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都会スイッチ

ただいま。2泊3日のプチ旅行から、今日、かえってきた。

今回の旅行先は長野県の田舎だった。都会からそう遠くない場所でゆっくり羽を伸ばし、英気をやしなう。それが今回の旅の目的だった。

手間暇をたのしむために、今回は新幹線ではなく在来線(っていう言葉、こっちの人たちは使いますか?)をつかって長野まで向かうことにした。
背の高いビルに囲まれていた都内の駅から数十分たつと、あっという間に周りには住宅地がならぶ「地方」に入っていく。

出身が広島の片田舎だったということもあり、こういうザ・地方のような場所に行くと自然とホッと安心する自分がいる。
電車から見える街並みは背のひく住宅街が延々と続き、途中途中に看板だけ謎に大きいチェーン店がならんでいる。そこを過ぎればこんどは野山に囲まれ、瓦屋根の家が増え、最終的には何もない無人駅へとたどり着く。

そういう「田舎」こそが、私の知る「日本」であり、「故郷」でもある。
ずっと都会に暮らしていると、山も川も瓦屋根もない東京のいびつさに慣れてしまうけれど、あれは異常、というか特殊なのだ。東京が日本だ、とは口が裂けても言えない。日本って、もっと人が散らばっている国だ。

一時期実家に帰っていた期間をのぞけば、今年で東京に出てきて5年目になる。そして今でも広島に今すぐ帰りたい、と思うほど、広島のことがだいすきだ。

きょう旅先から在来線を乗りついで金曜日の池袋駅に到着したとき、なぜかホッとしている自分がいた。すこし、驚いた。
いつでもせわしなくて、つめたくて、さみしくて、それなのになんでも揃っていて、みんなここで何かを必死でおいかけている街。ここではないもっと穏やかな場所に行きたいはずなのに、東京は嫌いなはずなのに、少々の我慢だと思って何かに打ち込めば打ち込むほど、なぜか捨てがたくなってしまう街、東京。

長野の田舎から「帰ってきた」瞬間、ホッとすると同時に、背筋がピンと伸びる思いがした。私の都会スイッチが入る瞬間だった。

家とチェーン店しかいない馴染みの地方にいけば、確実に全身の緊張がほどけてリラックスができる。こういう場所こそが、日本の大多数をしめる「ふつう」なのだと思える。
でも今の私がいるべき場所は、そういうリラックスできる場所ではない。それを自分自身がいちばんよくわかっている。私が今いるべき場所は、どれほど毎日がストレスフルで刺激的になろうと、このせわしなくてつめたい東京しかないのだ。

何かを覚悟して、何かを決めて、一生懸命に頑張ると自分に約束して出てきた決戦の地。地方にいけば体や心はのほほんとできるかもしれないけれど、今の年齢や最終的に成し遂げたいことを考えたとき、今このタイミングでリラックスしている暇はない。

東京の大きな駅に降り立った瞬間に、「よし、またこの地で夢に向かって頑張ろう」という気合が入り、私の中のスイッチがONになる。地方と都会を行き来したとき、こうして自分の意識が明確にかわる瞬間がとても好きだ。なんのために東京にきて、なんのために東京に残ることを決意して、ここで何をしたいのか、何を得たいのかを、おさらいのように自分の中で再確認することができる気がする。


旅とはそういうものなのかもしれない。
全くカルチャーや雰囲気もちがう「異空間」に足を運び、元いた場所に戻るときにはまた新たに何かを決意しなおすような、そんなリセットの機能をもつアクティビティ。

この旅の道中の私も、なぜか将来のことをずっと考えていた。考えたというより、旅の日程が進めばすすむほど、どんどんクリアになって洗練されていく感じがした。今の私は何がしたいのか。何をすべきか。東京に帰ってすべきことは何か。
旅行中はリラックス期間なはずなのに、ただ美味しいものを食べたり観光地に行くだけで、頭や考え事がどんどん冴えてゆく。

新しい決意を胸に、明日からまた新しい1日がはじまる。
エネルギーも満タン、行き先の確認もバッチリ。あとは進むだけ。

明日からまた、このせわしなくてつめたい、早く出ていきたいはずの街・東京で、私の真剣勝負がはじまる。

私の都会スイッチが、ONになった。



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