見出し画像

キャンドル

 偏見と無知は仲良し。

 思うに私たちは、普段聞き逃している声や無意識にトリミングしてしまってる光景にいかに気がつけるかに価値がある。

 ここにきて急に新しく出現したものなんてそうそうない、大抵は元からある。それにやっと気がついた(気がつかされた)だけ。“雨後の筍”なんて聞くが、タケノコは元から地面の下で生きている。見えるようになっただけ。声が上げられない事情を考えておくべきだ。

 私が今、こうしてだらだらと風呂で記事を書いている(最近ハマってるの笑)のは私の親だったり、先祖だったりの声がデカいか力が強かったからだ。力ってのは筋力だけじゃなくてね。誰も彼もが藤田和之並みの強者ではないから。誰かを押しのけて限られたパイをブン獲ることができたのだろう。だからあまり不自由していない今の私の生活がある。

 かといって押しのけられた側はそのまま爆発したり、点滅して消えたりなんかしない、ゲームの雑魚キャラじゃないんだから。そのまま人生は続行する。見苦しさやみっともなさでは人は死なない、論破や批判は骨まで届かない。不愉快に思われても呼吸は、鼓動は、止まらない。生きてゆく。

 みんな望んでそうなったわけじゃないからね。感覚的には一般、自然のこと。最初からそうだったんだから。その者の視界ではそれがありふれた光景。誰だって主観がスタンダードよ。”普通”なんてものは、ただの人気投票の結果に過ぎないことだってある。今流行りじゃない主観、イケてない主観にも光を!ってね。思うんだ。

 じゃあアンタに何ができるのか?って聞かれたら「え、ああ、うーん……」って黙っちゃうけれど。認識していないよりはマシと思いたい。そんな自己満足の中で生活は続行する。


 タイトルはBURGER NUDSの『Candle for minority』から拝借。門田匡陽さんによる公式の弾き語りがあったのでご紹介🕯

この記事が参加している募集

#思い出の曲

11,332件

#多様性を考える

27,903件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?