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9/5(火)日記

*リベンジ夜更かし

昨日「わけもなく夜更かししてしまう」という日記を書いたが、その理由と名前がわかった。

「リベンジ夜更かし」と言うらしい。日中に自由なことをする暇のなかった人が、だらだらと夜に起き続けること。元は中国SNSで広まった言葉なんだそうだ。このリベンジ夜更かし、まさに私が毎晩していることである。

昨夜は秋の夜風を楽しんでいたら結局寝るのが朝の5時くらいになってしまった。
今日は午前中から取材が入っていたので、9時に起きた。睡眠、4時間。さすがに今日は頭が締め付けられる感じになった。早く寝ます。

*水のなか

詳しいことは記事が出るまでのお楽しみだが、今日はインタビュイーと「対話」をする取材だった。一方的な質問でも、ディベートでもない。それがもう、本当に心地よくて。久しぶりに人とちゃんと話し合えた気がした。

その人が掲げる「対話」にはいくつかルールがあり、そのうちの一つが「人の話をさえぎらない」というものだった。

今日の対話参加者は4人。みんなで同じテーマについて語り合い、深めていくんだけれど、途中で言葉が詰まったり沈黙が生まれたとしても、その人のターンであるうちは誰もその時間を奪わない。隙間を埋めるために発せられがちな、泡のような言葉もない。

誰からも否定されない空間。みんながこちらの話を最後までゆっくりと聞いてくれるし、ジャッジもしない。対話の空間が心地よすぎて、取材が終わる頃にはもう部屋を出たくなくなっていた。そして、自分ひとりの頭だけでうんうんと唸りながら永遠の考え事をするのがバカバカしく思えてきた。自分ひとりの頭の中で考えたって、しょせん広がらない。思わぬ場所に連れて行ってくれるのは、悲しいかな、いつも他人なのだ。

それで思った。普段の会話にどれだけノイズが多いことか。誰かの容赦のないさえぎりや否定、隙間を埋めようとする言葉、考えるのを待ってくれない時間。組み合わせだけがめずらしいフレーズを乱発できる人や会話のことを、人は「おもしろい」という。

けれど、そういう「頭がいい」とされる会話で本当はすこしずつ傷ついていたのかもしれない。短時間のおしゃべりで失われる不明確なものを(逆説的だが)確実に失っていた。

水のなか。

心地よい対話をしているとき、水中で息をする魚になったような気分になった。外の音がよく聞こえない。目の前の景色がプールの水を通したように青く見える。

ちゃんと、「対話」がしたい。
誰からも否定されず、時間に迫られず、順序やロジックがめちゃくちゃでも追及されず、言葉にするのをゆっくりと待ってくれるようなコミュニケーションが。

根本にあるのはおそらく、「傷つきたくない」気持ちだ。自分が思っていること、そのままを世界に差し出したい。共同体に、自分を受け入れてほしい。

けれど、傷つくのを恐れて何も言わないようにすると、それはそれでまた自分の世界が貧しくなってしまう。繊細さと、ほんの少しの勇気で成り立つ豊かでやさしいコミュニケーション。小さくてもいいから、自分の周りでつくっていこう。そう思った。

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