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謙虚にして驕らず、真摯に努力を。

投資収益が好調なのは、地合いが良いから。

 23年3月期の決算発表が5/12にピークを迎えた。東証プライム企業全体としては、純利益前年比42%増で着地し、増配ラッシュから特別買い気配となった銘柄も多い印象だ。

 各企業の業績が好調な一方で、賃金労働者の賃金は業績に見合うだけ上がっているかと言えば、そんなことはなく、直近のインフレにすら対処できるかも怪しい賃上げ具合なのが、肌感覚としては近いだろう。

 大多数の企業が人件費をコストと捉え、賃上げには消極的な一方で、株主還元としての配当や自社株買いには積極的だったりする。高卒で社会に出た際、真っ先に感じた違和感であった。

 株主が出資しなければ、株式会社の今の繁盛はないのは事実だが、同時に従業員の労働力なしでは、企業の成長もない。株主、経営者、従業員は本来、対等な立場であるべきだが、現実社会はそうなっていない。

 多くの人はその不満を飲みの場で愚痴るだけで終わるが、私は不満を束ねて要求として可視化し、労働三権を行使すれば会社に対して圧力が掛けられる可能性があると、無知ゆえに組合活動に注力した時期もあったが、結局のところ、会社の犬が組合役員をやっているような御用組合では何も変えられなかった。

 それならば当時「ずるい立場」だと感じていた、株主側に自分が回れば良いと考え、低賃金でありながらも質素倹約に努めて、今、資産の大半をインフレ耐性のある株式で保有し、目先のインフレをこなしつつ、こうして好決算の恩恵を受けている。

 保有銘柄の中には、相場はもとより、保有を決めたかつての自分が想定したシナリオをも遥かに超えた形で、株価が高騰したものもあるが、これを自分自身の投資家としての実力だとは微塵にも思っていない。

 偶然にも世界情勢が不安定で、先進国が軒並み利上げする中、日本だけ低金利政策を維持するも、多くを輸入に頼っているため、インフレ圧力がかかり、コストプッシュ型ではあるものの、結果として呪われた宿便の如く、デフレが続いていた雰囲気から一変した。

 いや、変わらざるを得なかったと表現する方が正確だろう。そうして各社値上げに踏み切り、売上高が上昇。原材料費の高騰が割合落ち着いたことで、想定したよりも売上原価が抑えられて増益と言った具合だろうか。

 そんな好決算が出やすい地合いの中で、保有資産の大部分を株式で運用していたことで、運よくその恩恵を受けているに過ぎない。

一寸先は闇。

 さて、タイトル回収をするまでもないかも知れないが、記事のタイトルは、経営の神様と言われている稲盛和夫さんの名言である。

 投資家は矛盾した世界で生きている。投資の世界に足を踏み入れる動機を煎じ詰めると、「お金を増やしたい」に帰結するだろう。お金を減らそうと思って投資する人は居ないからである。

 しかし、行動経済学でも証明されているように、人間は利益が今すぐ手に入るなら、非合理的に割り引いてしまい、損失を回避するためなら、確率論を無視したリスクを取ってしまう。

 つまり、儲かりたいが、元本は一円たりとも毀損したくないと、欲に塗れると相場の波に飲まれて、市場取引で負けるようにできている。その意味で、株式市場は人間の欲を飲み込んで成長しているとも捉えられる。

 お金を増やしたい欲求から、投資の世界に足を踏み入れるのに、増やしたいなら欲に塗れてはいけない。そんな矛盾を抱えながら、投資家は売買をしなければならない。

 自身の投資方針と相場や地合いが上手く噛み合って、投資収益が出ている時ほど、収益を最大化しようとフルポジションや、レバレッジを利かせたりしたくなるのが投資家の性だが、そう思った時ほど慎重になるべきである。

 流行りのセクターや銘柄で、短期間で暴騰した場合、その多くが実態を伴っていないバブル状態なのだから、最後に誰かがババを引くのは明白だが、多くの人が、自分だけはババを引かないと幻想を抱き、多数派が熱狂し続ける限り、株価は上がり続ける。

 次第に流行りに乗らない奴が情弱扱いされ、狂騒は加速するが、何かの拍子に多くの人の熱が冷め、冷静になって異常さに気付いた時には手遅れで、結果として殆どの人がババを引く。

 頭では理解できていて、自分は大丈夫だと思っていても、いざ、その渦中に身を置くと判断を見誤る。

 そんな一寸先は闇の世界に、長いこと居座り続けて、複利の恩恵を得るためには、バフェットさんの名言である「ゆっくり金持ちになりたい人は居ないよ」を前提として、生涯に渡る超長期のスパンで、大負けすることなく、リスクを抑えてゆっくりと複利を取りに行くことが何より重要である。

主観的な「真摯に努力」は重要ではない。

 だからこそ、「謙虚にして驕らず、真摯に努力を」に重みと深みが出る。私は努力しない主義者であり、表面上の言葉だけだと誤解されてしまうが、世間一般の感覚だと努力している様に映るものの、当事者としては苦ではないため、努力している感覚がないと表現する方が適切だろう。

 私で例えると、上場銘柄の開示情報を読み漁り、自分なりに仮説を立ててシナリオを予測している。これには簿記の知識はもとより、経済や経営の知識もあるに越したことはないため、大学で学び直したり、日商簿記の資格も取得した。

 これらは株式投資が上手くなりたい一心で、自発的に取り組んでいることであり、努力している感覚などなく、資格も取って終わりではなく、実学として銘柄分析に生かされている。

 主観で努力していると思った時点で、不向きなことを無理してやっている何よりの証拠であり、そこでリソースを消耗したところで、得られるものは決して大きくないだろう。

 だからこそ、主観的な「真摯に努力」は重要ではなく、自身が目的に向かい、無我夢中で取り組んでいる様子が、結果として、客観的には真摯に努力している風に見えるくらいがちょうど良いのではないだろうか。

 そこで褒められても、謙虚に驕らないことの積み重ねが、大きな成功を成し遂げるための一歩となる。


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