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食への興味を持ちたい

食に興味を持ちたい。私は食への興味があるように見えて(いるかはどうか知らないが)、実は全くない。

おいしいものを食べたら、「わーおいしー」とは思うけど、所詮それまでだ。3秒後にはちがうことを考えている。味わって食べるというのがよくわからない。貧乏舌ともちょっと違う。おいしいという感情すらよくわからないからだ。

だから値段のいい高級な食べ物を食べても正直、廉価なものとのちがいがよくわからない。ところで、高い肉を食って本気でその旨さを味わっている人間など本当にいるのだろうか?高い料理を「おいしい」と思っているのは実は「思われされている」のではないだろうか?その肉を食べるまでに費やした労働、その場にいるステータス、酒の酔い......そういう肉以外の要素が付け加えられた味がしているのではないのだろうか。
......とまあ、こういう世間的には嫌われやすい発想をしているから、高級焼肉店のようなリッチな店との縁がほど遠い。

一度、いや二度ほどちょいリッチな焼肉店に年上に連れて行ってもらったことがある。奢ってもらった本人には口が裂けても言えないのだが、私は高級焼肉店(というか全ての高級料理)の良さがさっぱりわからない。高級〇〇店の中でも肉だけは本当に訳がわからない。
肉という、人間というか動物のバイタリティに直結するような力強い食材を目の前に、一つずつ皿に運ばれゆっくりとていねいに時間をかけて上品に食べるなんて、そんな滑稽なことが許されるのだろうかと思う。肉をガッツかないで静かに食べるって、とても人間的な活動だ。
ほんらい動物の肉はもっとがっついて夢中になってたらふく食べるべきではなかろうか。そっちの方が、私に長く深く刻まれたDNAの細胞が喜んでいるような気がする。

連れて行ってくれた年上の人は「おいしくない?もう最高だよね?」と言いながら目を瞑って食べるというおいしいハラスメントを繰り返してきたのだが、本音を言えば私はとんちゃんのような韓国焼肉の食べ放題(ひとり2000円くらい)で無限にガツガツと肉を食らいたかった。食べ方やスピードなんて気にせず、ただただ胃に肉をかきいれるだけの本能と結びついた食事がしたかった。そっちの方が味も濃く感じられるし、満腹感も桁違いだ。

味わうというのが、よくわからない。たぶん、人間的な食事という行為がうまくできない。

私にとって食事という行為は、かなり本能というか、欲求という言葉に近い。つまるところ、胃が膨らんで、お肌が荒れない程度に栄養が取れていればOKなのだ。味はどうでもいい。大事なのは体がその栄養を求めているか求めていないかだ。

私にとって食事とは体への服従、私じゃなくて私の体が求めているものに、素直に従う行為だ。
だから食事は意図的というより、どちらかというと無意識に近い。確かに私が料理を食べているのだけど、食べているのは私の意識ではなくて、私の細胞であり、血であり、肉だ。食事をしている時の私は、自分の預かり知らぬ何かに強く突き動かされ食べ物を口元に運ぶだけの機械に過ぎない。

だから、体が栄養を摂取している間(食事中)、私という意識は他のことを考える。食べるという行為は自分の無意識の身体に任せ、私の頭は別でやるべき思考や観察などをしている。完全に分離しているから、いつも食の記憶がない。まずいもうまいも、よく覚えてない。

だから、どんなにこだわりのある料理だと言われて出されても、正直よくわからない。わからないというか、おいしいと思っても3秒後には全然別のことを考え始め、気づいたら食べ物が終わっている。

よく、着飾ってないナチュラルお洒落な女性(往々にしてなぜかすっぴん)が食へのこだわりを持っているけれど、それをとても羨ましく思っていつも見ている。女性で食好きというのは、これまた本能的なものを感じる。料理は調理で何かを生み出す行為だからだ。
名前のよくわからない料理をつくっている人、美食家でおいしい店を探して練り歩く人が好きな人、料理に小さなこだわりがある人、みんな羨ましい。変な意味ではなく、女性らしい、いい趣味だなと思う。
私は料理をするにも、うまく献立が思い浮かばない。だいたい醤油で焼くか塩で焼くか煮るかだ。それで栄養が取れて体が満足するから。

食への興味を持ちたい。こだわりを持ちたい。どやったら食にこだわりが持てる?

今の私は、お腹がいっぱいなのにホイップクリームがいっぱいに挟んだ菓子パンを食べる傾向が止まらない。疲れてるんだろうか?ホイップを求める時の身体状況はなに?体に聞きたいことはたくさんあるのだが、とにかく私の本能や体がそれを求めているらしいから素直に従っている。


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