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レール上の人生だとオフロードは走れない。

鉄道が衰退する中、レール上の人生を選ぶ?

 人口減少、異常気象続きで、ただでさえ経営が苦しかった鉄道業界、特に地方部ともなると、コロナ禍によって、そもそも移動する必要性が見直されたことから、窮地に追い込まれている。

 日本は鉄道大国とも言われている位、鉄道が身近な存在となっている。その影響もあってか、予定調和なサラリーマン人生を、レールの上の人生と言った具合に表現することがある。

 別に私が元鉄道員だからではなく、カイジの利根川も「レールの上を行く男たちの人生––––」のセリフがあることから、バイアス抜きに一般的な比喩表現のように思う。

 教養として鉄道のメリットは大量輸送だが、大量輸送の必要がない位、人が都市部に一極集中した結果、空洞化した地方から、廃線やバス転換の危機に瀕したり、現実化している。そんな状況である。

 旅客輸送では世界的にノウハウのアドバンテージを有しており、輸送量は1.2億人の島国であるにも関わらず、インド、中国に続く第3位である。しかし、貨物輸送に関しては、20位まで影を落とす。(いずれも2021年世銀統計)

 物流の観点だと、大陸間での低コスト・大量輸送なら鉄道が有利なのは間違いないが、島国の日本では事情が異なる。

 陸運であれば、高規格な高速道路が張り巡らされているし、海に囲まれているから、浮力のお陰で一隻の船でいくらでも運べてしまう海上輸送が、輸出入では圧倒的に有利で、省エネ性も鉄道に肉薄する。速達性を求めるなら空輸であり、鉄道は中途半端な存在である。

 おまけに物流の鍵を握るラストワンマイルはトラック輸送の独断場同然で、そこに風穴を開けるとしたらドローンだろう。

 鉄道輸送の用途としては液体を運ぶ時、長距離トラックだけではとても運びきれない、都市間のコンテナ輸送、定時性から食品や資材の運搬が多く、国内貨物輸送量全体で見れば5%に過ぎない。国鉄時代の殿様商売や、管理の杜撰さから、敬遠されている面もあるだろう。

 頼みの旅客輸送も人口減少時代によって、全体のパイが減るのだから、本業一本では存続できない斜陽産業となっている。それにも関わらず、我々の人生設計では未だに「敷かれたレール」を求めている人が多い。

景気ガチャ×ムラ社会=無理ゲー

 賃金労働者のジョブ型雇用が話題になっているとはいえ、未だに日系企業は新卒一括採用、年功序列が根強い。

 終身雇用は日本の代表企業であるトヨタと経団連が、事実上のギブアップ宣言をしたことから、年功序列も職位だけで、賃金は伴わなくなりつつある。

 しかし、企業型DCは転職時に移管できず、勤続20年超の退職金には税制面での優遇があるなど、社会の枠組みは未だに終身雇用ありき。そんな過渡期の最中に我々は居る。

 新卒一括採用に関しては、不運にも就活時に経済が低迷していると、新規採用の停止や、内定取り消しの影響をモロに受け、ある種、景気ガチャ的な要素が強く、機能不全を起こしているに等しい。

 景気循環によって不況を防げないのは致し方ないものの、解雇規制や温情主義的経営からリストラやレイオフを行うのではなく、新規採用を絞る形で調整する、若者に厳しい仕打ちなのは如何なものかと思う。

 景気を左右する、経済を動かす主体は紛れもなく社会人である。大人たちが経済活動を行った結果、景気が悪化しているにも関わらず、その影響を真っ先に受けるのが、まだ社会に出ていない学生なのは、あまりにも酷である。

 そこに、メンバーシップ型雇用の温情主義、裏を返せば、何処の馬の骨かも分からない、よそ者に対して排他的な村社会的な側面が、新卒でキャリア形成に躓いた者に対して、排除の仕組みとして機能する。

 就職氷河期世代がそうであったように、決してこの世代が能力的に劣っている訳ではないにも関わらず、就活時の経済ガチャで大外れを引き、仕方なくフリーターとして食い繋いでいるうちに、同じキャリアが白紙なら若い方が良いと敬遠され、即戦力が求められる中途採用は余計に敬遠され、挽回するのは困難を極める。こんなの、どう考えても無理ゲーである。

先祖が創った車両の性能、親が望むレール。

 しかし、この無理ゲーはあくまでも、賃金労働者としての生き方を望む場合である。

 良い成績、良い大学、良い会社へと進み、就職ではなく就社で、ゼネラリストとして定年まで勤める間に、結婚して子供を授かったのを機に、住宅を購入し、子供を大学まで出して、巣立った頃に退職金と、完済したマイホームで、悠々自適な老後。

 崩壊しつつあるこれらを端から求めなければ、わざわざこんな無理ゲーに参加する必要すらない。

 鉄道が大量輸送に適している様に、現代の日本社会の枠組みも、敗戦国として米国主導の大量生産・大量消費に対応するための、工業化社会に適したものとなっている。

 それが賃金労働者として、先行きが見通せる、レール上の人生を歩む最適解となり、有名大学から有名企業に就くことが、あたかも勝ち組だと学校教育によって思い込まされているに過ぎない。

 時代が大量消費から持続可能性に転換し、ICT化とコンテナの登場で、あらゆる面で国際競争が激化した。将来の見通しが全く立たない程度に、経済が目まぐるしく変化する状況となり、我々の人生設計も、それに合わせて変えていかなければ没落しかねない。

 賃金労働者として、レール上の人生を歩む。工業化社会となったことで、江戸時代には8割超が農民だった我々の祖先は、工場で労働する対価として賃金を貰う、いわゆる雇用契約を結ぶ現代のスタイルとなった。

 そして、高度経済成長からバブル崩壊に至るまで、昨日よりも今日、今日よりも明日が良くなる、右肩上がりの時期。懸命に働けば、企業が人生を保証してくれる。そんな分かりやすいレールが、心配性な国民性とマッチして、多くの親が、子に対してレール上の人生を望む。

 労働者としての能力の高さ。つまり、学歴や経歴が車両の性能に相当し、新卒一括採用、年功序列、終身雇用がレールに相当する。

 バブル崩壊までの日本経済は右肩上がりで、団塊世代〜団塊ジュニア手前位の世代まで、教育投資で高学歴になると、汽車→電車→特急→新幹線と性能が上がり、レールも東京五輪や大阪万博を機に、新幹線の走行に耐えられる、立派なものだったため、大量輸送の名に恥じず、多くの労働者が気分よく終点の定年まで走行できた。

 しかし、現代はどうだろうか。学歴至上主義が蔓延り、大卒の中でふるいにかけられ、非大卒の時点で汽車。Fランク大学を出ても汽車。旧帝大や難関私大でも特急が関の山だろう。新幹線はレールを自前で建設する起業家や投資家だけ。

 既存のレールも、多くは老朽化により機能不全を起こしていて、経営破綻やブラック企業に注意しながら進まないと途中で脱線してしまうため、終点まで走るのも気が気でない。言わずもがな、一度脱線すると復旧は困難を極める。

 それに鉄道は決まった駅(就職、結婚、育児、住宅購入、引退)にしか停まれない。何駅か停車して、それなりの責任を背負った矢先に、走行中の景色に見惚れて下車(独立・起業)するのは、自殺行為で生存者よりも屍が多い。

 変化の激しい現代において、柔軟さに欠けるのは致命的である。ヒエラルキーの上位に位置する能力を持ち合わせてないパンピーとして生まれた者は、固定観念を疑い、端から車両の性能やレールに頼らない、徒歩、自転車、自動車路線の人生設計で、エリートが形成した鉄道路線とは競合しないオフロードを選ぶ。

 それが無理ゲーで脱線した私が、考えた末に辿り着いた結論である。


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