見出し画像

友達100人は出来ない曲者でも、100人の支持者が集まる時代。


ちょっとした珍事。

 タイトルの通りだが、執筆時点でプロフに記載している、株で飢えを凌ぐしょうもないZ世代以上でも以下でもない私が、思っていることや、考えていることをそのまま垂れ流すだけの、当noteアカウントのフォロワーがいつの間にか100人になっていた。

 株で飢えを凌ぐとか記しておきながら、個別具体的な資産総額や売買履歴を公開することなく、ただただ抽象的な哲学っぽい何かを垂れ流すだけの、文字通りのしょうもない奴が創るの記事を、形はどうあれ読んでやっても良いと、フォローして頂いている方々に、形だけでもありがとうございます的な記事を作成しようと、実に安直かつ打算的な魂胆で記している。現場からは以上です。

 せっかくだから、フォロー解除して3桁の牙城を崩してやろう的な、邪な発想をした方とは、酒でも飲みながらワケガワカラナイ意気投合をして、お友達になる自信がある。

 という〇〇な奴は大体友達ジョークはさておき、現実社会ではクセが強く、友達を作る観点ではどう考えても不向きであろう、名もなき変わり者陰キャを支持する方が、現実社会で交流している人数よりも明らかに多い現象は、ネット社会ならではのちょっとした珍事だ。

 そんな天邪鬼気質な私だが、「ネット弁慶」の言葉が言い得て妙であるように、実生活では小心者な側面が強く、それが功を奏してリスク資産で、いかにリスクを排除するかを基本姿勢とし、人間の欲に塗れた投資の世界で、これまで爆死することなく相場に残り続けている節はある。

 とはいえ、あくまでも当アカウントから想像し得る人物像と比べたら、実像が小心者に映るだろう(※効果には個人差があります)と私個人が勝手に想像している域を出ない。

 実際、損得勘定でこの場は強気に出た方が得だと判断した場合、激おこプンプン丸レベルで迫真の演技をしては、ゴネ得にこじ付ける素養がある意味で、言いたいことが言えずにストレスを溜め込む、元来の意味合いである小心者とは全く違う生き物なのは間違いない。

 あくまでも、当記事で合法的なライフハックを、さも自信ありげに記しているように見せておきながら、裏でこの手法は本当に少なくとも黒ではないのか。落とし穴はないのか的な観点で、実は念には念を入れた下調べをした上で、小賢しい手法を実践する抜かりなさを、小心者と言い換えたに過ぎない。と表現した方が適切かもしれない。

盛る位なら、等身大で埋没した方がマシ。

 そんな私だが、そもそも一般社会のヒエラルキーで上位に位置する存在なら、大企業でそれなりのポジションに就いて、レールの上の人生を送った方が、謎の抵抗勢力と衝突しない意味で、無難だと考えるだろう。それが多数派なのが日本社会である。

 いくら国民負担率が高い国とはいえ、わざわざ早期退職してまでフリーライダーになろうとは、旧帝大とか難関私大を出た学歴エリートの方々ほど、真っ当な職に就くが故に選択肢から除外される意味で、多数派に逆らいながら、一歩間違えたら無敵の人コースかも知れない、低空飛行を続けるスタイルは、ある種の泥臭さすらある。

 無論、そんな泥臭いコンテンツなど、アルゴリズムにより、煌びやかな部分だけが切り取られる、画面上の世界では埋没するのがオチである。

 一方で、人間社会のヒエラルキーで上位に位置しているを思い込みたい、一部の人たちが事実を盛ることで成立している側面がある、画面上の煌びやかな世界について行けずに嫌気がさしている人が居るのも、また事実だろう。

 私は旧帝大とか難関私大を出た学歴エリートの方々と、同じ領域で闘ったところで、勝ち目などない身の程を弁えているからこそ、SNSの類を単なる戯言アウトプットツールに留め、自己顕示欲や承認欲求を満たす道具として使わず、埋没していく道を選んでいる。

 そもそも、日本社会で美徳とされている、優等生を演じて他者からの期待に応えるような生き方そのものが、損な役回りであると認識していれば、画面の世界で自分を盛って発信する不毛さに気付く。

 もし、写真映えを気にして一生懸命に撮っては、加工して盛ったところで、それを誰にも見せられないとしたら、他者から何のフィードバックも得られないとしたら、あなたはその場所に行くだろうか。その食べ物を頼むだろうか。

 この質問にハッとした方は、自分の時間やお金、労力を何のために使っているのか。突き詰めれば、誰のために生きているのか、一旦立ち止まって考え直す余地がある。少なくとも、それに気付かずドーパミン中毒になっている状態は、プラットフォーマーの思うツボだろう。

 見栄とかプライドにより、実像よりも遥かに背伸びをした結果、いつか虚像を暴かれては、自滅する末路を迎えるくらいなら、外野がとやかく言おうが、自分が良いと思える状態で、好き勝手すれば良いわけで、それが優等生=損な役回りの考え方に帰結する。

 むしろ、緩くて時にしょうもないポンコツ具合を晒すような、等身大のまま埋没して、誰から期待されずに生きた方が、失うものがないどころか、稀に良いことをした時にゲインロス効果が得られる分、却って得なのではないかと考えると同時に、そんな緩くてしょうもない奴にフォロワーが付くような社会が、どれほど生きづらいものか、想像するだけで来るものがある。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?