子どもハメハメハの消失

8月になり、NHKの「みんなのうた」が新しい曲になった。今回の二曲はTwitterでトレンド入りするくらいの注目らしい。ミーハーなぼくは午後9時過ぎラジオの前に座し、聴いてみることにした。

一曲目のSexy Zoneの「惑星」は明るく華やかな色彩を放つ立体的な音楽である。ジャニーズらしく爽やかな歌詞(金井政人(BIGMAMA)、MiNE)と、聴きなじみあるけれど驚きにも満ちたメロディー(川口進、MiNE、Atsushi Shimada)がとてもよい。しかし、なんといっても、そんな雰囲気をぶっ飛ばすような、二曲目「南の島のハメハメハ大王」のインパクトである。SAKANAMONによる疾走感とお祭り騒ぎを混ぜ込んだ小気味よいアレンジ。来てほしいここぞという瞬間に訪れる静寂部と喧騒の復元。「新生ハメハメハ大王」は、(もしテレビで観ているとしたら)シュールなアニメーション(AC部)も相まって、小さなころに歌っていた大人、初めて聞く子どもたちの両方に、ガツンと印象を刻むだろう。

聴き終わってしばらく、ぼくはぶっ飛びサウンドの多幸感に浸っていた。いいものを聴いたなぁ。でもしばらくしてから、あれ?と思った。

「三番がなかったぞ」って。

ハメハメハ大王の歌詞

「ハメハメハ大王」の歌詞であるが

南の島の大王は
その名も偉大な ハメハメハ

南の島のハメハメハ大王 作詞:伊藤アキラ

から始まって、南の島の住人の、一連の紹介が綴られていく。

ロマンチックな王様で
風のすべてが彼の歌
星のすべてが彼の夢

南の島のハメハメハ大王 作詞:伊藤アキラ

みたいにね。ちなみに、ほかの住人として、どんな人がいるかというと

女王の名前もハメハメハ
(…)
子どもの名前もハメハメハ
(…)
誰でも名前がハメハメハ

南の島のハメハメハ大王 作詞:伊藤アキラ

つまり「会う人会う人ハメハメハ」っていうのが、この歌の一つの落ちになっている。

「消えた」南の島の子どもたちの日常

SAKANAMON版に無かった三番はこんな感じだ:

南の島の大王は
子どもの名前もハメハメハ
学校ぎらいの子どもらで
風がふいたら遅刻して
雨がふったらお休みで

南の島のハメハメハ大王 作詞:伊藤アキラ

何ともめんどくさがりな、笑っちゃうくらいのんびりした、南の島の子どもたちの日常である。なんでこれがカットされたのだろう?
そして、これを笑うためには一つの前提が必要だと気付いた。その前提が、2022年の現在では成り立たないことも。

真相やいかに

つまり、ぼくとかが子どもだった頃は、「風の吹こうが雨の降ろうが、学校には毎日行くもんだ」という共通認識があった。そんなにひどい気象は想定していなかったということでもある。ところが今日では急激な天候変化、線状降水帯、ゲリラ豪雨、竜巻、…。様々な異常気象が各地で観測され、ラジオでは「命を守る行動をとって下さい」と繰り返し伝えられるようになった。「天気が悪かったら学校なんて行っている場合じゃない」ということが、現在のみんなの共通認識なのではないか。

というわけで、「ハメハメハ大王」三番のジョーク性を成り立たせていた「雨が降ろうが槍が降ろうが学校には行く」という暗黙の前提が崩れてしまった。だから「新生版」では除外されたのではないか。ぼくはそんな仮説を抱いたのだが、真相やいかに。


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