見出し画像

金融教育も大切だが、哲学はもっと重要?


人生が上手くいかない局面で役立つ。

 高校生が家庭科の授業で、金融教育が必須となったのは記憶に新しい。確かに日本人の金融リテラシーは諸外国と比べると、高いとは言い難い。

 だから金融教育を機に、経済の仕組みを学ぶことは大切だが、そもそも金融に留まらず、自分は何のために勉強しているのだろうかと問いかける骨組みとなる哲学がなければ、資産運用でも学業でも、上手くいかなくなってしまった際に意義が見出せなくなる。

 そうなると、理屈は分かっていたとしても、自分には無理ゲーと思って、端から諦めてしまう事態になりかねず、土台がしっかりしていないのに、上部ばかり組み上げても、文字通り砂上の楼閣となるだろう。

 某ジブリ作品ではないが、人はどう生きるべきかと原点を考える機会は、周囲の大人の言う通りに勉強して、良い成績を取り、良い大学を出て、大企業に就職する、とんとん拍子な人生を歩んでいる高学歴エリートほど、エスカレータの如くヒエラルキー社会で割合高い位置まで昇れてしまうことから、深く考えずに歳を重ねてしまう。

 しかし、人生が順風満帆で終わる人は稀だろう。逆説的に何の起伏もない人生ということは、人間ドラマとしては取るに足らない普遍的なものであった可能性も考えられ、それは人生を最期に振り返った際に、有意義なものと言い切れるだろうか。

 別に苦労信仰に囚われている訳ではないものの、時間、お金、労力、あらゆるリソースに制約がある人生において、理想と現実のギャップにもがき苦しみ、その境地で得た知見こそが、人間性に深みをもたらすことに繋がるのも、また事実だろう。

 フランスは高校で哲学が必修科目となっており、文系理系問わず、大学入試でも問われる程度に重視されている。

 日本と文化の違いは大いにあるものの、哲学は人生の上手くいかない局面で、自身の置かれている状況を客観的かつ、それなりの解像度で認識、分析したうえで、原点に立ち返る術として役立つ。

 哲学的な視点を持ち合わせていた方が、我々が生きる資本主義社会の偏ったモノサシに疲弊しない人生を歩める可能性は高い。

 その意味で、哲学が日常生活で役に立つ学問とは言い難いものの、引き出しを増やす観点では重要と捉えられる。そもそも、高等教育になればなるほど実学から離れ、アカデミックな分野に偏るのだから、大学で学ぶ内容が、日常生活で活かせることの方が稀だろう。

人生は何が起きるか分からない。

 多くの日本人が「哲学」と聞くと、大学で扱うような哲学史を想像しては、難解な概念とか、つまらないものと先入観が働いて、食わず嫌いをしているように思うが、難しく考え過ぎだと思う。

 人生哲学とか、投資哲学の言葉にもあるように、これまでの経験から得られた基本的な考え、いわゆる人生観も立派な哲学な訳で、なぜその考えに至ったのかを自問自答することで、自分自身の内面を深掘りして、真理に辿り着こうとするためのアプローチだと捉えれば、考えているほど難しい概念ではないはずだ。

 とはいえ、火事場の馬鹿力の言葉からも窺えるように、切羽詰まった状況まで追い込まれないと、本気になって考えないのが人間の性でもある。

 我々が生きる現代はVUCAの時代と言われている。VUCAとはVolatility(変動性)、Uncertainty(不確実性)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性)の頭字語で、平たく記せば未来がどうなるか分からない、先行き不透明な時代だ。

 これは、過去の経験がそっくりそのまま役立つとは限らないことを意味する。そんな時代に我々はどう生きるべきか。そこで「反脆弱性」という哲学の概念が役に立つ。

 「脆弱性」が有事の際に脆くて弱くなる性質を表すのに対して、「反脆弱性」はその反対。つまり、有事の際に強みを発揮する性質のものを表す。

 戦後の日本社会の象徴であった、高度経済成長期からバブル崩壊に至るまでの間、ひとつの会社で定年まで働くゼネラリストの考えが根強く、未だにジョブホッパーは悪い意味で捉える人が多数派だろう。

 しかし、経団連とトヨタが終身雇用のギブアップ宣言をした現代では、夕張市や日本航空が経営破綻に至ったことからも、官僚制故の意思決定の遅さが致命傷になり得ることは明白で、旧態依然とした大企業ほど、突然の不祥事などを発端に傾き、それを口実に自分が希望退職候補として狙われて、いつ組織から放り出されてもおかしくない。

 そう考えると、どこの組織でも通用するスペシャリストとして、時代の変化に応じて転職するジョブホッパーの方が、先行き不透明な時代に強みを発揮する意味で、反脆弱性があると考えられる。

 だからこそ、新卒一括採用の恩恵に預かれず、出足を挫かれても、人生に絶望するのは時期尚早だろう。就職ランキング上位の企業が、ものの30年でガラリと入れ替わったのは、バブル期と現在で銀行業が置かれている状況を比べれば明らかである。

 今の状況から勝ち組だと思い込み、大して自己投資もせず40代、50代を迎えてから会社が傾き、希望退職などで放り出される可能性を考えれば、自分の実力でジョブホッピングして登り詰めた人の方が、不安定な時代には強い。

 一見すると安定思考でリスクなど取っていないつもりが、実は隠れたリスクを見落としているだけかも知れない。逆にリスキーな印象のある選択が、実はしっかりリスクヘッジ出来ていて、前者よりも期待値が高い可能性もある。

 人生は何が起きるか分からない。有意義な人生だったかも、死ぬ間際に総括するまで判断できない。だからこそ、人生観の土台を形成し、その場その場で納得感のある判断をするための、ひとつのモノサシを与えてくれる哲学は、金融教育よりも重要なのではないかと思う今日この頃である。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?