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じいちゃんが余命宣告されていた

私は今日あるきっかけでじいちゃんが余命宣告されたことを聞いた。

離婚した父方の祖父だ。

父は離婚がきっかけか何か知らないが妄想の世界の中で生きていて、ほとんどまともな話はできない。離婚は父の浮気、借金、暴力が原因だ。まっとうな離婚の理由。最悪な男3コンボだ。

父は母が離婚調停に用意した資料をすべて母のでっちあげだと、母の妄想だと、自分以外のすべての人は母に騙されていると、母は詐欺罪で立証できると本当に思い込んでいる。父の生きている世界は「そっち」側なのだ。

(もちろん裁判所は母側の資料の内容を認め、数年かかったが離婚は成立している)

私は高校生まで父と住んでいたが、確かに私たちは暴力を受けていたし、馬乗りになって殴られたり、命からがら逃げた先の転居先をつきとめて夜中に大声で私たちを呼んで暴れて、警察沙汰になったこともある。私は大学に進学して一人暮らしを始めても、警察やDV被害者保護のシェルターなどに常に連絡をとって、身の安全を確保していた。おかげで双極性障害になった。今でも服薬しないと夜は眠れない。

そんな父を育てたじいちゃん。

父からしたら祖父は恐怖の対象であり、自分の運命をすべて定めた張本人であり、そして今はお金をくれる人、である。

私から見たじいちゃんはとにかくとにかく優しい。大きなトラックの助手席に乗せてくれて、そこは特別な特等席のようで、私より低い位置を走る車を見下ろして、私とじいちゃんだけが特別な気がしていた。いつもトマトの匂いがしていて、夜はいつもお酒を飲んでいた。美味しそうなおつまみを私が欲しがると「この子はのんべぇになるなぁ」と笑いながらおつまみのほとんどをくれた。私はじいちゃんの言う通りのんべぇになった。働き者の農家のゴツゴツした大きな手。大きなお腹。いろんなところに連れて行ってもらった。蝶よ花よと可愛がられた。私もじいちゃんが大好きだ。

きっと父が私たちにしてきたことを、じいちゃんは父にしてきたんだろう。厳しく育てすぎた。俺のせいだ。と言っていた。

じいちゃんは母や私たちに謝り、なんでもできることはする、と言ったことがある。父が妄言を近所の人に言いふらし、母の職場に押しかけ、母は転職せざるを得なかった。

じいちゃんは父が払わなかった養育費をくれるかのように事あるごとにお小遣いをくれた。

学生時代、学費や生活費に困っていた私はありがたく受け取り、「いつかちゃんと返すからね!それまで元気でね!絶対ね!」というとじいちゃんは「返さなくていい。じいちゃんが死ぬとき会いに来てくれたらいい」と柄にもなく暗いことを言ってがははと笑った。

「そんなこと言わないで」「大学卒業して就職したら私のお金で旅行にでも行こう!」

一言もなにも言えなかった。うん、と小さくつぶやくことしかできなかった。もうそのときから病気だったのかもしれない。

私たちには何も言ってくれなかった。

父で迷惑をかけたから、これ以上迷惑をかけたくないと思ったのか、意地を張ったのか。

ステージ4のがん、余命数カ月。

私はもうすぐ入籍する。

結婚の挨拶のために、十分にコロナに配慮して帰省することになっていた。実家には帰らずホテルに泊まる。十分な距離をとって食事はせず、顔合わせのみ、体調に変化があったら即中止。

きちんと帰るのは数年ぶりである。

たしか3年は帰ってない。
帰りたいわけではない。入籍する日付けは前から決まっていて、知らせていたし、顔合わせなんてZOOMとかでいいやろ、と正直思っていた。

いくら私の人生でも、いくらコロナが流行っていても、田舎でそれは通らなかった。

このタイミングで父からのいつもの怪文書(A4数ページに及ぶSF小説のような妄想の世界の真実を証明するかのような書類が〈といっても証拠はGoogleで監視されているだの、心霊現象がどうだとか霊媒師とかを根拠に母や母の親類を侮辱する内容である〉定期的に母の弁護士のもとに届く)に祖父の病気のことが書いてあった。

最初はお得意の妄言だと思った。

このくそ野郎、自分の父親まで使って私たちにかまって欲しいなんて、と思っていた。

でも、帰省することになっている。もし本当に祖父が病気ならコロナをうつしかねないし、会うわけにはいかない。確認するしかなかった。

離婚した母が連絡するわけにもいかず、私が電話した。

「じいちゃん!またあのお父さんの変な手紙届いてさ~いつもは大体無視するんだけど、じいちゃんが病気って書いてあるんよね~」

私の声は震えていただろうか。いつもの元気で明るい、結婚を控えたじいちゃんが大好きな可愛い孫の声だったろうか。不安は隠せていただろうか。

じいちゃんは「…いらんこと言いよって」と言ったあと、大丈夫だから気にせず帰ってきてくれ、と言った。

私は黙って泣いた。

涙が溢れて溢れて止まらなかった。

じいちゃんは私の地元の思い出の宴会場を予約し、30人くらい入る部屋だから十分に距離が取れるだの、彼氏と会えるのがうれしいだの、なんだの言っていた気がする。

そうそう、そこは地元の部活の送迎会に使うような大きな宴会場だし、集合は各自の車だし、安心だね、なんて返した気もする。

とにかく心配しなくていいから、と言われ電話は切れた。

母に父の妄言は一部真実であったと伝える前にひときしり泣いた。

彼は黙って抱きしめて背中をさすってくれた。

彼も今年の年末に実のお母さんを亡くしたばかりだった。

私はじいちゃんの人格を誰かに説明するとき、いつもワンピースの白ひげみたいな人よ!と言う。

強く、大きく、酒飲みで、がははと笑い、大切な人を全力で守る、どんな息子でも結局は守ってしまうのだ。

父とじいちゃんの確執は深く、私たちが関与できる内容ではない。

父には父なりの理由があり、祖父に反発し、父なりに家族を作り、うまくいかず、気が狂った。

同情の余地はあるが到底許す気にはなれない。

それでも最終的にじいちゃんは父の居場所をつくり、病気になって、私たちには一つも悟らせようとせず黙って死のうとしていたのだ。

電話ではいつも通りの大きな声の元気なじいちゃんだった。

抗がん剤治療で毛が抜けだしているらしい。

私は、各位に帰省を中止しよう、と言った。

私たちのせいでじいちゃんの寿命がもっともっと縮まったら、一生後悔する。

みんな「いや、会うべきだ」と言った。

コロナになってもならなくても、いずれ亡くなる。しかももうすぐに。

なんなんだよ、もう

くそ

くそだ、こんなの

許してくれ

助けてくれ

私が何をしたって言うんだよ

弱っているじいちゃんを見る勇気がない。

じいちゃんの死を受け入れる覚悟がない。

私の中の白ひげが小さく細くなっている姿が想像できない。

コロナのせいでこんなに苦しいのか?

お父さんのせい?

私のせい・・・?

父を刺激して母を侮辱する妄言を増やすのが怖くて帰省できなかった。何が父のスイッチになるのか分からず、いつも唐突に怪文書は届いた。田舎の縁は切れているようで切れず、様々なところで会う必要があり、学校やバイトや帰省費を理由にほとんど帰省しなかった。

みんなのことは大好きなのに、ただ近くにいたいだけなのに、恐怖心と焦りしかなかった。

じいちゃんはまだ死んでない。

私にできることは何があるだろう。

余命幾ばくもない人の「会いたい」と言う頼みを断れようか。

私が殺したわけじゃないとしても、私が数か月分は縮めるかもしれないじゃないか。

何が正解なのかわからない

きっとどこにも正解はない

じいちゃんに手紙を書いた。

病気のことには触れず、ただただ大好きだと、愛してると。

いつまでもいつまでも元気でいてね、と。

この言葉で、内容で良いのか、そもそも渡すべきなのか、すら悩んでいる。

死者に祈りが届くと思えるほど何かの宗教を信仰しているわけではないので、生きているうちに、伝えたいこと、一緒にやりたいことをしなくてはならない。

時間はない。

ぼーっとしながら台所に立って、うどんを茹でた。

いつもどおりの配合で作ったはずなのに、出汁はしょっぱかった。

彼はおいしいよっと言って食べてくれたが、私はまずいまずいと繰り返し呟き、涙を汁にこぼしながら、麺をすすった。

そういえば、今日職場で少し切り傷を作ったのだが、皿を洗うとそこが痛み、心の悲しみや苦しみを一時的に忘れられるような気がした。自傷する人の気持ちが分かった気がする。

結婚式しない予定だったけど、じいちゃんと写真撮ろうか。もうこの際、その辺の高齢者全員と私のウエディング写真残してやろうか。それだったら、妹も弟も、父も母も、一緒に撮るか。瘦せてから写真とると駄々こねていたが人生最高体重のいまやるしかなさそうだ。いまから最短のとこ予約入れても何日か走り込んで筋トレしたら二の腕の羽消えるかな。

じいちゃん喜ぶかな。

苦しくて辛くて大変なのに、長生きしてね、なんて言っていいのかな。

長生きしてほしいよ、じいちゃん

あのくそ息子どうにかせんと

私に子供生まれたらどうすんのさ

私たちにやったみたいにでれでれに甘やかしてよ

私も

私もまだじいちゃんと話したりないんだ

いっぱい話そう

会えてなかった時間の分

彼とのことも話したいし、大学も楽しかったんだよ

じいちゃん

じいちゃん

死なないで

(いつか全員みんな死ぬ、絶対に死ぬ。特に自分より年上の人は自分より先に死ぬに決まってる、当たり前だ、むしろ死は救済だ、死があるから生きていけてる。なんて日頃は豪語していた奴が当事者になるとこれですよ。本当にもうなさけない。やれることをやる!ただそれだけ!!全部やりつくすぞ!!!〈翌日の私より〉)

(この文章をよんで私が誰だかわかった人もいるかもしれません。その人はラインか電話してください。ツイッターのDMでもいいよ。問題があれば即消します)

(この記事は下書きにして寝かしてあったものなので「今日」という表記は正確には「今日」ではありません。あしからず)

(コロナ禍の中、ずっと自粛生活を送ってきました。もちろん、私達が無症状感染者で家族以外の人にうつす可能性があることもわかっています。正直私はまだ帰省するかどうか迷っています。じいちゃんに会いたい、という気持ちと、死を受け入れるのが怖いという気持ち、コロナで家族やそれ以外の人にも迷惑をかけるかもしれない、という気持ち…何が正解かずっとわかりません。いまは後悔のないように私達からうつさないよう十分に対策をして会いに行きたいと考えています。これで叩かれるんならもう殺してくれ)

(数日たったら冷静になった私が消してくれるかと思ったけど投稿してるな)

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