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書いている途中に地震がきて

これを読んでいるあなたは無事でしたか。ものは倒れていませんか。
深呼吸ができていますか。



今日のnoteを穏やかな気持ちで書いていたら、突然部屋が揺れ出した。心臓がどんどん早くなっていくのがわかる。バクバク、バクバク。鼓動が鳴る。緊張している。
多少の揺れでは、手は止めない。心臓が早くなるくらいで、静かに落ち着いて揺れが過ぎるのを待ちながら、平気で文章を書き続ける。

けれど2回目に大きな揺れがきたとき、さすがに手が止まってしまった。明らかに長い。長すぎる。木造の2階の端っこに私はいて、今ここからきれいに崩れたらどうしよう、と不吉なことを思った。
慌てて隣の部屋で寝ていた弟が起きてくる。揺れている家の玄関のドアを開けて、揺れている風呂場で水を確保しはじめる。蛇口のみずはちょろちょろとしか流れず不安になったが、断水ということはなさそうだ。咄嗟にとった弟の行動に、動物の本能のようなものを感じた。考えているようで考えていない、思考を全く挟まず、無意識の生存本能のままにさっと行動に移していく。ひとりで住んでなくて、しかも自分とは異なる性別の家族と住んでいて本当によかったと、この時ばかりは思った。

生まれてはじめてだ。こんなにも長くて、強い揺れの地震を経験したのは。

これで震度5なら、東日本大震災が起こったあの日の東京はもっと揺れたのだろう。当時私は広島にいて、広島では揺れを少しも感じなかった。
都会の揺れは怖い。孤独という点も恐怖を倍増させる。周りはコンクリを縦に伸ばしたビルばかりで、避難所もわかりにくい。なんでもあって魅力的なまちが、一気に怖くなってくる。川もないから水も汲めない。はやくちからをつけて、一刻もはやく広島に帰らなければ。

揺れがおさまり、一通りの無事を確認した後、noteに戻ってきた。さっきまで書いていた内容が突然、平和ボケしたなんとも甘ったるい内容に見えてくる。今日の公開を、やめた。
いかに、毎日の些細な感情が「今日も明日も変わらない日々」という途方もない危うい幸せの上に成り立っているかを知る。都会や人の生活のもろさを知る。けっして奢ってはいけない。


これを読んでいるあなたが無事であることを願います。あなたの大切な人が無事であることを祈ります。
恐怖に襲われずちゃんと眠りにつけますように。





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