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ママ

大学に入ってから、いかに自分が両親、特にママからの愛に恵まれて育てられたかに気付かされることが多い。

私は当たり前のようにママから無条件の愛を与えられてきた恵まれた子どもだ。私のママは世界でひとりだけなので、これが世の普通だと思っていた。親は子を好きで愛しているのが当たり前で、育てられるのも当たり前だと。
でも世間はそんなことは全くなく、むしろ絵に描いたようなあったかい「家族」「母親」のがほうが稀のようだ。
東京で、家族や親との関係で問題を抱えている人の多さたるや。その数に最初は戸惑いを隠せなかったほどだ。平和ぼけしていた私の目を覚ますような話を、これまでにも何度も聞いて目にしてきた。愛がわからなくて、愛されることに慣れてなくて、苦しんでいる人たちも見てきた。

今日ふと、私の人生でいちばん古い記憶はどんなものだったか考えてみることがあった。
私の最古の記憶は幼稚園に入る前、入園エントリーに必要だった親子写真を撮りに近所の写真館へ行った時の記憶だった。よく晴れた日の青空のもと、ママと一緒にレンガ造りのちいさな写真館に行ったのを覚えている。なぜだかよくわからないけどいつもとは違う服を着させられ、髪の毛もきっちり結ばれて、アンパンマンを片手にもった知らないおじさんに「わらってね〜」と言われてバチバチ写真を撮られた記憶。
去年、その時の証明写真が出てきた。おめかしをした私ははにかんだ様子でママの膝に座り、二人で一緒に親子写真を撮っていた。写真のママは若くて美しく、今ではしないような薄紫の口紅を塗っていた。

無事に入園できた幼稚園生活は今でも鮮明な記憶として残っているほど楽しかった。あの3年間が本当に、これまでとこれからの人生の中で一番楽しかった時期だと思う。とにかく好きなものがたくさんあって、余計なことは考えなくてよくて、幼稚園に上がりたてのいつも泣いていた弟の面倒を見ていた、魔法のようなたのしい3年間。

目を見れば必ず微笑み返してくれて、何を言っても「それいいね」と賛成してくれ、私を好きで愛してくれるママが好きだ。
私はママからおそらく完璧に近い愛情をもらって育っている。それは決して当然のことではない。もはや奇跡だ。

どんな思いで私を含む3人を育てたのだろう。教育のお金を工面するのにどれほど努力しただろう。どれほどの悪や恐怖から私を守ってくれたのだろう。想像もつかない。
本当は頼りなくてあぶなっかしい、ひどく脆かったはずの親子の綱渡りを、ママは無事立派に渡り終えた。受け取ったものがあまりにもすばらしすぎて、偉大すぎて、両手から溢れたものを桶でまかなおうにもまかなえない。正直それと同じことを自分の子供や他者にやってやれるだけの自信が、今の私には全くない。

けれど私は知っている。両手で溢れるほどの愛が、生きていく上では何よりも無敵であることを。一度じゅうぶんにもらえれば以降も絶対になくならない、切っても止めてもまるで天然の泉のように無限に湧き出てくることを。
ママがいつか死ぬときがきても、心の中で死ぬまで輝き続けいつも私を見守ってくれることを。

だからこそ、もらった愛を他者にも分け与えるべきだということを。

そんなママのことを思い出したり、考えたり、目には見えないが受けったものを一つずつ並べていくだけで私はなぜか涙が出てくる。ママのことを考えるだけで私はうるうるしてしまうのだ。このnoteを書いているときだってずっと泣いている。まだママは生きているのに、まるで死んだあとに思い出しているような泣きかたをする。

ママには私が死ぬまで一緒に生きていてほしい。
それが叶わないのが人間のさだめであるけれど、もしママが先に死んでも、私は多分まっすぐ生きていける。そう言いきれるだけのものを、私はすでに受け取っているのだ。

ハッピーマザーデイ。
あなたの幸せを心から祈ります。

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