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おさんぽ中のわんこに無限の愛を

とりあえず23年生きてみた結果、無限に愛情をそそげられると確信できたものはこの世にたった2つしかない。末っ子の弟(高校1年生)と、おさんぽしているわんこだ。弟の話は前も書いたので置いておくとして、今日はいかにおさんぽ中のわんこが幸(さち)かを唱えたいと思う。最近何かと派閥を利かせている猫派に負けじと、こちらも犬のすばらしさについて布教していかねばならない。

おさんぽしているわんこ達はもはや、道端に幸せをばら撒きながら歩いていると言っても過言ではない。彼らはもう、外を歩いているだけでいい。おさんぽしてくれていたらそれでいい。それだけで、人間にハピネスを振り撒いてくれる。私はいつも、ほぼ毎日おさんぽ中の犬に心の中で話しかけている。「おさんぽたのしいね〜!お外に連れて行ってもらえてよかったね〜!(ヨシヨシ)」そして、マスクの下には満面の笑みを浮かべている。バレないことをいいことに。

ところで、おさんぽ中のわんこの表情をじっくり見たことはあるだろうか。
ひとり綱引きをしているような前しか向いていない子もいるが、たいていはご主人さまの様子をよくよく見ながら一緒に歩いているやさしい子たちが多い。

そういう子の顔を見てほしい。
必ず、「ご主人さまと今日もお外に出られてうれしー♪ご主人さまはどんな顔をしているかなー?ねえ今日もたのしいねー!たのしいー?ぼく今日もたのしいー!今日も連れてってくれてありがとうー!」という顔をしている。いや、本当に。

おさんぽ中の彼らは本当に幸せそうな表情をしている。
特にわんこが時々こちらを見上げて飼い主さんの表情や足並みを確認する瞬間が本当にたまらない。世知辛いこの世の中で稀に見る、極めて純度の高い「幸(さち)」の瞬間である。なんていい子たちなのでしょう。その光景があまりにも尊すぎて、通り過ぎていくおさんぽのわんこを見ながらたまに涙が出そうになることもあるくらいだ。
動物として物理的にかわいい(毛がフサフサしているとか、目がくりくりであるとか)というのはあるけれど、それ以上に、犬と人間の信頼性、絆のありさまには本当に美しいものがある。ほぼ完璧だ。信頼関係にある犬と人間の間には不純なものが入ってないし、余計な建前も見せかけもない。同じ目線で対話ができるし、言葉はなくても通じ合えている感覚がある。
犬ってなんでこんなに人間に対してやさしい生き物なんだろう、と毎回思う。あんなに人間に寄り添ってくれる動物はいないんじゃないか。彼らの純粋さがただただ愛おしい。

その点私が猫を好きになれないのは、人間と猫は根本で一生分かり合えない関係性にあると思っているからだ。やっぱり私に猫はわからない。何を考えているのかも、何をしたいのかも、次に何をしだすのかも全てがわからない。絶望的な理解できなさに、苛立ちさえ感じるほどだ。なんて自己中心的なの、と自分でも思うけど。

そんなこんなで猫に対する嫌悪感が何に由来するのかいまいちわからなかったのだが、さすがは私の人生の師匠、吉本ばなな姉貴がこれまた解答のような文章を書いていた。

「猫の愛情表現は死に方も含めてすべて人間とは異なり予想外のことが多く、気持ちがすれちがった時は大変ショックなものだ。(略)
犬は、いつもどこかに野性の緊張感はあるものの人づきあいとかなり似ているし、愛情を分けた分、ほぼ人間の意にそう形で必ず返してくれる。しかし猫は必ずしも人間が好む形で愛情を表現するとは限らない。私は今、犬や亀にかまけて猫は飼っていないが、猫のことを思うといつもなんとなく「痛い」感じがする。幼い頃から見てきたおびただしい数の不条理な死のせいだけでなく、猫と人間とはなんとなく切ないものだと思う」

私が師匠と崇めるのはまさに、こうやって私が悩んでいるもの、考えているものにちょうどベストなタイミングで言葉を示してくれるところにある。
今回もそうだ。なぜ猫とは一生分かり合えない感じがするのか、そこからくる私の猫不信や嫌悪感の理由がこれではっきりとわかった。まさに、人間の好まない形でのコミュニケーションの「痛さ」にある。
そして別の書籍で、師匠は「犬は飼い主を裁かない、差別もしない、愛だけだ」ということも言っている。間違いない。ほんと、犬って最高な動物だ。間違いなく人間より綺麗な生き物だ。

犬との愛情のやり取りがしやすいわけはおそらく犬がこちらに合わせてくれている「ご厚意」なんだろうけど、だからこそ涙が出てくるほどに犬がいとおしく感じられてくる。ありがたく、そしてなんだか申し訳ない気持ちになってくる。人間は犬に対してもっともっと愛情をかけてやらねば。

おさんぽ中のわんこも、いつも飼い主さんに何かを語りかけているのだ。おさんぽに対する喜びや楽しみ、感謝のようなポジティブな何かを。私たちがよくよく観察すればすぐにわかるレベルの何かを。
人間の都合によすぎる解釈かもしれないけれど、それでも家庭で愛されているわんこはみんな飼い主に何かを語りかけていると思う。人間の膝もないほど小さな体で、低い目線で一生懸命伝えている何かを、私たちはきちんと受け取った方がいいんじゃないのだろうか。

元気に楽しそうにおさんぽをしているわんこを、明日もありったけの愛情を持って見守りたいと思う。
道端のわんこに、無限の愛を。


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