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あり得る未来に抵抗する

カツセマサヒコ著・『明け方の若者たち』を読んだ。

恐れずにいうと、何かと「エモい」という言葉で片付けられがちなこの手の内容が個人的にはあまり好きではない。それでも手にした理由は、簡単に言えば「こうはならないぞ」と自分に苦い肝を舐めさせるためだった。
あり得る未来に抵抗するためだ。

この作品の舞台は明大駅前、お決まりの最終的には結ばれない二人なのだが、この時点ですでに坂元裕二の『花束みたいな恋をした』を彷彿とさせる。今作もそんな感じだった。違うのは関係性がもっとややこしいというくらい。
『明け方の若者たち』のふたりも、邦ロックの話をしたり(フェスに行きたい行きたくないだの)下北のヴィレバンで待ち合わせをしたり、主人公の男は演劇なんてひとつも興味ないのに誘われて本多劇場に芝居を見にいくような感じの、アレ度だ。つまり、サブカル・実は一番マスなサイレントマジョリティの層・すぐ酒・何者かになろうともがく・結局失敗して無惨な姿として描かれがちな、あの界隈である。文系たるもの誰しも一度は見たことのある、あの層。わかる人には「あ〜」となるだろう。
私はこの文系サイレントマジョリティのことを「明大前系」と勝手に読んでいる。明大前駅をメインに、京王線沿いでいろんな物語を繰り広げがちな人間。

物語や映画の中で描かれるこうした明大前系の人間のオチは、決まって必ず社会人になってブチのめされるというものだ。学生の頃は好きな趣味もあって安酒のような恋愛もして、未来のことなんて深く考えずに生きていた彼らが社会人になって会社や社会の理不尽に摩耗していき、居酒屋に集まっては「こんなはずじゃなかった」と愚痴を垂らす。

私にとって、この手のストーリーは正直反面教師だ。
絶対にこうはなりたくない、後悔なんて一言も口にしたくない、そもそもこんなに群れたくない、ただひたすらに冴えた頭で、この世知辛い世の中を必ず渡ってやるんだ、と。
だから正直腹が立ってくる。主人公の愚かさと、鈍感さと、社会の憂鬱度合いに。

なぜか。

自分がいつこのストーリーの登場人物になってもおかしくないと、心のどこかで思っているからだ。私も、この世界の住人になる可能性は大いにある。

今は根拠のない自信と、誰に踏まれてもめげない野望に満ち満ちているかもしれないけれど、そんな私もいつか夢破れて、白線の上からいつの間にか落っこちて、「こんなはずじゃなかった」と唇を噛み締めて安酒を飲み干す日が来るかもしれない。考えると胃が痛くなってくるような恐怖と、それ以上の「誰かのシナリオに出てきてたまるか」という強い反骨精神が私の心をかき乱す。冷静に読めなくなるのだ。

私もライターという、自分の好きな職業でぬるっと社会人になった身だ。
自分の好きなことじゃないと仕事にしたくない。
映画や演劇、本やアートなどのカルチャーが好き。
惰性で生きたくない。
お金が貰えればそれでいいわけじゃない。

そんな考えを持つ私は、立派なサイレントマジョリティーの一員だ。自分でもわかっている。「こうなるかもしれない、なる可能性は大いにある」と。

だからこそ、私のような人間のたどり着く先がネタバレになっているようなこうした物語がいやなのだ。知りたくないし、怖い。まるで私の将来を描かれているようで。「どうせそんなの無理だ、大体はみんなこうして夢破れて、歯痒い思いをしながら生きていくんだアよ」と、水をかけられているような気持ちになるのだ。

けれどもそれ以上に、こうした作品は私をより一層奮い立たせる。フィクションに負けてたまるか。現実は、未来はこれから変えられる。水をかけようとすればするほど、炎はむしろ強くなる。この世界観に出てきてたまるか。あいつらみたいに過去に目をくれてやるか。そうはなりたくない、なるもんか。
頭を使い、手と足を一生懸命ぶさいくに動かし、私は必ず自分を実現させる。例え夢の亡者が足を引っ張ってきても。夜にその言葉がこだましても
。そんな気持ちが、ふつふつと湧き上がってくる。

最近、本当に「熱い人だね」と言われることが増えているのだけど、こう書き出してみると確かにそうなのかもしれない。

ハートは熱く、頭は冷え冷えと冴える。それが私の思う望ましい通常モードだ。
おそらく社会に出てお金をもらいながら、冴えた頭で自分の生を真剣に全うするのは相当に難しいことなのだろう。周りを見ていて、いろんな話を聞いて、そんな気がしている。本気で生きようとすればするほど信じられないくらい果てしなく、頼りなく、さみしくて辛い。本当のことなど誰もわからないし、教えてくれないし、ちょっと気が緩めばすぐに判断を誤り、修正にひどく時間と労力がかかってしまう、ことごとく冷酷でシビアな人生。それでも私は、大変でひとりで心細いほう、常にシラフで真剣に生きるほうを選びたいとおもう。
人生は全部ひっくるめて良いものだと、生まれてきたからには意味があるのだと、信じてやまないからだ。

こんなことを言っておきながら、もし私がほんとうに夢破れて物語を担うような人生を歩んでいたら、盛大に笑って欲しい。「ほら見てみろ」と言いながら、一緒に新宿の思い出横丁で安酒を飲んで欲しい。私はその光景が現実にならないよう日々を生きていく。まさに臥薪嘗胆である。


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