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「鉄瓶でコーヒーを淹れる時 沸騰させてはいけない」の謎2(迷宮編)

 いやあ「鉄瓶でコーヒーを淹れる時 沸騰させてはいけない の謎」と題して記事を書いたら、twitter上で料理家の樋口直哉さんからは、「うーん。phの問題については単純に(鉄瓶とか関係なく)沸かすと二酸化炭素が抜けるのでアルカリ性に振れるというのが大きい気がする。
確かにご説ごもっとも。
もうお一人の鋭い読者の方からも「鉄瓶じゃない普通のやかんでもやってみないと比較できないじゃない」と言う趣旨のご指摘を。これまたごもっともです。
元々は広島国際大学の「水道水により表面に付着したカルシウムやマグネシウムなどのミネラル分が沸騰により再溶出してPHをアルカリ化し、硬度を上げているのではないか」と言う論文を追試したかっただけだったのですが、こう指摘されてしまってはしょうがない。
もうちょっと実験してみましょう。ちなみに前段のお話が分からない方は、まずこちらからお読みください。

少しきっちり実験しようとすると、すぐこんなかんじに…

 実験って、ちょっと真面目にやろうとすると、すぐこんな「高校の科学部状態」になってしまうのがつらいところ。あっと言う間に軽く散財していました。
ここで一度、議論を整理してみましょう。水を沸騰させた時にPHがアルカリ化する原因は大きく2つ考えられます。
(1)樋口さんが指摘しているように、元々水道水には二酸化炭素(CO2)が溶け込んで炭酸になることで酸性化しており、沸騰するとCO2が蒸発し、その分PH値がアルカリ化する(本当は中性化するが正確ですが)。
これはよく指摘されている事実です。
(2)広島国際大学の研究チームが指摘しているように、容器表面に付着した結晶化したカルシウムやマグネシウムなどが水に再溶出してPH値をアルカリ化する。すべてのミネラル分がPHに影響するわけではありませんが、カルシウムやマグネシウムなど水に溶ける際には「水酸化」するものは、理論上PH値はアルカリ性に振れやすくはなります。
どちらも「アリ」な議論なのですが、(1)のCO2説だけだと鉄瓶だろうがアルミのやかんだろうが条件は同じなので、「鉄瓶は沸騰させてはいけない」と言うコーヒー派の説はなんなのか?ってことになります。一方で(2)のミネラル分再溶出説は外国製粗悪製品と及源鋳造さんの国産南部鉄器の間に差が出ることに納得できないものが。

数年間使用したTSUBAME PRO(ステンレス製)

まあ何はともあれ、鉄瓶と比較になる容器を使って水道水を30分間沸騰させてからPHを測ってみます。新品のステンレス製の鍋みたいなものが良いのかもしれませんが、このお話は元々コーヒーのドリップのことなので、コーヒーを淹れる上で現実的なリファレンスを考えてみました。
それが写真のカフェケトルCAFECの「TSUBAME PRO」です。直接IHコンロにかけられて、かつグースネックの口が細いのでReproにかけて毎朝これでコーヒーを淹れています。
数年使用していますが、基本的に水道水は使わず「サントリー 南アルプスの天然水」を入れています。「南アルプスの天然水」は硬度30の軟水。なおかつReproで使っているので沸騰などさせません。大体85〜90℃ぐらいに加熱して使っています。だからポットの内側を見ても、ミネラル分らしきものの付着はほとんどわかりません。でも目には見えないながら少しはミネラル分の付着もあるはず。このぐらいの使用感があれば、鉄瓶との比較がコーヒードリップという作業のための実験として現実感があるのかと。

東京都港区の水道水はPH7.34

まずは本日も水道水のPHから。東京都港区の水道水のPHは7.34。前回と同じくほんのちょっとだけアルカリに振れたほぼ中性。まあ誤差の範囲ですね。

ステンレス製のTSUBAME PROで水道水を30分間沸騰させる

早速、ステンレス製のTSUBAME PROで水道水を30分間沸騰させます。これも実際のコーヒードリップをする時には「しないなあ…」っていう作業ですが、広島国際大学の実験に加熱条件を合わせているのでやむを得ず。

沸騰30分間加熱 PH7.34→PH9.75へアルカリ化

ええ〜 PH9.75って鉄瓶の時が、9.26だったからそれよりもアルカリ度が高いじゃないですか。PHで2.32もアルカリに振れちゃっています。やっぱり樋口さんの言うCO2説が正しいのかなあ…?
それにしてもCO2がなくなるとPHが10近くなるなんて、東京の水道水って…

90℃30分間加熱 PH7.34→PH8.15へ

ともかく実験なので、90℃で30分間加熱バージョンもやってみるとPH8.15。かなり中性に近いものの、鉄瓶がPH8.28なのでほとんど同じ傾向を示しています。

こうなるとPHメーターではなく、水溶液中のミネラル分がどうなっているのか?自体も調べる必要がありますね。さすがに成分分析器は自宅にないのですが、TDSメーター(つまりは一種の硬度メーター)にご登場いただきましょう。まずはざっくりしたミネラル分の分量から見ていきます。

左側が沸騰30分 143ppm 右側が90℃30分 155ppm

TSUBAME PROの場合、沸騰30分の場合のTDS(総溶解固形物)は143ppm、それに対して90℃30分の場合のTDSは155ppm。90℃30分の方がTDSの値が高いことを考えると、これはTSUBAME PROの内面に固着していたミネラル分が再溶出したものではなく、そもそもの東京都港区の水道水に溶け込んでいる物質がそのぐらいあるんだと言うことなのでしょう。東京の水道水って思ったより硬度があるんですね。

南アルプスの天然水・財宝・エビアンのPHとTDS(総溶解固形物)

良い機会なので、リファレンスの意味も込めて、家にあったミネラルウォーターのPHとTDS(総溶解固形物=硬度みたいなもの)を測ってみました。
「南アルプスの天然水」はほぼ中性、TDSも2桁台と、やっぱりいわゆる「軟水」。
中段は鹿児島県垂水市の地下1000mから採取したアルカリ温泉水「財宝」です。アルカリと言っても東京の水道水よりちょっとPHが高いぐらいで、TDSも東京の水道水と近いのですが、実際に飲んでみると軟水のような「甘み」を感じRepro開発チームメンバーの評判も最高のミネラルウォータです。でも多分みんな「すごい軟水」だと勘違いしているはず。人間の舌って当てにならならないもんですね。
そして最後は硬水の代表格「エビアン」。元々硬度が300ぐらいあるので、TDS378と言うのもそんな感じかと。ただPHは7.75と思いのほか中性で、ミネラル分の含有率が高いからと言って必ずしもアルカリ性に振れるわけでもないんだなあと。(当たり前ですが…)

左側が鉄瓶で沸騰30分間でTDS269   右側が90℃30分間でTDS230

そしてこちらが鉄瓶での沸騰30分の場合のTDSと90℃30分の場合のTDSです。TSUBAME PROが沸騰30分でTDS143だったのが、鉄瓶だとTDS269に増えています。この増分126が、鉄瓶の内面から再溶出した物質で、「鉄瓶でコーヒー」派のプロたちが「コーヒーの酸味を壊す」と口を揃えて言っている元凶?なのかもしれません。90℃30分加熱の方はTDS230と沸騰の場合より30ほどTDSが減っています。実際のドリップ作業では30分も加熱しないでしょうから、「コーヒーの酸味を壊す物質」の再溶出を防ぐことに、それなりに効果があるのかもしれません。
ただこのままでは、結論が分かりません。でも「コーヒーの酸味が損なわれている」とプロたちが口を揃えて言っているのですから、実際のコーヒーをドリップしてみればPHに違いが見られるかもしれません。

丸山珈琲のジョアン・ニュートン ナチュラル中煎り

「丸山珈琲のジョアン・ニュートン ナチュラル中煎り」。
もっとライトなローストがあれば酸味が多いのですが、家にあったコーヒー豆で一番酸味がありそうなものを使ってみます。
分かりやすくするために、リファレンスは通常に極めて近いドリップをします。
いつもは水道水は使いません。
TSUBAME PROに「南アルプスの天然水」を入れて85〜90℃にReproで加熱してドリップしています。元々ミネラルウォーターを使っているのでカルキ抜きのために沸騰させることもありません。もちろん90℃加熱時間も30分なんてかけません。

「南アルプスの天然水」使用 80℃でドリップ

Reproをスタートさせ、目標温度に到達してピッと鳴ったらすぐドリップを始めます。
ただ抽出温度は酸味に大きく影響するので、今回は酸味が最も出やすい低温=80℃でドリップしてみます。
コーヒー豆の量は15g、挽き目=3 とやや細かめにしてみました。
これで200mlのコーヒーを抽出します。

「南アルプスの天然水」TSUBAME PROで80℃加熱 PH4.92

結果はPH 4.92。この豆で、この温度でドリップすると、これが基本的な酸味になるのでしょう。
ちなみにコーヒーの酸味の成分は複雑で元の豆や製造工程によってその量や種類は大きく変化しますが、一般的には、最も多いのは「キナ酸」、焙煎によっても量が増え、コーヒーの風味に大きな影響を与えます。その他にはクエン酸、酢酸、リン酸なども存在します。
このTSUBAME PROでのドリップ方法をリファレンスにして、以下のいろんな鉄瓶ドリップを試してみます。

(1)鉄瓶で水道水を30分沸騰させたものをプア・オーバーに移して80℃に下げてドリップ。
(2)鉄瓶で水道水を30分90℃に加熱させたものをプア・オーバーに移して80℃に下げてドリップ。

左側が水道水を沸騰30分間後ドリップ 右側が水道水を90℃30分間加熱後ドリップ

(1)沸騰30分の水道水=PH5.21。リファレンスより0.29だけしかアルカリ化していません。思ったよりPHの変化は少ないですね。
(2)90℃30分の水道水に至ってはPH4.90。何とリファレンスよりPH値が下がっています。

次は、
(3)鉄瓶で水道水を一煮立ち(2〜3分)沸騰させたものをプア・オーバーに移して80℃に下げてドリップ。
(4)鉄瓶で水道水を90℃に加熱し、温度が安定するまで2〜3分待った後、プア・オーバーに移して80℃に下げてドリップ。

左側が水道水を沸騰2〜3分間後ドリップ 右側が水道水を90℃2〜3分間加熱後ドリップ

(3)沸騰させたらすぐ(2〜3分)の水道水で作ったコーヒーはPH4.96。(2)とほぼ同じPH値になっています。
(4)90℃に加熱してすぐの水道水ではPH5.00となぜか沸騰してすぐ よりも少しだけPH値が高くなっていますがほぼ誤差の範囲です。

次は、
(5)鉄瓶で「南アルプスの天然水」を一煮立ち(2〜3分)沸騰させたものをプア・オーバーに移して80℃に下げてドリップ。
(6)鉄瓶で「南アルプスの天然水」を90℃に加熱し、温度が安定するまで2〜3分待った後、プア・オーバーに移して80℃に下げてドリップ。
多分コーヒーのプロの皆さんがやっているのは(6)なのかな。自分が鉄瓶コーヒーを淹れるとしたら(6)を採用しますね。

(5)沸騰させたらすぐでPH5.00。軟水のミネラルウォーターを使っても水道水の時とほとんど変わらないですね。
(6)これは軟水を使い、90℃にして温度が安定したらすぐプア・オーバーに移すと言う、一番現実的なパターンですが、PH5.02。酸性度はまったく変わらないですね。

TSUBAME PRO(ステンレス製)で南アルプスの天然水を使ってコーヒーをドリップした場合のPH4.92、それに対して鉄瓶を使った場合のドリップの結果は以下の通り。

  1. 水道水 沸騰30分                              PH5.21 

  2. 水道水 90℃30分                            PH4.90

  3. 水道水   沸騰2〜3分                        PH4.96

  4. 水道水 90℃2〜3分                         PH5.00

  5. 南アルプスの天然水   沸騰2〜3分   PH5.0

  6. 南アルプスの天然水 90℃2〜3分   PH5.02

まあ、どんなやり方をしてもほとんどPHは変わっていません。しかしながら実際に飲んでみると、TSUBAME PROでドリップしたものが最も強く酸味を感じ、わずかな差ながらも(6)→(1)に向かうに従って酸味が削れていくのが分かります。官能評価士でもコーヒーのプロでもないので、正確なことは分かりませんが、鉄瓶で淹れたコーヒーの印象は、一口めには酸味を感じないのですが、二口めを口に含むと急に酸味が広がるような気がします。
実験の結果からも、鉄瓶を使ったからと言って本来コーヒーに含まれるべき「キナ
酸」や「クエン酸」などの酸が中和されてPHがアルカリ化しているから酸味が壊れるのではなく、鉄瓶から溶出する何かの成分が酸味をマスキングしているのではないかなあ、と言うのが今回の印象でした。(ちなみにTDSも各ドリップ方法でほとんど変わりませんでした)
そもそも水の硬度の高い地域ではコーヒーのコーヒーらしさを形作っているカフェインやタンニンの抽出が難しくなるのでフレンチプレスやエスプレッソなどの抽出方法が生み出されたと聞きます。
さらに2008年の日本調理科学会に提出された尚絅学院大学の論文「コーヒーの味に及ぼす抽出条件およびクロロゲン酸量の影響」によれば、焙煎によりキナ酸やコーヒー酸に変化する元の「クロロゲン酸」の量がコーヒーの酸味と正の相関関係にあるとしており、硬水ではこのクロロゲン酸量が有意に低くなるとしています。
鉄瓶で沸かすと苦味が酸味より立ってマスキングされているのか?クロロゲン酸の減少により酸味が減っているのか?こはっきりしたことが分からなくてごめんなさい。
なんとかクロロロゲン酸量を測定する成分分析器は大学あたりで貸してもらえそうなので、あとは味覚センサーかなあ…
どなたか「鉄瓶コーヒー」にご興味がある味覚センサーをお持ちの方、ご協力いただければ幸いです。
今回はラビリンスに入り込み、最終的な結論を出せませんでした。ちょっと壮大に成分分析をして、またご報告します!

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