責任も取らず生計も立てずいつの間にかアラサーになってしまった男

前提として、父は会計士、母は講師、わたしはごくつぶしという
プチ・ブルの家庭で育った。
父母ともに仕事が大好きで、昭和のモーレツサラリーマン
(今はビジネスパーソンと言うべきか)という呼び方がしっくり来る。
趣味と言ったらゴルフか時々見るテレビくらいで、土日も仕事をしている。
兄も同様で、よくそこまで仕事ができるものだと常々思っているが、
祖母や祖父もそうなのでおそらく血筋で、わたしが突然変異なのだろう。

幼稚園では友達がおらずほとんどいじめられていた記憶しかない。
父母もわたしを運動好きにするためかサッカー教室や運動教室に入れたが、残念ながら思い通りには行かず、
休み時間も本を読んでいた。図書室はほとんど利用者がいないので
本が更新されず、ずっと同じ本を読んでいた思い出がある。

父母は自身を厳しく律して立派な大人となったためか、
娯楽には規制が多かった。
マンガは許可制、ゲームは完全禁止、しかしコミュニケーションの
重要さは分かっていたためか、
他人の家に遊びに行ったりそこでゲームをしたりするのは制限がなかった。

ただし、内気で運動ができず、わたしと正反対の兄にずっとくっついて
外部と交流していたわたしは、単独では何もできず、
友達も数えるほどしかいなかった(こういう人間でも数人友達ができるのが小学生のいいところである)

さて、高学年になると自動的に中学受験が始まった。
実はPCには規制がなく、2chや当時最盛期だったFLASH(今は無いものなので簡単に説明すると、おもしろネタや風刺、思想などを盛り込んだ数分程度の動画やゲームのコンテンツ。youtube shortみたいな感じ)などを閲覧することができたが、それも完全に禁止となった。漫画もいつの間にか家から消えていた。

受験時代はすべての娯楽が制限され、すべての努力を勉強に向ける総動員体制となっていた。
すべての力をいつか起きる最終的なカタストロフィ(または勝利)に向け投射し、その後のことは想像だにしない、今振り返るとある種の終末思想に似ている。

「受験に受かりさえすればこのような苦しい勉強を一生せずにすむ」という願いを抱きながら、3年間に向き合っていた。

塾で集団授業だと全く頭に入らないので、金をかけて
個別授業を頼んでいた。
何かの漫画で中学受験は才能や努力でなく親の狂気で受かると
書いてあったが、まさにその通りだと思う。
親の財力と知的な資源が目標に向けられ、その成功が私を受験で「勝利」させたのだ。

こう書くと典型的な「お受験家族」に見えてしまうが、
父母がわたしの性格や人格を小学生時点で見抜いていたからこその
思いやりだったのではないかと思う。
確かに父母の時代は慶應中学にさえ入ってしまえば、
その後のエスカレーターからよほどのことがなければ落伍せず、
同窓会も強いので誰かが面倒を見てくれたのだろう。

さて、3年間に全力を投射した私はほぼ中身のない人間となり、
一生勉強しなくていいと思い込んでいたので
勉強せず当たり前に落ちこぼれてしまった。

中高とそのような過ごし方で、
なんとか慶應にしがみついていたというのが実情だった。
慶應でよかった点は、そのような中身のない人間でも
友人ができることである。慶應生はその程度の欠陥であれば見逃してくれるのが美点だった。

大学に関してはここ(四留記)に書いたので割愛する。

ここまで長々と書いたが、私の人生を総括するとおおむねこのようになる。

・いじめられて育つ幼少期
・受験にすべてを投射する小学生
・中身のない落ちこぼれの中高生
・怠慢で留年&ラッキョウの災厄で無駄に年を重ねた大学
・社会不適合者として新人からいきなり窓際になる社会人

これを概観してきてわかることは、自分で選択したこと、自分で努力したこと、自分で責任をとったことがほとんどないさまである。

外部の状況や要因によって行動せざるを得なかった際には、
一般的な「努力」を行ったことがあるが、
これは普通の人間なら普通に「努力」することであり、
自分の選択に起因する努力や責任を取ることはほとんどなかった。

「責任」の定義として、
「自分自身が〇〇をしなければ自分自身もしくは他人が××という損害を受けてしまう」という状況から逃げないこと、と考えているのだが、
わたしにはそれがなかった。

例えば受験専門の塾講師をした際のことを考えてみよう。
「わたしが授業を放棄すると、
この生徒は希望する大学に受かることができない」
これが責任である。

わたしは一時期留学エージェントでアルバイトをしており、
「私が仕事から逃げたら先輩社員の仕事が増える」
状況ではあったが、だとしてもたかが知れており、
ちょっと謝れば回復可能な「損害」であった。

アルバイトと違い、社会人になれば自分で
責任を持つことが増えるのだが、わたしは大学で人生を
無為に過ごしたのでようやく26歳で社会人になった。
また短い期間で転職をしたため、現在アラサーなのに「新入社員」である。

親はプチ・ブルなので最悪実家に逃げ込めば自身で生計を立てる必要がない。
かくして
「責任も取らず生計も立てずいつの間にかアラサーになってしまった男」
という化け物が誕生したのである。

現職の上司はかなり物事をはっきり言う
(そしてわたしもかなりはっきり返すことが許される)タイプで、
わたしも「新入社員が業務を5年覚えなかったらどやされるのに、なぜあなたはzoomの使い方をご存じないのですか」
と言っても許されるような会社なのだが、

仕事がなく、精神薬の効果もあって居眠りを繰り返した後叱責された際に上司に言われたのが、「君は図体だけ大きな子供だな」「そういうことを話して、『僕可哀そうなんです』と思われたいのか?」
いうコメントであった。

これには正直反論できない。らっきょ災厄に関しても後輩たちに対する警告の面もあったが、
「わたしはこのような迫害を受けた可哀そうな人間なんです」というアピールがなかったかというと否定できないのである。
仮にこの上司の反応が間違っていたとしても、上司と同年代の人々が私と接して得る感触の好例なのではないだろうか?

仕事や結婚、子育てにおいてはこのようなアピールが何の意味もなさないことが多々ある。
わたしはそれらすべてを経験せず、もしくは一部しか経験せず、子供のまま、無駄なアピールをし続ける中途半端な存在になってしまった。

さて現在のわたしの概況を説明しておこう。

年収は同世代の慶應生の2/3程度である。これは正直なところ、
ぼろぼろの学歴や職歴から見てもまだうまく行っているほうだと思う。
仕事は営業であるが、日中は常に眠く、居眠りしているので無能さが周囲に知れ渡っているためあまり重要な仕事は任されない。
営業の仕事のほとんどは電話とメールなのだが、電話は致命的にへたくそ、メールは文章力がなく誤字脱字が多いのでこのようなことになる。
よって仕事時間のほとんどは空想をして過ごしている。
最初は喜んでいたがだんだんとやることがなさ過ぎて飽きてきている。

転職活動をしたことはあり、初対面の相手には受けがいいので
最終面接までは突破するが、内定は得られない。
それまでに多数の人間を見てきたことがある役員級の面接官には
見抜かれるのであろう。

婚活はあまり形勢がよくない。
①年齢が微妙 ②言動が子供っぽい ③年収が低い ためである。

アニメや漫画はまだかろうじて好きだが、
アニメも漫画もかつてほど情熱をもって見ていない。
twitterで流れてくるエッチな二次創作の絵を保存しているだけである。

週末は独身友達や後輩と動物を触りに行ったり散歩をしたりしている。
たくさん仕事を任されていたり起業していたり結婚していたりする友人もいるが、皆わたしがコンプレックスを感じないように接してくれている。

鬱病に関してはまだ薬が手放せていない。
わたしは当初、この鬱病がらっきょ災厄から来るものだと
考えていたのだが、じつは既に生まれたときからはじまっていたのではないかと思い始めている
つまり、「鬱病」ではなく「新型鬱病」、
一言でいえば「週末は元気で仕事では元気がない」
従来では「甘え」と言われていた病気である。(ちなみに、寝るのは大好きなので家にいるとほとんど寝ている)

この病気はいつ直るのであろうか。
仮に私が責任や生計を取る段階になったとしても、
最後の最後の土壇場では別の何かのせいにしてしまうのだろうという
なさけない自信がある。

責任を取らずに生き残る道、
それを探すことこそが私の人生に対する責任の取り方になるだろう。

今、たかが留年とかいうた奴、出てこい!慶應で留年した奴がそんなに珍しいかよ!留年したやつに、怖いものなんかないぞ!よぅ!留年したんだよ、留年したんだよ!よぅ!よぅ!分かるかよ!分かるかよ!留年したやつの気持ちが、わかるかってんだよ!よぅ!よぅ!


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