特務機関NERVはリサーチしない……はずだった【#ResearchConf 2024 レポート】
RESEARCH Conferenceは、リサーチをテーマとした日本発のカンファレンスです。より良いサービスづくりの土壌を育むために、デザインリサーチやUXリサーチの実践知を共有し、リサーチの価値や可能性を広く伝えることを目的としています。
2024年のテーマは「ROOTS」です。リサーチを育む根を張る、そもそものリサーチの成り立ちや進化から学ぶ......そういった意味を込めています。小さく始めて広げてきたリサーチを、いかにして強く根付かせ、厳しい状況を乗り越え、新たな成長へと導けるでしょうか?
ゲヒルン株式会社から、『特務機関NERVはリサーチしない……はずだった』と題し、石森 大貴さんよりお話しいただきました。
石森 大貴
ゲヒルン株式会社
代表取締役
10歳でプログラミングを始め、12歳からレンタルサーバーサービスを開始。セキュリティキャンプ2007参加、2008-2009講師補助、2009年3月より情報セキュリティ会社で脆弱性診断業務に従事。2010年7月にゲヒルンを設立。東日本大震災を受け、Twitter上でヤシマ作戦を実行、@UN_NERVで防災情報を発信。2019年に防災アプリをリリース。一般社団法人セキュリティ・キャンプ協議会 理事。
日本をもっと安全にする企業
「日本をもっと安全にする」というミッションのもと、安全保障(Security)を軸に情報セキュリティ・インフラストラクチャ・防災の3つの分野で日々研究開発を行っているゲヒルン株式会社。
同社が2010年2月に開設した防災情報を発信するTwitter(現在、X)アカウント「特務機関NERV」は「はじまりはただの遊びだった」と石森さんはいいます。
2011年3月11日に発生した東日本大震災をきっかけにフォロワー数が急激に増え、2024年6月現在は245.6万フォロワーに拡大しました。
Twitter(現在、X)では画像が4枚までしか投稿できず、表現に制約が多いことがネックでした。また、全国の情報がリアルタイムで得られるメリットがありつつ、自分の地域の情報だけ知りたい人にはそれがデメリットにもなっていたのです。
“ただの遊び”から防災アプリ化への道
ここから、社内でどのように社内でアプリ化の声が高まっていったのかを時系列で石森さんは説明しました。
2015年時点の社内Slackに、「自分が住んでいる所以外の気象と鉄道情報はいらない。Twitterに流れているのは必要な情報1割、いらない情報9割くらいのイメージ」「フィルタできたらいいのに」という会話が残っています。
2016年時点では、プッシュ通知で情報を伝える必要性が議論された際も、「ユーザーはアプリを入れてくれるだろうか」「LINEボットにしてはどうか」と、ここでもアプリ化の話は流れてしまいました。
2017年時点では、「アプリ作る?」「収益にはならない」「防災アプリはYahooかNHKで十分」という会話のやり取りが残っており、「やらない理由ばかり並べていますが、徐々に社内からアプリ化した方がいいのではと声が高まっていきました」と石森さんはいいます。
とうとう2018年2月に、アプリに必要な気象情報を提供してもらうため気象業務支援センターに問い合わせをし、2018年4月にJMAソケット付きTCP/IPサーバーを完成させ、気象庁本舎内に専用線を敷設し準備が整いました。
そして、2018年6月に「防災アプリデザインMTG」が初開催されたのです。当時は、2019年3月のリリースを目指してアプリの開発が進んでいました。
初開催となったデザインMTGで提示されたアイデアは、マップ・インデックス・ポイントであり、情報の集約と現在地に基づいたフィルタや地図ベースのインタラクティブな可視化が示されました。
2018年の年末、『エヴァンゲリオン』シリーズの制作をしている株式会社カラーとの忘年会で「NERVの名前を使ってもいいよ」と了承を得たことで「NERVの名前を背負うならデザインをリテイクしなければいけない!」と方向転換。ヱヴァンゲリヲン新劇場版を繰り返し見て作成した初期のリテイクのデザインは、初号機カラーの青や二号機カラーの赤などエヴァ配色がメインになりました。
しかし、気象庁における気象警報の配色は特別警報が紫、警報は赤、注意報は黄色を用います。エヴァ配色のデザインは、アプリを開くと常に警報が出ているような印象を受ける状態になるのです。
そこで、配色をどんどん落としていき無色をベースに必要な箇所に配色をするデザインに変更。完成間近のアプリを見て社内でも「こんなアプリ見たことない!自分たちで早く使いたい!」と盛り上がっていったそうです。
東日本大震災の災害史から自分たちが追い求めるテーマを再確認
順調に進んでいたかのように見えた特務機関NERV防災アプリですが、2019年2月に株主と大喧嘩の末、代表の石森さんは転職を考える騒動に発展します。そして、「この会社ではやりたいこともできない」と一旦は実家に帰省しました。
しかし、家族とともに訪れたリアス・アーク美術館の常設展示のパネル文章に「情報をどんなふうに使えばいいのか自分の中でもやもやとしていたものに対する答えがあった。背中を押された気がした」と石森さんは振り返ります。
内閣府が平成26年度に発表した防災白書では、阪神淡路大震災で消防や警察、自衛隊などの公的機関よりも、自力脱出や近隣住民等から助けられた人の割合が圧倒的に多いこと(公助の限界)が明らかになりました。
「身近な人に災害の情報が届くことは、自分たちが助かるために必要なんじゃないか。私たちが追い求めているテーマ『正確で迅速な情報の発信』について問われている気がしました」と石森さんはいいます。
防災アプリにナビゲーションを実装しない理由
一般的に「情報は答えをくれるもの」と考えている人は、災害時に「避難してください」という指示や避難所までの道案内などを求めがちです。しかし、石森さんは「情報は判断材料の1つとして、判断は自分でするものだ」と解説しました。
現在、防災アプリ「特務機関NERV防災」にはナビゲーションを実装していません。その理由は次の通りです。
案内には経路の安全性が考慮されていない
すでに垂直避難しなければならない状況で水平避難させてしまう(※)
避難所を案内することでユーザーの選択肢を狭めてしまう
ナビゲーションをすることでユーザーは「答え」だと思ってしまう
情報が人の命を奪ってしまう可能性を真っ先に考える
(※)避難行動には親戚・友人宅や指定避難所などの近隣の安全な場所へ避難する「立退き避難(水平避難)」と自宅の2階以上などより高い場所で安全を確保する「屋内安全確保(垂直避難)」がある。
「何でもかんでも情報を発信すればいいというものではない。判断を誤らせる可能性や選択肢を奪う可能性を常に考慮する必要がある」と石森さんはいいます。そして、「システムには限界がある」と続けました。システムというのは、設計時に想定した特定の条件下でのみ正しく動作するものです。そこで開発者は限界を超えた機能を実装しないこと、ユーザーを情報に依存させないことを考慮しなければいけません。「技術上の限界を知っている開発者だからこそ、その点をユーザーに伝えていく必要がある」と石森さんは強調しました。
一旦は会社を離れたものの、災害時における情報の原点に戻り、自分が今やるべきことを再確認した石森さん。会社に戻ってすぐに、アプリのリリースに向けて再度動き出します。なお、この時点で開発予算はなく、社内のメンバーは全員アプリ開発未経験という状態です。
2019年9月1日にiOS版をリリースし、1日で10万以上のダウンロードを達成。続いて、2019年12月18日にAndroid版もリリースして防災アプリの提供が始まりました。
民間企業が防災アプリを提供する意味
すでにNHKやYahoo!などの大手の防災アプリがある中で、民間企業が防災アプリを提供する意味は次の2つがあると石森さんはいいます。
①マイクロメディア
②アクセシビリティ
スマホアプリのようなマイクロメディアにしかできないこととして、ユーザーの個別のニーズに対応したインターフェスで情報を伝達することがあげられます。また、障害の有無に限らず「誰もが自分に合った手段や形式で情報にアクセスできることが重要だ」と石森さんは語ります。
たとえば色覚特性によってどんな色が間違いやすいか異なります。そこで、防災アプリでは色覚特性とコントラストを掛け合わせて18パターンから選べるように設定されました。
また、視覚障害者や学習障害(ディスレクシア等)のユーザーにも対応できるよう、スクリーンリーダー(※)用レイアウトも設定しています。ただし、このスクリーンリーダーに対応するには、すべてのオブジェクトにラベルを付けて読み上げ要素を設定する必要があります。
たとえば「水位」を「みずくらい」と読み上げられてしまうので、ふりがなのデータベースを整備し、「警報・注意報」は「けいほうなかぐろちゅういほう」と読まれるので「・」を「、」に置換するなど細かな調整を丁寧にしていきました。
そのほかにも、Twitter(元、X)上では中国語や日本語に不慣れな人にもわかりやすい「やさしい日本語」など個別のニーズにも対応。2021年には英語に完全対応したところ、米海軍横須賀基地に推奨アプリとして選定されました。
※スクリーンリーダー......画面に表示されている情報を視覚以外の方法で伝えるソフトウェアアプリケーション。日本語では「音声読み上げソフト」とも呼ばれる。主にテキストを音声に変換しますが、点字や音声アイコンに変換することもある。
ユーザーリサーチをしないアプリ
最後に「私たちはユーザーの声を聞いていません」と石森さんは語ります。そもそも、NERV防災アプリは民間企業が自分たちのお金で好きなように開発しているアプリであり、ユーザーがすぐに思いつくことは開発者がすでに考え尽くした状態です。ユーザーリサーチをしない代わりに、さまざまな研究を行い、アプリに実装しているのだといいます。
そして、ゲヒルンが注目しているメトリクスは「時間」であり、1秒でも早く情報を届けるために改良を続けているのだそうです。
ゲヒルンにとってリサーチとは「採用しようとしている技術にはどんな限界があり、システムはどのような状況下で正しく動作し、ユーザーにどう情報を伝えたらいいのか。それらを研究し社会実装することが、私たちのリサーチ」だと締めくくりました。
本セッションではアーカイブ動画を公開しております。
🔍............................................................................................................
RESEARCH Conferenceの最新情報はTwitterにてお届けします。フォローをお願いします!
[編集]山里 啓一郎 [文章]小澤 志穂 [写真] リサーチカンファレンススタッフ