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生きることは、踊ること?

女性作家の文章が読みたくて、韓国の書き手イ・ランのエッセイ『悲しくてかっこいい人』を読み返している。

はじめて読んだ2年前は、書いている内容に理由のよくわからない嫌悪感をもってしまい、途中で読むのを諦めていた。それ以来、ほこりをかぶって開かれるのをまっていた本だ。

吉本ばなな以外に自分の本棚にある女性の書き手といえば、山田詠美か唯川恵(本当に好きじゃない)しかほぼない。数少ない女性作家の中で気分にあうものが、なんとなくイ・ランのエッセイだった。

2年ぶりに開いてみると、あのとき感じた嫌悪感がまるで嘘だったかのようにすらすらと読める。シンプルで、おもしろい。
別に尖ったことを言っているわけでもないし、自分の苦手なことや心配事、過去のはずかしい失敗などをさらっと出せるような、飾りっ気のない内容でむしろ好感が持てる。あの時どこをみて不快な気持ちになったのかがわからない。

そんなことはさておき、今日の夕方に読んでいたものに、「わたしたちの仕事はダンスになる」というタイトルの文章があった。

いらく、彼女は若い頃、イタリアンレストランで1年間、厨房で働いていたことがあったそうだ。そのレストランがそれはそれはもう、べらぼうに忙しく(そんな言い方はしてないが、日本語で表現すればたぶんこんな感じ)、12時間ほぼぶっとおしで立ったまませっせとイタリアンをつくっていたそうだ。

大体の工程に慣れてきた頃、彼女は調理にかかる一連の動きに「リズム」を見出しはじめたらしい。そこで、厨房の足元にカメラを置き、1日の間、自分の足がそんなステップで調理をしているのか、録画したことがあったそうだ。(こういうところにその人個人の性格のおもしろさを感じるよね)

すると、本当に、そこに「ダンスの動きが見えた」のだそうだ。
ホイップを混ぜる時も、皿洗いをしている時も、狭い厨房をいそいで通る時も、足の動きがみんなダンスになっていたらしい。

それから数年が経った今、もうイタリアンの厨房では働いていないが、自分の音楽関係の仕事で関わる「かっこいい仕事をする人」をみると、イタリアンでのダンスの動きが思い出されるのだと彼女は言う。

今これを書いていて気づいたが、ひょっとするとイ・ランが職人の仕事にみたダンスは、人間の筋肉に合わせた「まったく無駄のない、リズミカルな動き」を言っているのかもしれない。
手さばきの軽さ、容量を得てスムーズに事をなしていく一連の動き……
それが、韓国でミュージシャンとしても活躍する彼女のおもう「ダンス」なのかもしれない。

これを読んで思ったのが、で、ダンスって何?ということだ。
日本人にとって、ダンスという響きほど意味のわからない動作はないんじゃないのだろうか。踊りもそうだ。「舞う」はわかるが、「踊る」はわからない。

幼稚園から小学校にかけて、ダンス教室に通っていた。
ダンスといってもヒップホップですらない、エクササイズに毛が生えたようなものだったけれど、当時の私からすれば、踊りとはすなわち「キレ良く動く」ことだった。
小さい頃のダンスにはおそろしく才能が出る。そんなに練習期間の長いわけでもない子供でも、最初からセンスのいい踊りをする人はゴロゴロいるのだ。私はもちろんセンスのない子供だったので、当時の教室でセンスのあるイケイケ姉妹が踊る様子を見ながら、「はあはあ、とりあえずダンスは動きのちいさなポイントで止まることなんだな」と幼いながらに学習していた。結局8年間ほど通ったが、ダンスというものがどういうことなのか、体の髄からわかることはなかった。
あれから、私の中での「ダンス」とはつまり「止まる」ことなのだ。しかるべきポイントで。筋肉を使って。

しかしDNAレベルでダンスの血が流れている欧米人を見ると、どうやらダンスは止めるものではなく、フィーリングで流れに身を委ねることらしい。(私の観察結果では)
意味がわからない。ライブでアガってきたミュージシャンがよくいう「適当に踊れ!」「さあ踊ろうよ」というのもよくわからない。
繰り返すようだけど、舞うならわかる。できるかは置いておいて。けど「踊る」は本当にわからない。私のようなものが「はい、じゃあ今からここで踊ってください」と言われれば、何をすればいいかわからず挙動不審の変質者に成り果てるだろう。舞うならなんとなくできる。DNAに流れているはずなので。

で、そのイ・ランの話を読んだときに思い出したのが、「生きることは踊ること」と言わしめたあの星野源だ。『うちで踊ろう』もその発想からつくった曲だとインタビューで彼は話していた。彼もイ・ランと同じようなことをいっているのだ。けれど星野源が踊っているシーンが恋ダンス以外に全く想像できない。そんな踊りをしているのか、逆に見せて教えて欲しい。

生活の中に、いやむしろ生活そのもの、生きることが「踊り」だと感じる彼らはやっぱり、根がミュージシャンということなのだろうか。
私には彼らのいう「踊り」というものが、どうしてもよくわからないでいる。踊れるようになりたいかは、よくわからない。ただ好きなバンドのライブに行ったとき、いい感じに酔ったときにもっとマシなリズムの乗り方ができればいいなあ、とは思う。

でもなあ。やっぱり日本人という引け目を感じてしまう。欧米風の踊りをしている自分がおかしく思えてくる。
やっぱり、私には踊りがよくわからない。







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