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カラオケの憂鬱

ひとりでカラオケに行くのは好きだ。でもそれが2人以上になると話はまた別。複数人でいくカラオケボックスは、私には権力闘争の場に見える。多分私は歌うことに向いてない。

中高からの幼なじみで、しかも同じ嵐好きの友人と行くカラオケは全く問題ない。歌詞を見ずとも歌える嵐の曲ばかりを、何にも考えずに「一緒に」歌えるからだ。しょっぱなからA・RA・SHIとかHapinessを入れて、ぶち上げればいいだけ。

けれども音楽の趣味もよくわからない人や、趣味が全然違う人と成り行き任せでいくカラオケは、本当に苦しい。苦しすぎて無理、とまではいかないけれど、色々気を遣って「良い塩梅」の曲を探ってしまうから、なかなか気が休まらない。リフレッシュのためにカラオケにいくのに、まるで「察し」の修行のためにカラオケに行っているような感じがする。

おしゃれな人たちは初っ端からオザケンとかカネコアヤノを入れたりするから本当に油断ならない。「オレ、通な曲知ってるんだぜ」という一種のマウントか?とすら思ってしまう。私はどちらも歌えるほど聴き込んでいないし、しょっぱなからそういう洒落た曲を入れてくるパターンは「そっちかあ〜」と思いながら、適当にフジファブリックのいちばん有名な曲を入れたりする。それで小賢しく「知ってますよ、ついていけますよ」アピールをするのだ。頑張って権力闘争を受けて立っている。

だいいち、人が聞いている前で自分の好きな曲を入れ、自分ひとりで歌うということに、ものすごい強い罪悪感を感じるのは私だけだろうか。「アア、こんな私が皆様の時間を奪ってスミマセン」と思いながら、マイクを持ち、肩を最小限位縮ませて、部屋のはじっこで声も張らずに歌う。声があんまりにも通らないから、いつも背景の音楽にかき消されている。それでも、何も歌わないよりかはマシだと思う。

これを書いてて思った、なんのために私はカラオケに行ってるんだ?

とにかく、カラオケは本当に本当に気を遣う。頭もつかう。完全なる権力闘争の場だ。
お互いの十八番の中でも、そのメンバーによって場がシラけないものを選び、恥ずかしくないほどに上手く歌い上げ、同時に聞いている人たちも盛り上げなければならない。なんて頭を使う場所なんでしょう。
他の人が全く知らない歌を歌っている間も、とりあえず真顔で画面を見つめるのはマズイかなと思い、適当に音楽に乗って体を揺らしたりするのだ、私は。

でも自然と、それならば行きたくない、と言い切れるほどに嫌いでもないのだ。たま〜に複数人がピタッとくる選曲があって、それがたまらない。しかも声の綺麗な友達と一緒に音色を合わせて歌うと、音が共鳴してほんとうに気持ちの良い瞬間がやってくる。思わず目を瞑って歌いたくなるほどだ。

だが大抵の場合でそうはいかない。いっそのこと、何にも考えずにしまじろうの歌とか、アンパンマンのマーチとか、タガが外れた曲をひたすら歌いたい。みんなが聴いて育ってきた童謡とか合唱曲でいいじゃない。カラオケの無駄な思考を放棄して、何にも考えずに歌える魔人になってみたい。

考えすぎるタイプに、カラオケは向いてないようだ。



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