慶應で四留した話

留年記
レペゼン原級

私はこのまだ短い人生で四回の留年を経験している。
その話を後輩にしたら、「是非とも文章にするべき」と言われたので、恥を忍んでここに文章にしておく。文章をこのように書いたのははじめてのことである。私がひとりで独断と偏見で書いているので、もちろん独断と偏見に満ちている。細かい時間の食い違いや、間違いをふくんでいるだろうが、それもまとめて、 いち馬鹿学生の体験記としてご笑納いただけると幸いである。文中にあらわした考えはすべて私一人の見解であるので、私以外の誰も関係ない。
いろいろグダグダ書いていたら19000字(!)になってしまったので、暇な人に読んでいただけたら幸いである。

話は2019年、2月に遡る。

目の前に座る教授は、私を眼鏡越しにじっと睨みつけていた。
「しかし、それだと同じ学年に二回留年で退学になってしまうんですが・・・」
私の声は震えていた。教授は繰り返した。
「西洋史学科として、君を進級させるわけにはいきませんね」

第一章 恥多き人生

私は現在24歳、しかしながらまだ大学三年生である。浪人はしていない。すなわち、留年を四回している事になる。
私は父親母親ともに、プチ・ブルジョワの家庭に生まれ、両親は兄と私に学習面で多額の投資をした。結果兄は父と同じ職業についた。しかし私はごくつぶしのままである。
なぜだろうか。私は慶應に中等部から入学した。今思うと奇妙な学校であった。授業中の居眠りのほうが、同級生を階段から突き落とすよりも重罪なのである。燃え尽きタイプであった私は中学で早くも落ちこぼれ、2010年に入学した高校では青息吐息で一度留年した。内部の高校から大学に推薦を貰う際は成績が関わってくる。すなわち(進級できるとはいえ)一番低い成績を取るとSFCキャンパスの学部、次が文学部、商学部、と続いていく。

ちなみに、数年前までニューヨーク高と女子高は留年させないといわれていた。とはいえニューヨーク高では3年間の海外生活費と、異国の生活に耐えうるだけの精神力、そして女子高では非常に濃い人間監獄を生き抜く精神力が必要なので、どちらも決して簡単ではないのだが。

私はあまりにも成績が悪かったために文学部に入ることになった。人より一年遅れた、2014年のことであった。
 文学部では語学が大きな比重を占める。私は高校でドイツ語の選択授業をとっていたが、基礎から学びなおしたいと思い、初級を申請した。しかし何の通告もなくいきなり中級にふりわけられた。一年は何とかお情けで進級した。2015年、二年生は駄目だった。これで二度目の留年である。
 2016年、二回目の二年を何とか乗り越えたが、次に専攻の壁が立ちふさがった。成績の悪いものは希望者の少ない専攻に振り分けられる。ここでも私に選択肢はなく、西洋史学専攻に入った。
 2017年、三年生で私の前に現れたのが、冒頭で言及した教授である。愛称をこめてラッキョウ先生と呼ぼう。

第二章 邂逅

 ラッキョウ先生とは、さいしょから上手くいかない雰囲気が出ていた。初回授業でコの字型に座る生徒たちを前に、ラッキョウ先生はプリントを配ってこう言った。


「この命令書を発行した組織はどこでしょう?」


見る限り、SS(ナチ親衛隊)である。しばらく様子を見ていた。ラッキョウ先生はまずお気に入りの生徒たち数人に質問を投げかけるからである。このお気に入りたち(私はラッキョウチルドレンと呼んでいる)は、西洋史専攻で最良のラッキョウ先生のゼミに所属する、成績優秀なものたちである。成績優秀なので当然性格も朗らかでやる気に満ちている。

「○○くん、わかる?」
「すみません、わかりません」
「××さんは?」
「すみません、ちょっと・・・」
「えー××さん分からないはずないでしょ?」

ラッキョウ先生はチルドレンだけでなく普通の生徒にも範囲を伸ばす。この見極めが大事である。良いタイミングで、先生が回答を言う前にさっと答える、こうすれば私の覚えもめでたくなるはずである。そう思っていた。

「あの・・・」


私はおずおずと手を上げた。


「SSですよね?親衛隊の」


その後のラッキョウ先生の答えは忘れられない。


「ああはい」


そして不満げな表情をし、一言でその問題をすませ、次に進んでいったのであった。

一年目はこのようなことが度々あった。チルドレンは文法知識が私に比べてはるかにあり、ドイツ語を読むのも上手だが、背景知識や隙間知識では私に長があることもあり、
例えば突撃隊と親衛隊の違いだとか、当時の情勢だとか、革命家の名前だとか、答えられないことが度々あり(もしかしたら、わかっていても悪目立ちしないために知らないふりをしていたのかもしれない)、私は毎回アピールのためにそれに答えるようにしていた。
しかしチルドレンと私が答えるときのラッキョウ先生の態度は明らかに違っており、総じて冷淡で、さっさと次に行きたい、という態度を醸し出していた。
その様子に同じ講義を受けている一人が「お前、ラッキョウ先生に何かしたのか?」と聞いてくるほどであり、私にも皆目わからなかった。
今思い返すと、おそらく教授は受講している生徒全員の経歴と成績を見ることができるので、「甘やかされた」内部出身で「留年もしているほど熱意がない」と考えられていたのではないだろうか。後述のラッキョウ先生への質問状などでもついぞラッキョウ先生の心のうちは明かされなかったので、どう考えていたかは本人のみが知るのだろう。

さて、この授業は、「演習」という名前だったが、当てられた一文節を生徒が訳し、そこにラッキョウ先生が補足説明をする、というむしろ原典購読としてオーソドックスな進めかたであった。

私は「壊れた翻訳機のようですね」「日本語が苦手な外国人が喋ってるみたい」「全然駄目ですね」などのありがたい感想を頂戴しながらも、授業には続けて出席した。しかし結果的には留年してしまった。これに関しては(冷淡な態度にやる気を失っていたとはいえ)単純に前期後期のテストの点が悪かった結果であった。ラッキョウ先生は冷淡ではあったが、それだけだった。年を越し春に差し掛かった2018年の3月留年が決まり、私は三度目の留年とそれにたいする両親からの叱咤を、行き付けの中華料理屋で聞いていた。目の前の回転式テーブルにはおいしそうな匂いを出し、てかてか光るエビチリが置いてあった。

第三章 一さいおこれば二さいおこる


冒頭の題は浄瑠璃の「心中万年草」(1710)から引用した言葉である。引用すると深いことを言っているような気になるので、今後多用したいと思う。中国語では一而再,再而三(一度あることは二度おき、二度あることは三度おきる)などの言葉があり、これは水滸伝の続編として書かれた荡寇志に登場する。面白いことにこれも「心中万年草」とほぼ同じ時代の作品である。
ドイツ語ではどうだろうか。「Ein Unglück kommt selten allein」というフレーズがあるらしく、これは「不幸は仲間を好む」で、どちらかと言えば泣きっ面に蜂である。

 さて、私は大学二度目の留年(一年ぶり三回目)に文字通り泣きそうになりながら、ラッキョウ先生の二度目の授業に望んだ。私も今度ばかりは無策ではなかった。2018年は電子化の年である。まずメモのためにipadを導入したのであった。このipad導入ものちのち大きな不幸を呼び寄せたのだが、それは後のお楽しみにしていただきたい。やはり私が不幸だったからipadという不幸仲間を呼び寄せてしまったのだろうか。いや、それでも三回留年できる金が家にあったのは幸運なことである。
このipadでメモを取る他に、ドイツ語の家庭教師を頼むことにした。いまどき家庭教師を頼んでいる大学生などいないだろうし、つくづく自分がプチブルの馬鹿息子であることが身にしみたが、なりふりは構っていられなかった。
 私は絶望的にドイツ語ができないので、まず文章の単語をすべて辞書引きし、単語の羅列を作って、それをうんうん唸りながら眺めてなんとか文章らしい形に組みなおし、家庭教師の授業とチェックを受けて授業に臨んだ。単語はメモしておき、パソコンで調べて、発音や背景知識の予習もした。これもひとえに授業中のアピールのためである。

ラッキョウ先生は相変わらず冷たかったが、これはまずまずの効果を上げた。私が発言するたびにラッキョウ先生はうるさそうな顔でこちらを眺め、ミスをするとうれしそうに顔をゆがめて「勉強が足りませんね」と語りかけては来るものの、概ね平穏無事に終わり、前期テストでは合格点の60点を取った。私の思う限りでは出席点も高いはずなので、これでもう安心である。前期最終授業後食堂でラッキョウ先生とばったり出くわし、「この点なら大丈夫ですね」というお墨付きも貰ったので天にも昇る気持ちであった。

第四章 君子豹変、小人革面


豹変する、という言葉は、現在「いきなり態度が(悪い方向に)変わる」という意味で使われているが、この言葉が出てくる「易経」では君子のような立派な人は間違いに気付けばすぐに態度を改めるが、小人、つまり小者は上っ面しか理解できないので表面だけを改めることしかできない、という意味になる。そのため、豹変は本来良い方向で使われる言葉だった。
 さて、私は君子だろうか。明らかに小人であるような気がする。ドイツ語も上っ面を通り越して薄皮か表面の空気程度にしか理解できていないし、物事への理解がないのでラッキョウ先生の深遠な御心も理解できないでいる。こんな文章を書いている時点で小人だろう。


 わたしが精神状態を悪化させたのは、2018年、二度目の三年生の後期からだった。もはや他に取るべき単位はなく、この授業の単位さえ取得すれば、あとは四年生で卒業論文を仕上げるだけで卒業できる。繰り返す留年で授業を取りまくっていたので、履修できる授業も少なくなっており、この1単位のためだけに親は学費120万を払い、一方ごくつぶしの私は空いた時間で適当な講義をとったり、親の機嫌をとったり、アルバイトで教鞭を執ったりしていた。
 しかしラッキョウ先生は豹変した。悪い方向にである。まず態度は更に冷たさを増した。そしてipadを使っていることを皮肉られるようになった。上手く翻訳ができれば「グーグル翻訳がそう言ったのですか?」「君はパソコンを使うのが上手ですね」、そして私が間違えることを今か今かと待ち受けていた。私がなんとか一文を訳すと、その文の中の細かい場所を抜き出して、「ここはどういう意味か」と聞いてくる。私は訳した最終段階のものしか持っていなかったり、思いもよらない質問だったりするのでまごつく。するとラッキョウ先生はいつものように顔を揺らし、「全然駄目ですねぇ」と投げかけてくるのである。
 まわりにも時々顔揺らしをする人がいるので、私もやってみた、するとなんだか頭がすっきりし、心がスカッとした。首揺らし健康法というわけである。ラッキョウ先生は喜ぶとこの首揺らしを強めるくせがあった。


 ラッキョウ先生はどうやら私がツールを使って翻訳していると思い込んでいるようだった。そして私が授業中にipadで遊んでいるとも考えているようだった。ラッキョウチルドレンの一人に聞いたことがある。「私の授業中にツールを使っている子がいるんですが、どうしましょうかね」「言っても分かってくれない子がいるんですよねえ」ラッキョウ先生はゼミでそう発言したとのことである。

 私はラッキョウ先生の授業に出るたびに皮肉を投げかけられるか怒られるか、授業中に発言しても冷たく流されるので次第に出たくなくなっていたが、単位のためには出ていた。胃薬と精神薬を服用しながら出席していた。ラッキョウ先生の顔を見るたびに口の中に苦いものがあふれ、胃袋がチクチク騒ぎ出し、寒気がし、ぶるぶる震えてくるので、暖房をつけっ放しにした教室でも上着を着込んだままだった。ラッキョウ先生からは「暑そうですねぇ」とのことだった。
 ラッキョウ先生が一番嫌っているのは、どうやら私で間違いなかったようだが、こんなこともあった。ラッキョウチルドレンでないがドイツ語が一番か二番目にできる生徒がいた。その生徒が机にスマートフォンを出しているのを見ると、いきなり「授業を録音しないでください!」と怒り出した。他にもスマートフォンを出している生徒もいたが、なぜかその生徒だけが毎回言い募られていた。口調はだんだん変化していき「授業を録音しないで!」「授業の録音はですね、学則で禁止されているんですよ!」怒られるようになって三回目くらいの授業でその生徒はとうとうスマートフォンを机の上に出さなくなった。
 この行動にはどのような意味があったのだろうか?ラッキョウ先生の生徒の一人は「スマートフォンが目障りだったのでは」と予想したが、しかし他にもスマートフォンを出している生徒はいた。今でも不可解な事件であった。


 クリスマスくらいの時期になると不眠、胃痛、欝の東方の三賢人が私に襲い掛かっていた。
 ドイツ語の苦手な私は文章と和訳を丸覚えしてから望むしかない。不眠と抗鬱剤の効果でへろへろになった頭にたたきこみ、最悪の精神状態で試験に臨んだ。そして結果は9点であった。ラッキョウ先生は「今回はみんな点が低かったから十点くらい加点します」というがこれでは加点しても焼け石に水である。

※ちなみに、らっきょう教授の「試験」はすべて記述式であった。「期末試験」であれば採点の過程を明らかにしなければならないのだが、「授業内試験」であればそれを開示する必要はない。
また、提示された独文を日本語に訳すものであったが、日本語の誤字があるたびに一点マイナスされていた。(ということをほかの学生に話したら、その人は別にそこまで細かく採点されていなかったことが判明した。つまり、採点は胸先三寸であった。

そして、話は2019年4月、冒頭に戻る。

「しかし、それだと同じ学年に二回留年で退学になってしまうんですが・・・」
私の声は震えていた。教授は繰り返した。
「西洋史学科として、君を進級させるわけにはいきませんね」
「君は熱意もなく、パソコンが得意なんだから活用すれば良いのに、ずっとツールを使用していましたね」
「西洋史の基礎的な知識も知識もありませんね。だから上げられません」

私はふらふらしながら帰宅した。家庭教師にスキャンした答案を送ると「これなら30点くらいあげてもいいんじゃない」と言っていた。

第五章 Damned Damned Damned


 あとから学生部を尋ねて知ったのだが、同じ学年で二回留年すると退学という制度はかなり前になくなり、1,2年を4年で、2,3年を4年で抜ければいいことになっていた。すなわち、3,3,3、4という留年の仕方が許されるのである。
 しかしそれを知らなかったので、すっかりそこで退学になり、高卒として就職しなければならないと思い込んだ私は、ラッキョウ先生から前出の言葉を告げられた日から大学中退者向けのセミナーを予約し、2日で3つのセミナーと、3つの転職エージェントに行った。
中退セミナーでは、「中退したとはいえ大学卒業程度の知識を持っているあなた方を欲しがる会社は多いですよ」と言われ明るい気分になったが、その後研修ビデオを見せられて目の前が真っ暗になった。
 朝礼甲子園のような映像といえば分かりやすいだろうか、大声で元気よく挨拶をするのが基本(これはいい)、そして研修では街中の会社員やオフィスに押しかけて名刺を交換させる、というものだった。よく田町駅の前や橋の真ん中にいるあれである。すなわち、我々は「大学中退」ですらなく、「高卒後数年遊んでいた人たち」でしかないのだった。
 研修ビデオを見た後はなぜか周りの席の中退者たちと今見たビデオについてグループディスカッションをさせられた。皆中退した直後で表情は暗い。また私のように成績で中退したものは少数派で、どうしても朝起きられないだとか、心を病んで大学にいけなくなっただとか、病気だとか、家庭の事情など深刻なものばかりで、肩身が狭かった。
結局私は大学になんとかしがみつくことができたが、あの暗い表情の彼ら彼女たちはどうなったのだろうか。どうか幸運な就職活動をして、幸せに生きていて欲しい。大学の在学経験が粗末に扱われていないでほしい。そう願わずにはいられない。

第六章 タイトルを考えるのが面倒くさくなりました 


 その後学生部に行き、前述の活動が無意味であることが分かった。結果的に残れたのであるから、取り越し苦労ではあったがホッとした。親には何度目か分からない頭を下げ、なんとか残留を許してもらった。
 それから考えて、やはりラッキョウ先生には納得がいかないところが多かった。メールを送り、質問をした。
メールのやり取りについて以下に交信記録を載せたいと思う。個人が特定できる箇所は隠してあるのでご了承いただきたい。
ラッキョウ先生のおことばに登場する「君の頭の中にある世界観のようなことはありません」と言われてしまうので最後に付録としてメールソフトのスクリーンショットを載せておきたいと思う。


メールのやりとり

2019/3/9、母 から ラッキョウ先生 へのメール

○○先生

初めまして。
○○先生の西洋史演習を2017年度、2018年度と履修しておりました××の母親です。
この度、この科目で再度原級留置という結果になり、大変落胆しております。既に就職活動も開始しており、選考も進んでいる最中であり、痛手は大変なものです。
既に成人であり、学業は全て学生本人の責任であると十分に理解しておりますが、そのうえで、保証人としてこのようなメールをいたしましたことをお許しください。
私はドイツ語は全くの門外漢であり、細かいことはわかりません。あくまで以下記することは息子から聞いた内容ですので認識違いがありましたら訂正くださいませ。
2018年の教材は、前期と後期では後期のほうがレベルがだいぶ上がりました。前期はドイツ語を外国語として学ぶ学生向けのレベルだったのに対し、後期はドイツ人学生の高等教育レベルでした。試験の出題方式は、前期・後期試験とも原文を変えた文章でした。前期はまだ意味がとれたものの、後期は歯が立たなくなってしまいました。履修者は約20人で、うち5人が合格点に達していない模様です。本人の成績は前期が60点、後期が9点でした。後期はクラス全体に10点加算の措置がとられました。
前期でも合格ギリギリの成績であるのに、それをレベルを上げて、更に文章も変えて出題するのは、落第点を取るのは目に見えているのではないでしょうか。できない学生に対して、何かscaffoldingされましたでしょうか。ついてこられれば合格、こられない学生は点数で自動的に不合格、となっていないでしょうか。クリアした学生は安堵するでしょう。しなかった学生は即原級を意味するのです。救済制度もありません。再試もありません。ましてや、ドイツ語のご担当は○○先生お一人です。できない学生は不安のまま一年を過ごし、後期に授業内容がレベルアップして限界になり、結果原級というのは過酷ではないでしょうか。
20人中15人の学生はクリアするのですから、優秀な学生が多いのでしょうね。ただ、どう頑張ってもあまりできない学生もいるのです。そのなかには努力をしてもドイツ人学生のレベルには追いつかない、仕方ない、丸暗記だとなる学生もいます。
西洋史学科での西洋史演習の位置づけはどこにあるのでしょうか。
文献をドイツ語で読めるようになることであるとしたら、せめて、各人のドイツ語の必要度に応じて、選択性にできないものでしょうか。ドイツが研究対象でない学生もいます。現地学生の高等教育レベルと、ドイツ語を外国語として学ぶ学生向けがあれば、このような不幸を防げるのではないでしょうか。
また、国立大学の医学部でさえ、必修科目では再試があると聞きます。慶應文学部でなぜそのような救済措置がないのでしょうか。学費負担もさることながら、学生本人、周囲の人間の精神的負担もかなりのものです。二度続けての原級留置が本人ならずともここまで心と体の負担になるとは経験した者でないとわかりません。
どうか、今の方式では這い上がりたくても這い上がれない学生もいることに思いを馳せてください。そのような学生は他の科目でも同様に苦しんでいるかもしれません。学業成績が振るわなくても人の痛みが分かる、優しい学生もいるでしょう。その後社会人になって活躍できる人もいるでしょう。
大学教育は何のためにあるのでしょうか。その後、自立して社会の一員としての責任を果たしていく最後の仕上げではないでしょうか。
そのスタート地点にも立てない苦しみを味わう学生が、現状、少なからずいるのです。
私も妹も、従妹弟、叔父叔母、本人の兄も塾員です。本人も中学から慶應には10年以上在籍しております。私たち姉妹は連合三田会でも毎回実行委員として、間接的にではありますが、精一杯塾のために尽くしてきました。私は中等部、女子高で教員の経験もあり、慶應で得た繋がりは一生の宝です。ただ、この二年で感じたのは、原級留置に対して西洋史学科は、そしてこの学校はとても冷淡なのだなということです。
人生は短いです。教授内容もさることながら、学生がよりよい人生を送れるよう導いていくのが教員である自分の務めであると私は考えます。先生は如何お考えでしょうか。
現在、私は大学講師をしておりますので、先生の学生に対する思いを是非勉強したいと思っております。ご返信頂けましたら幸いです。

23にもなって母親に頼るのは情けないが、慶應の性格として、生徒には厳しいのに親が出てくると途端に態度が軟化するということがある(広告研究会の先例を見るべし)
また、親もこのときは中退だと思い込んでいたのでなりふり構っていられなかったふしもある。結論から言ってしまえば命乞いで、ここに載せるのはとても恥ずかしいが、ご笑納いただけると幸いである。

2019/3/9 らっきょう先生 から 母 への返信

××様
メールをいただきました。××君の件についてお答えします。
××君の西洋史演習履修上の問題は、課題のテキストを全て翻訳ソフトにかけて授業に参加することでした。間違ってもよいから一つ一つの単語を辞書を引いて意味を調べてくるように12月の最終週まで言い続けましたが、結局単語を個別に辞書で引いてくることはありませんでした。そのために「市民」、「法律」、「法治国家」、「西洋」と言った、繰り返しテキストに出てくる、歴史学の学習に必要な最低限の単語が、××君が自ら訳したいと言って授業中に訳してくれた文章のなかに含まれていても、全くわからないということが繰り返されました。演習参加者全員の前で、授業中に何度も何度も辞書を調べるようにこちらが繰り返したことで、一部の学生は辟易としていたようです。テストの問題は、テキストの文章を簡易化して順番を変えました。電子辞書も普及して簡単に単語を引くことができる時代ですので、文章中の単語を調べようとする態度を示してくれていたら有り難かったです。他の学生の場合もそうですが、得点よりも学習態度の方が重要です。すぐに読めるようにならなくとも全く問題ありません。予習時に筋が通らない訳になっても構いません。独学では読むことが難しい文献を、教員の助けを得て読む力が少しずつでも伸びていることを実感してもらえたらそれで十分です。どのように読んだらよいか、ヨーロッパの歴史家が何を問題にしてどのような書き方をしているのか、それがわかってもらえれば嬉しいです。××君については西洋史専攻の他の教員にも昨年の5月頃から何度か話をしていますので、情報は共有されています。××君は最後まで鉛筆やペンを持ってくることもなく、テキストはスキャンをして翻訳にかけているようで、うまくスキャンができなかった時は、読んでもらうと文頭が欠けていることもありました。得点よりも授業の参加態度や学習への態度がはるかに重要であると思われることに変わりはありません。(言及された受講学生の数ですが、今回の演習の登録者は20人ではなく18人で一人は年に二度出席しただけでした。)
○○

>間違ってもよいから一つ一つの単語を
さて、間違えると鬼の首を取ったように喜んでいたのは私の幻覚だったのだろうか?
>そのために「市民」、「法律」、「法治国家」、「西洋」と言った、繰り返しテキストに出てくる、歴史学の学習に必要な最低限の単語が、××君が自ら訳したいと言って授業中に訳してくれた文章のなかに含まれていても、全くわからないということが繰り返されました。

「市民」、「法律」、「法治国家」、「西洋」、これは「bürger」「Rechts」「Rechtsstaat」「abendland」に対応している。しかしどの単語も文中に一度しか出てこない。繰り返しとは?しかも私が担当して訳したのは「西洋」と「市民」のみである。


>××君は最後まで鉛筆やペンを持ってくることもなく
Ipadの画面を見せて何でノートを取っているか何度も見せていたのだが・・・。
また「君の世界観の~」と言われてはたまらないので、最後にノートのスクリーンショットを載せておく。

画像1

画像2

2019 3/10 母 から らっきょう先生 への返信


繰り返し命乞いをしているだけなので、メールの最後に載せた私からのメールを書いておく。


文学部三年の××です。
この度はご迷惑おかけしたことをお詫び申し上げます。
いくつか誤解されている点があるようなので訂正させてください。
まず翻訳機ですが、後期の二回目にお叱り頂いてからは使用しておりません。また翻訳機では全く頓珍漢な訳になってしまうため、使用に耐えるものではありませんでした。
「翻訳はそう言っているのですね」とおっしゃるたびに否定していましたが、解っていただけなかったようでしたので最後は否定を諦めていました。
昨年留年してから自分はドイツ語の学外の先生にお願いして、自分が訳したもの(実力が無かったので単語の羅列になっていましたが)をまともな訳にしてもらい、それを もって授業に臨んでいました。そのため、文章全体の訳は何とかなっても、詳細な部分の質問を受けると対応ができず、結果答えられませんでした。また単語も覚えられなかったため、聞かれても答えられませんでした。この点はすべて自分の勉強と実力不足に責任があります。
単語に関しては教わった単語をquizletというアプリで単語帳にしていましたが、これも覚えきれませんでした。また、服を着込んでいて授業態度が悪いと思われたかもしれませんが、実際のところ、どうしても進級しなくてはいけない恐怖感があり、悪寒と腹痛がしていたためです。毎回内心ぼろぼろの状態で、授業点を下げられないように笑顔で受講しておりました。決してふざけてへらへらしていたわけではありません。
授業中にipadをいじっていたのは遊びやその場で翻訳機にかけるためではなく、ノートを取っていたためです(いくつか画像を添付しました)。また、何度もノートをお見せしたはずです。今でも先生と進級への恐怖感があります。本当は母親にもメールを送って欲しくなかったので止めましたが、誤解をされたままでいたくなかったのでメールを送りました。
結果が出た後にこのようなことを言うのは先生を不快にさせてしまうだけでなく意気地のないことだと思います。申し訳ありません。先生は非常に優秀な方ですし、授業も進級単位がかかっていなければ面白かったのですが、私はついていくことができませんでした。これは偏に私の至らなさと不勉強にあります。重ねてお詫び申し上げます。


このメールに対し、らっきょう先生からの返信はなし(4日間)

時間切れになれば私は自動的に留年となるので、無視を決め込んだようだった。やはり親には態度が弱いのに生徒には強く出るのが慶應義塾の誇るべき伝統のようである。

しようがないので私はもう一度ラッキョウ先生にメールを送ったのだった。

3/13 私 から ラッキョウ先生 へのメール

○○教授

先日母からお送りしたメールは見て頂けましたでしょうか。お忙しいなか恐縮ですが、ご確認の程お願いいたします。入れ違いになっているといけないので、もう一度送らせていただきます。文学部三年の××です。
この度はご迷惑おかけしたことをお詫び申し上げます。
いくつか誤解されている点があるようなので訂正させてください。
まず翻訳機ですが、後期の授業二回目にお叱り頂いてからは使用しておりません。また翻訳機では全く頓珍漢な訳になってしまうため、使用に耐えるものではありませんでした。
「翻訳はそう言っているのですね」とおっしゃるたびに否定していましたが、解っていただけなかったようでしたので最後は否定を諦めていました。昨年留年してから自分はドイツ語の学外の先生にお願いして、自分が訳したもの(実力が無かったので単語の羅列になっていましたが)をまともな訳にしてもらい、それを持って授業に臨んでいました。そのため、文章全体の訳は何とかなっても、詳細な部分の質問を受けると対応ができず、結果答えられませんでした。また単語も覚え切れなかったため、聞かれても答えられませんでした。この点はすべて自分の勉強と実力不足に責任があります。「予習時に筋の通らない訳になっても良い」とのことでしたが、実際に私が訳を発表した際「壊れた翻訳機のようだ」「全くダメですね」などのお言葉をいただいたので、私の努力不足だと認識しておりました。単語に関しては教わった単語をquizletというアプリで単語帳にしていましたが、これも覚えきれませんでした。
また、服を着込んでいるので授業態度が悪いと思われたかもしれませんが、実際のところ、前期から後期にかけて、先生にお会いすると留年の恐怖で悪寒と腹痛がしていたためです。胃腸科と心療内科には昨年の6月からかかっています。具体的には緊張性の腹痛と重度の胃腸炎で胃から出血している他、軽度の鬱病です。授業中にipadをいじっていたのは遊びやその場で翻訳機にかけるためではなく、ノートを取っていたためです。ペンもノートも持ってきていなかったとおっしゃっていましたが、実際は両方とも持ってきて机の上に出していたほか、ipadでメモを取っていました。私の状況を西洋史学の先生方と共有されたとのことですが、恐らく「言うことを聞かない、態度が悪い」という誤った印象で共有されていると思いますので、誤解を解いていただけると幸いです。

文学部三年 ××

3/13 ラッキョウ先生 から 私 への返信

××君
途中から翻訳機を使わなくなったということで構いません。「翻訳機はそう言っているのですね」というのは私の言葉ではありません。服を着込んでいる学生がいれば薄着の学生に確認して暖房の温度を調整しなければなりませんし、真夏のような格好していて大粒の汗をかいている人がいれば冷房をつけて温度調整しなければなりません。真夏のような格好をしている学生と冬物を着ている学生がいた季節の変わり目は大学院棟での調整が大変でした。厚着をしている授業態度が悪いと思う教員もいないでしょう。また、あの演習のなかでipadを授業中に遊びで使っていると思っていた人はいないでしょう。××君がへらへらしているように見受けらたこともありませんのでご安心ください。
○○

らっきょめーる

>翻訳機はそう言っているのですね」というのは私の言葉ではありません。
では誰の言葉だというのだろうか。私の幻聴なのだろうか。

>また、あの演習のなかでipadを授業中に遊びで使っていると思っていた人はいないでしょう。
ここで以前のメールの内容を思い出していただきたい。
>××君は最後まで鉛筆やペンを持ってくることもなく、
では、ipadを遊びと勉強以外の目的でどうやって使ったのであろうか?

私はこれ以上らっきょう先生にメッセージを送っても無視されるかだろうと思い、学生部を通じて対話の機会を狙ったのだった。

●第七章


さて、慶応のシステムに、「成績評語質問用紙」というものがある。現実的にはこれが唯一、生徒側が教授に対して「ものいい」をできるシステムである。すなわち先ほどメールの文章を載せたが、本来はラッキョウ先生も私のメールに答える必要はなく、返信があっただけでもまだ良心的であるとも言える。私の親からメールが来て慌てただけかもしれないが。

学生部からのメール

ちなみに、学生部に教授へのメールを取り次いでもらうことは不可能である。


未だに手書き(!)の成績評語質問用紙に汚らしい字で質問要綱をゴチャゴチャと書き込み、私はラッキョウ先生に手紙を送った。教授は回答しなくても良いシステムになっているらしいが、これ以上めんどくさい事をゴチャゴチャ言われたくないと考えたのだろう、きちんと返事が返ってきた。

私の送った質問はこうである
「評語におけるテスト評価、授業評価の割合と、それぞれの履修者の平均点、不合格者の数、合格者の最低点をお知らせください」

以下にラッキョウ先生の返信を載せる。

お答えします。
お母様がメールに書かれた文学部システムへの苦情、進級必須科目の西洋史演習(独語)を学生のドイツ語の必要度によって選択性にするべき、四年でも取れるようにすべきとの御提案は、西洋史専攻のスタッフ全員に伝えられました。評語については、テストの結果と30回にわたる授業参加態度で評価します。
××君のテストの成績は春学期が59点、秋学期が9点でした。原典の購読に関しましては、長期にわたり翻訳機による翻訳に特徴的な種類の間違いが見受けられました。個別の単語を聞くと本人はわかりませんでした。××君は、秋学期途中に翻訳機の使用をやめたということですが、そもそも翻訳機の有無にかかわらず、また他のドイツ語の先生の介在の有無に関わらず、文章を訳出する上で個別の単語を調べて把握する作業は必須です。役に誤りがあればなおさらです。例えば12月下旬の時点で××君が訳を申し出た文にあった「市民」「自由」「法」「国家」「法治国家」「西洋」という基本中の基本用語を本人は知りませんでした。調べて把握した上で文章を日本語にして授業に臨まなければなりません。個別の単語を知らずに文章を訳出することは特定の手段に頼らなければ通常はできないことであると思います。秋学期の途中からそれが翻訳機ではなくなったということで構いません。各学生の普段の学習態度と学習結果は点数に表れます。××君のみ特別扱いすると他学生との極端な不公平が生じます。不公平という点ではテスト範囲の一部が昨年度と同じで××君だけ二度チャンスがあり事実上の追試となりました。授業では毎回テキストの半ページくらいを舐めるように初級文法や初級語彙を確認しながら進みました。ヨーロッパの歴史家が何を問題にしてどのような書き方をしているのか、それをどのように読んだらよいか、教員からの詳細な解説がなされ学生からの質問や議論が飛び交いました。
××君のメールの世界にあるような誤解はありません。合格点に達していない学生の数を含め、事実関係には誤りがあります。評価基準について、授業・学習態度と試験結果は1:1です。
○○


>お母様がメールに書かれた文学部システムへの苦情
すなわち、こんなもん送りつけやがってこのクレーマーが、という感情を言外に表しているようである。

>「市民」「自由」「法」「国家」「法治国家」「西洋」
何故増えたのだろうか?ラッキョウ先生のメールによれば「市民」、「法律」、「法治国家」、「西洋」であったはずなのに何故増えたのだろうか。やはり不幸は仲間を好むらしい。
自由Freiheit、国家staat、法治国家Rechtsstaatは授業中指摘されていない。しかも国家「nation」は、はっきり覚えているのだが、
「先生、このnationは民族のnationでしょうか?国家の概念はまだなさそうなので民族と訳そうと思うのですが」
という質問のときに出ただけである。

>基本用語を本人は知りませんでした
なるほど、質問をすると知らないと変換されてしまうようだ。

>学生からの質問や議論が飛び交いました
あの葬式のような静けさは・・・?

>××君のメールの世界にあるような誤解はありません
ちょっとびっくりしてしまった
また私の送った「それぞれの履修者の平均点、不合格者の数、合格者の最低点をお知らせください」という一文に一切答えていない。ラッキョウ先生の世界ではこの一文は見えなくなっているようだった。
一連のことを愚痴っていたら、「ならハラスメント委員会に行けば?」と友達からあきれられるように言われたので、言ってみたが、ハラスメント委員会の最終判断は教授会に任されている。すなわち身内が審議するということであり、どう頑張ったとしても結果がひっくり返ることはないだろう。

ここに私は、万策つきたのであった。

●第八章


この二年間は私の精神と胃袋を破壊する以外の何者でもなかった。
2ヶ月をかけて訴え出てきたが、このようにどうにもならないのであればどうしようもなく、私は留年を受け入れるしかなかった。しめて120万かかるのである。
私は日雇いのバイトを入れた。
 ちなみに胃薬は月3000円、精神薬は月10000円、しめて一年間で16万円である。逆流性胃腸炎と鬱病などというけったいな病気にかかってしまったばかりに、なけなしのバイト代が消えていく。

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 さて、この一連の流れは何だったのであろうか。結局先生とうまくやれずに、成績も取れないお前が悪い、と言われてしまえばその通りである。精神を病もうが腹を壊そうが成績を取らなければ学生の本分を果たしていない。
 思えば成績のせいでそこに行くしかなかった西洋史学科だったが、西洋史自体はなかなか好きであった。歴史はおぞましいものだが、耐え難い魅力がある。その点では西洋史専攻に行ったのは正解だったかもしれない。

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 成績が悪いのに自意識とプライドが高く、本ばっかり読んでいるような「おたく」は自分の本棚の写真を撮ってSNSにアップロードしがちだが、私がここで三田図書館の履歴を貼ったのは、何も自慢したいというわけではなく、文学と歴史自体は好きだと言いたいがためである。だが悲しいかな、私の愛は一方通行で、文学と歴史を学ぶ学部で大苦戦し、四留もしてしまった。こういうのを下手の横好きという。

 しかしなんとなく好きという理由、行くのが楽だと言う理由、高校時代履修していたからという理由で、文学部西洋史専攻、ドイツ語選択によくよく考えもせずに踏み込んだのは明らかな失敗であった。
 この失敗は、遡るとすれば未来について適当にとらえていた、私の中学生時代から始まっていたのかもしれない。そう考えると、なんともやりきれない気持ちになるのだった。

●なぜラッキョウ先生はかように敵視したのか


 ラッキョウ先生にかように敵視されたのはいかなる理由だったか?これは「勉強態度は成績に現れます」というラッキョウ先生の発言に表れている気がする。内部、文学部、留年生、成績不良者となれば、無能であるということになるのはラッキョウ世界観では当然の帰結であろう。
・「おたく的」
 1990年代から2000年代にかけての歴史的、保守的文壇にかけての特徴は、「サブカル化」である。たとえば歴史専攻の学生の間で有名なのは、塩野七生や司馬遼太郎だろうか。両者とも史学科卒業ではなく、論文を書いていない。しかしその著作は歴史書として読まれている。すなわち、歴史論壇の「アマチュア化」である。
保守的論壇においては枚挙に暇がなく、ここであれこれ書くと長くなりすぎるので割愛する。アマチュア化、サブカル化によって歴史が親しみやすくなったのは良かったが、反面、「学校で教えない歴史」「今までの見解と異なる歴史」がもてはやされるようになった。
 また、「おたく」的、「サブカルチャー」にも「歴史」が進出し、逆に「おたく、サブカル」側も「歴史」に関わってくるということが起こった。
その結果、例えば、「ヒトラーは共産主義者」「ハワイを攻略すれば日本は勝てた」などの「新しい歴史」が台頭し、ある教授の話では、「第二次世界大戦で日本は原子力空母を建造すれば勝てた」というレポートを出してきた学生がいたそうである。
 本学の史学科のレベルとして、このような学生も少なからずいたのではないだろうか。そして、ラッキョウ先生はこのような学生たちの発言に苦しめられてきたのではないだろうか。
そうなると、ラッキョウ先生の理解の中では、「おたく的、サブカル的学生」が悪になるのも自然な展開である。
私は自己紹介で、「おたくサークルをやっている」と言った。また、歴史が好きな「おたく」によく共通する事例で、体系的な知識が乏しいのに、末節周辺の知識には詳しいという、まるで私のような部分がある。このことから、ラッキョウ先生が最初から私に冷たい態度を取っていたのは、以上の理由だったのではないだろうか。

・「枝葉末節」に詳しい小賢しさ
慶應の史学科は、少なくとも日本最高とは言いがたい。例えばホロコースト系の研究をするのがラッキョウ先生のゼミで、そのラッキョウチルドレンでも、「ラインハルト・ハイドリヒが誰か知らない」「突撃隊と親衛隊の違いが分からない」「SSが何の略か知らない」などがあり(もしかしたらあえて知らないふりをしていた可能性はあるが)、センター試験に出ない知識とはいえ、専門であるはずの学生が知らないものだろうかと思ったが、とにかくこのような知識は知らなくても高いGPAを狙うことができるので、枝葉末節の知識といえる。
 反面、私は成績が悪いのに、このような枝葉末節を知っていた。ここがラッキョウ先生の逆鱗に触れたのではないだろうか。すなわち、「バカはバカらしく黙っておけ」である。
私は授業態度の点数を上げようとしてこのような「クイズ」に積極的に答えたが、これが完全に裏目に出た形である。

・内部生、留年生
 ラッキョウ的世界観では「内部生」はボンボンであり、「留年生」はバカで勉強もできない怠慢なクズである。たしかに私に関してこれは当たっている。しかし、はじめから敵対的な態度を取られ、レッテルを貼られては挽回ができない。しかしこれも結局は私の至らなさである。
 そもそも、内部の付属高校でちゃんと努力していれば文学部ではなく、商学部か法学部に行けていた。次になんとなく好きだからという理由でドイツ語と西洋史を選んでしまった。できないならできないなりに、生き残る事を考えてしかるべきである。つまり、きちんと先輩との人間関係をつくり、専攻の情報を得ていれば、落ちやすくない専攻を選択できたはずである。また、大学できちんと高いGPAを修めていれば西洋史専攻ではなく社会学や倫理学といった別の専攻に進んでいた。
つまり、この大学三年間の留年は、私の思春期から続く、人生を適当に考えていた事へのつけであったとも言えるだろう。
 ラッキョウ先生の授業を共に取った18人のうち、4人が共に留年した。
 ちなみに、ドイツ語ができないことは「西洋史学科として進級させられない」ようだが、私はTOEIC830点である。この基準でいえば、私より英語ができない人も全員落第させるべきではないだろうか。

●その後


さて、新学年後、私は西洋史の自分のゼミの先生のところに行き、挨拶をした。すると


「ああ、○○先生から君にルール違反があったことは聞いてるよ」

と返されたので、ルール違反というのは誤解であると答えようとしたが、二三言かわすうちに


「だから!教授にメールを送って成績を変えようとする!その甘えた根性が問題なの!」

と怒り始め、最後には「もういい!」と取り付く島がなかった。教授にメールを送ることは天皇陛下に直訴するのと同じくらい重罪なのだろうか。田中正造になっちゃったかな

 どうも、私が送ったメールの後この先生とラッキョウ先生の間で話し合いがもたれ、この先生はラッキョウ先生を支持する、ということになっていたらしい。しかしその後、ラッキョウチルドレンの一人から、ラッキョウ先生が「誰とは言いませんけど生徒の卒論をろくに見ない教授がいるんですよね。どうしましょうかね」とあげつらっていた事を聞いた。この世の中は悲しいことで満ちている。味方をした人すら罵倒されなければならないとは。それを聞いたとき、私はやるせない気持ちでいっぱいだった。
しかしながら、私と同じ授業を取っていた生徒に、友人経由でこっそり私の評判を聞いてみたところ、「五年目であのざまか」と言っていたそうである。これはもっともすぎてラッキョウ先生の首振り速度で首肯するしかない。

●後輩たちへ


 運よく大学に残れた私には、さらなる幸運があった。ラッキョウ先生の授業は必修であり、そして担当教授を選ぶことができない鬼門であった。しかし翌年、一年だけ担当教授が変わったのである。私は結局Bの成績でその授業を終わることができ、今(2021)では卒業を待つばかりの日々である。
 この文章は誰かを批判したり誰かに警告したりというよりも、単純に自分の中のもやもやを出したくて書いたわけであるが、後輩たちに学んだ事を書いておくとなんとなく体裁が整いそうなので書いておく。

・文学部史学専攻に向いていない人


真面目系クズ、留年生、内部生、ボンボン、ネクラ、暗い、おたく的、おたく的な顔、サブカル好き、滑舌が悪い、友達が少ない、第二外国語が不得意、成績が悪い、センター試験に出てこない範囲で特定の国に詳しい、特定の国が好き
これらの特徴に当てはまる場合は注意するように!

●さいごに


文学部のはしくれとして、名言を引用すると頭が良さそうに見える気がするので、名言や和歌を引用する。

『途中から翻訳機を使わなくなったということで構いません。「翻訳機はそう言っているのですね」というのは私の言葉ではありません。あの演習のなかでipadを授業中に遊びで使っていると思っていた人はいないでしょう。××君は最後まで鉛筆やペンを持ってくることもなく』
(ラッキョウ先生)
『奈良山の児手柏の両面にかにもかくにも侫人の伴』
(万葉集 第16巻 3836番歌)

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1/21追記

 ちなみにですが、2017と2018の一連の経緯とらっきょうメールはすべて留年決定前の、2019年の1月に学生部にまとめて提出していますが、「教授との直接のコンタクトは禁止されており処罰の原因にもなり得ます」という回答だけが帰ってきました。



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