクを取って投じていた人は、そこそこ資産を膨らませていることからも、これからの社会は、許容できるリスクは受け入れた方が強く生きられる気がしてならない。

 年功序列、終身雇用、企業別組合の日本的雇用制度も、年金財政も、社会保険制度も機能不全を起こしているのは明白で、サラリーマンとして生きる道がジリ貧一直線なのは想像に難くない。

 だからこそ、会社組織に縛られない生き方を、自分の得意分野で作戦立てて、修正が効く若いうちに実戦して試行錯誤する行為は、想定されるリスクに見合うだけのリターンが得られる可能性が高いと考えている。

 独立、起業、投資家、個人事業、何だって良い。会社員という枠組みから外れるリスクを取った結果、仮に失敗して会社員には戻れず、非正規雇用で食い繋いだとしても、生涯賃金が2億円から1億円になる程度の話で、独り身ならそれを受け入れられるだろうし、非正規での就労すら厳しい状況なら生活保護というセーフティーネットが用意されているから、今のところ日本で餓死することはない。

 生活保護を受けるには住所が必要であることを頭の片隅に入れておけば、家賃を滞納しそうな段階で役場の相談窓口に駆け込めば、住所不定にならずに済むし、仮に住所不定無職の無限ループに陥ったところまで想定して、どこで野宿すると雨風が凌げるのか、居住する地域ではどれ位の頻度で、どの場所で炊き出しが行われているのかなど、ホームレスの生活実体を知れば、仮に路頭に迷っても絶望せずに済む。

 これはあくまでも最悪の想定であり、個人的には許容できるリスクである。専業投資家と言っても信用取引でレバレッジを掛ける訳ではなく現物取引だから、最悪無一文になることはあっても、借金を背負って退場することはない。リスクは限定的で、リターンは資産が時間経過と共に指数関数的に増加する可能性があるのだから、夢のある世界で挑戦しないで生涯を終えるには勿体ない。だから私は、億り人より遥かに少ない資産で早期退職に踏み切るのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?