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花火嫌い

昨日世紀の大発見をした毎日書くコツ、「今日は何の日?」に、今回もあやかりたいと思う。5/28は花火の日だったのだそうだ。起源は遡ること江戸時代、1733年にはじめて開催された隅田川花火大会。前年の大飢饉の犠牲者を供養するため、徳川吉宗がお祭りを開いたらしい。

元は死者の弔いだったという花火大会、今や夏の恋愛ドラマを盛り上げる大衆イベントと化してしまっている。

そしてひねくれている私はむかしから、この花火というのがあまり好きではない。ドンドンドンドン、爆弾のような音で爆裂する光をただぼうっと眺めることに、なんの興があるのか全く分からないのだ。花火大会はどこもかしこも人が多いし、ちっとも涼しくないし暑いし疲れるし蚊に噛まれるし、とにかく良い思い出がない。人は一体、花火を見るという一連にどんな魅力を感じているのだろう。花火そのものの美しさより、花火を大切な人と一緒にみたという記憶に酔いしれているだけではないのだろうか。私の持論では花火そのものより、彼らは花火に付随するストーリーを愛しているのだ。

まずい。花火の日なのに花火の悪口しか書けなさそう。ここはひとつ、めずらしく甘酸っぱい思い出でも書いてみようと思う。エッセイらしく、ね。(汗)

そう、なぜ私が花火嫌いかと言うと、学生時代の花火大会に良い思い出などひとつもないからだ。

花火大会失恋劇のいちばん最初は中学校3年生の時だった。

当時私は中学お受験というものをして、地元の公立中学ではなく私立の中高一貫校に通っていた。小学校を卒業してからは地元の同級生と会うこともほとんどなくなったのだが、2個下の弟が地元の公立中学に進んでからは同級生の中学校での近況などが入ってくるようになったのだ。
弟が入部したバスケ部で、事は起こった。

親に連れられ、弟を応援するという目的でゴールデンウィーク期間に開催されたバスケ部の地区予選に行った時のこと。 

弟の先輩にあたる3年ぶりに会った小学校の同級生に、なんと一目惚れしてしまったのだ。

彼はブラジル人の母を持つミックスで、小学3年生の時に転校してきた頃から美しい色の瞳を持つやさしい少年だった。

小学生の頃はやさしくて、先生から少しでも注意されると泣いてしまうような子だった。その上ドッジボールやリレーなどの花形のスポーツがうまく、持ち前の愛嬌からクラスの人気者というポジションに意図せず君臨するような子だった。
しかも中学校になってからぐんぐんと身長を伸ばしていつのまにか身長が180cmまでになり、顧問の教育が厳しく強いことで有名だったバスケ部のエースとして活躍していたのだった。

わかりやすいほど「モテ」る男子になっていた彼に、幼い私はまんまとヤられてしまった。
バスケ部、高身長、ポイントゲッター、イケメン。
大きな体で相手を交わしながら華麗にシュートを決めていく様子を見ながら、我ながら「私にも青春が来た!!!」と思ったのをよく覚えている。自分の通う中高には絶対にいないような華と、好きになった理由を誰にも説明できるわかりやすい特徴があった。今思えばなんと浅はかな理由なのだろう、と思うけど。

ゴールデンウィークで一目惚れしたあと、なんとか彼と連絡先を交換したくてしょうがなかった私は、人づてについに、彼のメアド(当時はガラケーが一般的だった時代…!)をゲットすることに成功した。中学校に上がって親しい友達とも疎遠になっていた私が、どうやって彼のメアドをゲットしたのか、まったく思い出せない。相当な執着で聞き回っていたのだろう。私のことだから。

んでめでたくメアドを交換したのち、お決まりの「私のこと覚えてるー?笑」に始まるそれはそれは甘酸っぱいやりとりがスタートした。そこから数ヶ月間、だらだらとすべての恋愛で1番楽しい時期であるメールのやりとりが続いた。バスケットコートで見ただけの彼とメールの文面で、少女だった私はあっというまに恋に落ちたのだ。

やりとりが何回か続き、それとなく会いませんかという流れになるのだが、なんせなかなか予定が合わない。彼も私も部活が忙しく、その上彼は公立の中学3年生だったので受験勉強も忙しかったのだ。よく一度も会ったことのない女の連絡に付き合ってくれたよな、と今は思うけど、向こうもちやほやされるのはまんざらでもなかったのかもしれない。たがいに絵文字をブリブリに使ってそれはそれはたわいもない話で盛り上がった。
どんな話をしていたかはもう覚えてないが、彼が文面で「それは〜〜だわ」と言う時、なぜか必ず「〜〜だは」と打ってくるタイプの人だったことだけは覚えている。たしかに同じWAの発音だけど、なぜ「わ」が「は」になったの?めちゃくちゃ気になる…!けれど好きな人にそんなマジレスできない///(照)という乙女心を爆発させたことも、残念ながら覚えている。

そのまま夏休みが来て、私の地区にも夏祭りシーズンがやってきた。

恋するものたちの夏休みは色めき立つものだ。私の地区には大きな花火大会が3つほどあり、そのうちのひとつが広島県でおそらく最も有名な宮島水中花火大会だった。日本の花火大会百選にも選ばれているらしいこの花火大会の特徴は、厳島神社の鳥居の前で船の上から水面に向かって花火を打ち上げること。まるで水中から花火が上がってくるように見えるということで、水中花火という名前がついたそうだ。8月6日の原爆祈年日とともに、県民にとってもこの花火大会は夏の訪れを感じるだいじなイベントだ。

しかも宮島のある廿日市市は私のド地元で、外に出なくとも、さいあく家のベランダや小高い丘の上に登れば余裕で見えるという優等席ぶり。

そんな市民の誇りでもある花火大会に、私は彼と一緒に行きたかった。

しかし部活が忙しい彼を誘うムードにもなれず、結局誘えずに当日がやってきた。花火の音が出始めて家の外に出る。『ないかな〜ないよな〜きっとね〜いないよな〜♪』の気分で彼の面影を探すも、当然のことながら見つからない。

この花火を今、彼はどこで見ているのだろう。一発打ち上げられるたびに夏の終わりへと近づく夜空の花火を見ながら、どうしても、彼と同じ時間を共有したかった。さんざん悩んで、ガラケーを取り出しメールの新規作成ボタンを開く。「今見てる?どこにいる、一緒に見ない?」いやいやいや、それだとグイグイ行き過ぎだ。打っては消して、打っては消してを繰り返し、結局「花火見てるー?きれいだね~」と送ったような気がする。送信した後は「うわっ!送ってしまった!!!」と焦り、とっさに携帯を閉じて目の前の花火に集中する。しばらく返ってこないかと思った返信は何分後かに来た。

「見てるよ〜うん、きれいじゃね^^」

それだけだった。
ああ、私の恋は終わった、負けた、と思った。

同じこの街のどこかで誰かと花火を見ている彼。場所を告げることもなく、一緒に合流して見ようというのでもなく、当たり障りのない返信を返してくれた彼。そうだ、相変わらず彼はやさしすぎるのだ。私を拒絶しきれないのだ。と思った。キラキラした顔で夜空を見上げる人々の姿をぼうっと見ながら、虫を潰したような気持ちになった。苦い。痛い。気持ちわりい。

そこからどのタイミングで引いたのかはもう覚えていないけれど、間も無くメールのやり取りは終わり、私はその間に人生ではじめてスマホを手にし、彼の連絡先もいつの間にか消えてしまった。同じ部活だった弟から、「〇〇さん(彼の名前)、バスケ部の女子と付き合ったらしいよ」と告げられたのは、夏休みが終わってすぐのことだった。時期的に、ちょうど私と連絡をとりながら、本命の彼女と同時に連絡を取っていたのだ。はなから私には出る幕もなかった。

それから数年後、高校の時に付き合っていた彼氏とも同じ宮島花火大会の時に色々あり、虫を潰したような思いをまた経験したのだが、そちらの話は書く気力がないので省略したい。そちらはの中学生の時の彼の100倍くらい苦々しい思い出だ。

それからというもの、花火にあまり良い思い出がない。花火には、私の苦々しい過去の記憶がたくさん詰まっている。
いつか、花火を「た〜まや〜」と言いながらうちわを仰いでゆったりと見上げられる日はくるだろうか。私が花火を嫌いなのはおそらく、花火に付随する記憶が全部イタイからだと思う。

今日は30度を超える暑い日だった。
私の苦々しい思い出などつゆ知らない今年の夏が、もうそこまでやってきている。



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