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ノブレス・オブリージュという名の美学


お金に困らない人生を営む権利=有事に経済的負担を負う義務

 物好きな旧友が私の居住地まで遊びに来たため、最大限もてなせる老舗料理店で、一番良いコースを予約した。

 しかし、いざ会計になると、コース料理はWEBで請求できる謎仕様で、オプションのビール代だけ決済され、どうやって私宛てに請求するのかの説明が不足してゴタゴタが生じた。

 私としては、コース料理代の請求がされていない状況となるため、黙っていればタダ飯でラッキーとなる可能性も無きにしも非ずだが、逆の立場で取りっぱぐれた場合の心象の悪さまで想像力を膨らませたら、取り敢えず代金を支払っておいて、本当にWEBから請求されたら返金して貰った方が、不可抗力的に食い逃げ犯となるリスクは排除できる。

 そのため、会計係をうまいこと言いくるめて私のカードで決済したが、ほとぼりが冷めた頃に電話で二重決済になるから返金する旨の連絡が来た。

 そのため、「そちらが取りっぱぐれることになったら申し訳ない。二重決済の事実を確認してから返金で構わない」と主張したものの、「そんな失礼なことは…」と切り返されたため、そこまで言うならと思い返金を受けた。因みに未だにどう請求されるのか仕組みがよく分からない。

 なぜ私が最初から店側の言い分を聞いて、タダ飯ラッキーガチャを試そうとしなかったのか。それは、衰退する地方とはいえ、その地域に根付いた歴史ある店が、一日でも長く繁盛して頂きたいからで、取るに足らないチェーン店なら、きっとガチャを試しただろう。

 女将に「相手のことを気遣える優しい方ですね」と言われながら返金を受けたが、私は「お前が終わってんだよwww」的な低賃金の境遇から、株式投資で運良く人並み以上の資産を形成できたことで、今、お金に困らない人生を営む権利を有している。

 だからこそ、トラブル発生時の一時的な経済負担くらいは、経済力があるであろう私が負う(折れる)べきだろうと、鼻持ちならないエリート意識にも似た美学から来る義務感があった。

暇なんだね、その人さ。暮らしって、そんな先考えてる暇はないやね

 連邦に反省を促すダンスでお馴染みの「機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ」の作中で、個人的にアニメ史上、5本の指に入るハマり役だと思っているタクシー運転手(以下:タ)と、物語の主人公であるハサウェイ(以下:ハ)との会話が、パンピーとインテリ層とで分断した社会の縮図そのもので気に入っている。

タ:「学がありすぎんですよ
最後はみんなで宇宙に出ようってんでしょ?
あれ、わからねぇんだよな
ダバオって、そんなに環境汚染されてねぇでしょ?」

ハ:「でも、緑は少なくなって、魚だって捕れないだろう?」

タ:「島のみんなぐらい、食っていけますよ」

ハ:「マフティーは1000年先のことを言っているようだけど?」

タ:「ヘヘヘヘヘヘッ
暇なんだね、その人さ
暮らしって、そんな先考えてる暇はないやね」

ハ:「暇?」

タ:「でしょうが
地球居住許可書を手に入れるんで、偉い人に注ぎ込む金のことを考えたら、明後日のことなんか考えられないねぇ」

 利他的なテロリストもといハサウェイの報われなさに消費税分くらいは同情するが、現に国民民主党の玉木代表が、物価上昇率+2%の賃上げで、18年後に賃金(名目値)が倍になる!といくら現実味のある真っ当な政策を謳ったところで、大多数のパンピーの温度感としては「暇なんだね、その人さ。暮らしって、そんな先考えてる暇はないやね」が的確だろう。

 結果として、〇〇をぶっ壊す!的なキャッチーな台詞を連呼している政治家の方が大衆ウケが良く、長期目線で物事を考えられる人が、売れない実力派地下アイドルとして埋没して政治的意思決定の権限を握れず、シルバーデモクラシーが繰り返される現状に、衆愚政治のソレを感じざるを得ない。

 だからこそ、「明後日のこと」が考えられる余裕(ヒマ)のある恵まれた者が率先して、暮らしって、そんな先考えてる暇はない者が住みやすくなる社会にしていく義務を負うのが、社会のあるべき姿であって、私利私欲に溺れて、情弱を騙して荒稼ぎするのは下衆のやることであり、美意識のカケラもないと感じてしまう。

権利ばかり主張して、義務を果たさない人

 そもそも私は、新生児仮死状態で生まれた(というより蘇生された)ことと、それによる運命の悪戯で学年が繰り上がってしまった背景も相まって、本人の努力では到底埋め難い、早生まれのハンディキャップを負って幼少期を過ごした意味で、霊長類ヒト科の一個体として客観視した場合、紛れもなく弱者であり、その立場を忘れる事なく育っている。

 だからこそ、恵まれた立場にある者は、その権利を当たり前のものと思わず、しっかりと自覚して、恵まれない者に奉仕する義務が伴う「べき論」、フランスで言うところのノブレス・オブリージュが、根底の価値観として自然と根付いている。

 振り返ってみれば、鉄道員時代に目上で尊敬する人が片手で数えられるレベルだったのは、バブル崩壊前に入社した待遇面で恵まれた世代が、昨今の公共交通でのドライバー不足という困難を、業界全体にもたらした責任の過半を負うべきだが、現実は定年退職を目標に妖精さんとして消化試合に努める一方で、義務を果たしておらず、果たす気もない輩が大多数だったからだろう。

 誰かの言葉を借りれば、既得権益という名の「とち狂ったような給料」を守りたかったが故に、バブル崩壊以降に入社した若い世代が、国交相のパブリックコメントで13連勤手取り14万電鉄と揶揄されるレベルで「お前が終わってんだよwww」な待遇で放置される歪みを生じさせた。

 冷静に考えて、いくらLCCで運賃が安くても、機長が手取り14万円の飛行機には乗りたくないだろう。

 それと同じ現象が、利用頻度が遥かに高い通勤電車で起きている異常さを、本来であれば内部で権限を持つ既得権益層が、問題意識を持って変えていかなければならなかった。

 どう変えていくべきか分からないなら、後進よりも恵まれた立場であることを自覚し、長期目線で物事を考える土台となる教養を深めるために、日常的に本を読むなどの自己投資を、前々から行うべきだったが、それができる人ほど、この業界の絶望的な状況に勘づいて、静かに去っていった。

 そうして残された既得権益層が現状維持を望んだ結果、失われた30年で縮小再生産を繰り返し、目先で楽な自己責任論で恵まれない若手を切り捨てた結果が、昨今の公共交通でのドライバー不足という困難を、業界全体にもたらしている。

 これを今更、薄給激務で目の前の作業に忙殺される日々を繰り返し、経済的にも時間的にも余裕がなければ、権限も与えられていない若手によって、どうこう変えられるような次元にない意味で、構造的に詰んでいるとしか記しようがなく、無人運転もやむなしを受け入れる世論と、それを支える技術革新でもない限り、公共交通機関の減便や廃止は加速する一方だろう。

 だから鉄道員時代に目上で尊敬する人が片手で数えられるレベルだった訳で、権利ばかり主張して、義務を果たさない人は、最終的には支持されない。自分が追うべき義務を認識するためにも、弱者の立場を理解し、権利を自覚することが何より大切だ。


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