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鉄道免許の年齢引き下げでは、人材確保に繋がらない。


重責、シフト勤務、低賃金の三重苦が根本原因。

 成人年齢引き下げの余波だろうか。ここに来て地方で人手不足が顕著な、鉄道免許もとい動力車操縦者(動免)の年齢が引き下げられる見通しという、元業界人で、動免持ちの人間にはヤブからスティックなニュースが目についた。

 2005年に尼崎で痛ましい事故が発生した際、幼いながらどの報道番組も、あのショッキングな空撮映像が流していた記憶があるが、当時、事故で亡くなられた23歳の運転士に対して「若過ぎるのではないか?」という風潮があり、新聞記事にもある「情緒が安定した者の運転が保安上必要」との考え方が今よりも根強かった。

 それ以降、乗務員になるためには経年を積まなければならない世論を建前に、長期間安くこき使いたい本音を隠した悪徳な電鉄会社が蔓延り、駅業務を子会社化する流れが加速した。

 結果として国交相のパブリックコメントで、13連勤手取り14万電鉄と揶揄されるような、劣悪な待遇が温存された成れの果てが、地方で成り手が居なくなり、減便する他なくなった現状に繋がっている訳で、業界に見切りをつけた身としては自業自得としか言いようがない。

 まず第一に、人命を預かる重責さ。次点にシフト勤務。そして低賃金と、責任を負わず、そこそこの賃金で、ワークライフバランスを整えたい今時の若年層には、何ひとつ魅力のない職業だろう。

 公共交通機関という性質上、人命を預かる重責さは、無人運転で乗務員が不要になるその日までは回避しようがないのだから、いかに少ない人員をこき使うか的な観点で、こなして当たり前になっているシフト勤務を、もっと柔軟に運用してワークライフバランスを確保する。

 もしくは航空機パイロットのように、重責に見合うだけの高水準な賃金を出す。欲張るなら、その両方に取り組まなければ、人手不足の根本的な原因は解決しないだろう。

就活生に選ばれる努力を。既に品定めする立場にない。

 古い人ほど鉄道乗務員と聞くと、花形職場な印象を持ちがちだが今は昔の話。人口減少時代とICT化の波から、マクロ的には斜陽産業以外の何者でもない。

 どう考えても現状維持で、うまいこと逃げきれないであろう10代〜30代の立場からすれば、目まぐるしく変化する社会の中で、昭和99年を地で行くような、古き良き労働環境から良い部分だけが消えて行き、ただ古臭いだけの根性論が蔓延る、時代に取り残された職場で、それが良くなる希望が全くないのは、心理的に辛いものがある。

 私が就職する頃はスマホやSNS黎明期で、実際に内部関係者になってみて初めて知る情報が大部分を占めていたが、スマホネイティブ世代にはそれらが概ね可視化されていることから、わざわざ新卒カードを切ってまで、13連勤手取り14万電鉄みたいな企業を選ぶ価値が見出せないのは自明の理だろう。

 鉄道業界はいい加減、受験者を品定めできる業界・立場ではなくなった事実を受け止めるべきであるが、採用の権限がある人事担当は、年長者の傾向が強く、先述の通り古い人ほど花形職場だから、現代版奴隷労働みたいな待遇でも、成り手が集まるだろうとお花畑な考えで選り好みする。

 結果として満足な人員が確保できず、現場は人員不足から残業まみれで疲弊していき、若手ほど見切りを付けたり、潰れる形で業界から去る者が続出する、負のスパイラルの渦中に居るのが現状だろう。

 少子化で若手のパイが減っている構造上、大企業では新卒を取り合う程度に、需要よりも供給が少ない売り手市場なのだから、これまでと違い、企業側が就活生に選ばれる努力をしなければ、人材確保に窮することになる。

若き潜在運転士が全てを物語っている。

 「既に免許は持っていますが、地方鉄道では食えないので上京しました。」私が駅員時代に中途採用された年上の後輩がそんなことを言っていたのを思い出す。

 悪く言えば、業界内で免許の持ち逃げと揶揄される事象である。大手の電鉄会社では、運転免許を取得するための、養成所に入所するまでが狭き門で、熾烈な社内試験による競争を勝ち抜かなければ、運転士のスタート地点にすら立てない。

 しかし、人手不足な地方鉄道では、誰でも良いからベテラン勢が定年する前に補充したい思惑から、二十歳そこらで取得できてしまうことが往々にしてあり、それを武器に即戦力として待遇の良い大手に転職する、地理的アービトラージを実行する地方出身者はそこそこ居る。

 とはいえ、いくら法的には入社して直ぐの運転が問題なくても、乗務員採用ではなかったため、社内規程で駅係員からやり直しとなる、免許の持ち腐れ状態となっていた。

 彼の場合は、いつか再び免許を活用する日が来る可能性があるものの、私のように免許を取得後に業界に見切りをつけて、いくら人手不足の地方で引く手数多だとしても、現状の劣悪な待遇なら二度と運転するものか。と考えている若年層は一定数いると思われる。

 教員や保育士然り、免許を持っているのに、食えない仕事故にそれを活かしていない潜在〇〇を掘り起こすための待遇改善の方が、免許取得条件を緩和するよりも根本的なアプローチで効果的な筈だが、あくまでも雇用主は安くこき使うのが前提であるため、それをやらない。

 かつて在籍していた乗務職場では、新幹線の運転資格があるにも関わらず、それを活かさず在来線用の免許を取り直している人もいた。これこそ宝の持ち腐れであり、人的資源の無駄遣い感が拭えなかったが、潜在的に運転できる人間が、その仕事を選ばない状況が全てを物語っている。

 そんな鉄道運転士の待遇を改善しないまま、社会に出たばかりで右も左も分からない高卒の新人に、人命を預かる重責な職務を半ば押し付けられる枠組みに変えるのは、元業界人として場当たり的かつ無責任な暴論だと感じてしまい、残念でならない。

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