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起きて欲しくない時に起きた能登半島地震と昭和19年の東南海地震

明けましておめでとうございます。
ゆるりと更新していきます。

能登半島地震


お正月から心痛いニュースが続いております。
能登半島の被災地の方々で、人がたくさんいる場所に長くいれない方などは、どのように過ごされているのでしょうか。

避難所にいるのは、精神的にしんどいことがたくさんあると思います。
プライベートのない空間にずっといるのは、想像しただけでも辛いです。

日本の避難所の環境は、諸外国と比較しても最低ランクと言われています。

東日本大震災では、たしか日本大学だったでしょうか。福島でカーテンを仕切りにして区切る試みがなされました。
ダンボールの筒で仕切りをつくり、確かベッドも作っていたと記憶しています。

音が聞こえる時点でストレスは取り除くことはできませんが、最低でもそのくらいの配慮はされて欲しいと思います。


私はネット環境がないので、スマホの速報では能登で地震があったことは知っていたんですが、正直こんなに悲惨な状況だとは知らなかったんです。

でも犠牲者の方がいるという速報が出た時、あぁこれは大変なことなんだとやっと気付きました。
1月2日の夕方に初めて地震の映像を見て絶句しました。

正月から酷いことになったと思っていたら、飛行機事故。
起きてほしくない時に、なぜこうも事故や災害が起きてしまうんでしょうか。

昭和19年の東南海地震


過去の歴史を少し見ても、なんでこんな時に、というタイミングで地震が起き、そのタイミング故に多くの犠牲者を出したものもあります。

昭和19年12月7日に起きた東南海地震もその一つです。
日付を見てピンと来る方も多いのではないでしょうか。そうです、真珠湾攻撃の日です。
この日は空襲をされるだろうと、日本側も予測をしていました。

ところが運悪くこの日に大きな地震が来てしまいました。
地震の揺れを、爆弾が落ちた衝撃だと勘違いし、空襲警報を待っていた人々が犠牲になりました。

恐ろしいことに、警報は「逃げろ」という合図じゃないんです。
「待機して、消化活動や被害の拡大防止のために全力を尽くせ」なんです。
防空壕への避難は「一時退避」なんです。
爆弾から逃げちゃいけないんです。
防空法なんて、おかしな法律を作ったものです。

空襲警報が鳴るまで、待機が基本です。
地震とは知らず待機していたところに建物が崩壊して多くの人が亡くなりました。

今年こそ平和への一歩を


今年は良い年になるように、平和な世の中にになりますように、なんて願う日に、悲しい年明けとなってしまいました。

戦争、戦争、災害、事故。

いつになったら心休まる世の中になるんでしょうか。

今年こそ、せめて平和への一歩を世界が踏み出すことを願います。

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