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投資センスは一日にして成らず。


新興株で稼げたから(時計)買っちゃった♡

 2023年11月6日に放送されたWBSにて、「投資女子が増えるワケ」と題した特集が組まれて、金融リテラシーの高い人の間で物議を醸している。

 題材がハイリスクな新興株なうえに、他人が売り抜けた銘柄を買おうか悩む描写が含まれていることから、投資歴の長い人ほど、「靴磨きの少年」を彷彿として、呆れた感じのため息が出たのではないかと思う。

 国策で「貯蓄から投資へ」を促し、金融立国を目指すためにも、投資人口が増えることは良いことだが、金融教育とセットで行わなければ、投資ではなく、単なるギャンブルになりかねない。

 大した知識も持ち合わせていない状態で、ファッション感覚の軽い気持ちで身銭を投じて楽に稼げるなら、みんなやっているだろうし、昨今のインフレに関しても、物価より株の方が上昇している訳で、投資していれば家計が苦しいなんて事態からは程遠い筈だが、現実はそうなっていない。

 地合いが良い時の運用成績ほど、自分の実力だと過信してはリスクを見誤りロッドが大きくなる。過信からトレンド転換に順応できず、許容できない損失を出して退場。バブル崩壊やリーマンショック後のような、投資はギャンブル教が再度蔓延ってしまう未来が、私の脳内で見え隠れしている。

 株式市場というのは、世界に開かれたオンラインゲームのようなもので、多種多様な人が参加している。一般的なゲームと大きく異なるのは、全員がお金を増やすために真剣に参加していて、結構な頻度で血みどろの戦いを繰り広げている点だろう。

 大型株であれば、色んな人の買いたい価格と、売りたい価格が釣り合って株価が形成されるため、適正であることが多い。

 しかし、新興株に関しては、財務諸表の裏付けがない分、適正価格が掴めず、期待先行で乱高下を繰り返す傾向にあるため、時計買っちゃった♡のノリで扱えるような銘柄とは到底思えない。

投資セミナーに参加する時点で不向き?

 ゴールドラッシュのスコップ売りの話は有名だ。最も儲けたかどうかはともかくとして、一歩引いた視点で潮流を掴むことで、一攫千金の夢をみて金を掘り当てに行くのではなく、その人たちに関連商品を売って手堅く儲ける発想は、上がるか下がるかのギャンブルではなく、投資をする上で重要なスキルなのは間違いない。

 ゴールドラッシュのように、過去の題材を振り返って答えを見つけるのは簡単だが、これを現在進行形で行うのは想像より難しい。

 今、世の中で起きている変化をキャッチできるアンテナの感度。それを自分の頭で分析して、周囲よりも高い解像度で捉える観察眼。そこから仮説を立てて、将来何が起きるのかを予想する想像力。思い描いたシナリオがどの程度の確率で到来しそうで、それにより、どの程度のリターンが見込めそうかと期待値で判断する能力。

 上記のような、自分の頭で考えて仮説を立てては、実際なり空想なりでトレードして、検証を繰り返すのは些か泥臭いが、勝つべくして勝つために避けては通れない道であり、これは誰かに教わって身に付く類のものではない。

 冒頭に紹介したWBSでも、投資セミナーに参加する様子が流れていたが、まず初めは分からないことを手っ取り早く、他人から教えて貰おうと思うからセミナーに参加する訳で、それは自分の頭で考えることを放棄しており、投資に向いているとは言い難い。

 無料セミナーであれば尚のこと。もし主催者がゴールドラッシュのスコップ売りなら、セミナーに掛かる費用を回収するために、スコップが売れるような偏った情報を提供する可能性が高い。

常に学ぶ姿勢を持ち続ける終わりなき道。

 急がば回れの要領で、面倒でも初期段階ほど独力で学んだ方が、必要な情報を自分で取りに行く、投資に必須な習慣が身につき、それが資産規模が大きくなった際に、それまでの経験値がセンスとなり、それが複利運用に絶大な効果を発揮するのが持論であり経験則だ。

 私は今ほど良質な投資情報が得られなかった時代に、インターネットで玉石混合な情報を収集しては、書籍と突き合わせて取捨選択し、投資に必要な基礎知識と鑑識眼を身に付けたが、これには1円もかけていない。

 基礎知識だけで良いなら、良質な情報を得るだけで済むから、図書館で投資の本を5〜10冊程度読むだけでも、内容がどの本にも出てくるセオリーなのか、著者独自の投資哲学なのか、その違いが何となく分かるようになる。

 できれば「マネーの公理」「家庭の金銭学」のような、セオリーに反証して真逆のロジックが記されている本を取り入れると視野が広がり、両極端な考え方を知った上で、自分が納得する立ち位置を考えながら投資できた方が、長期運用に繋がりやすいと考える。

 「ローマは一日にして成らず」ではないが、投資センスも同様に、長年の積み重ねがあって初めて「構築」される類のものだと考える。「完成」ではなく「構築」と記したのは、社会が絶えず変化し続けるため、常に学ぶ姿勢を持ちブラッシュアップし続ける、終わりのない道だからである。

 最後に私の好きなイニシャルDの名言を引用して終わりにする。

”どれほどの技術を習得していても・・
これでもういいと思ってしまえば、その状態を維持する事もむずかしい・・
常に上を向いて、努力をつづけていなければ、上のレベルに移行する事はできない・・
道を極めるという事はそういう事だと思っている”

頭文字D 32巻|しげの秀一


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