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築42年のアパートと演歌

去年の2月から住んでいる私のアパートは平均年齢が60〜70だと思う。住民の中で、ダントツ若いのが私だ。若者を、見たことがない。

きれいな畳、家賃5万円以下、日当たりの良い2階、ユニットバスでもいいから洋式便所で給湯器あり、という条件で物件を探したら、当たり前のように昭和の物件にたどり着いた。

うちのアパートは築42年、名前も「〇〇荘」という味わい深い響きである。大企業の借り上げ社宅に住んでいる弟にそう言ったら、ひどくバカにされた。「今どきそんなアパート、聞いたことないよ」と。

だが私はこの暮らしをとても気に入っている。2000年代の、大好きな蒼井優が出てくるような映画の部屋に住むのが私の憧れだった。いぐさの香りかぐわしい畳、開けるときにガラガラと音を立てるすりガラスの窓。それを開けると、目の前には隣のお宅の立派な松の木。南向きの二面採光で日当たりも充分。台所に張られた、万華鏡のような柄の床も決め手だった。

部屋探しをしていたとき、ここが1番ピカピカだった。今だに畳を貫く物件は年季が入ってかなり古めかしく感じることも多いのだが、ここは違う。ちょうど私が入居する前に畳を張りかえてくれ、壁も真っ白に塗り直していたのだ。1回の見学で、ここに決めた。

さてそんな私の住んでいるアパートだが、先に言ったようにとにかくシニア層が多い。そして、キャラが濃い。

「もう、なんだよぉ」と1日1回部屋で大きなひとり声をあげる車椅子のおじいさんや、どんな時期でもカウボーイハットにウエスタンブーツを決めてゆっくりと歩くおじいさん、唯一同じ2階に住んでいる髪の長いおばあさんはこの前はじめて遭遇して挨拶をしたとき、柔軟剤の良い香りがした。年齢が違うと活動時間も異なるのか、滅多に出会わない。ただ、「いる」ということだけはわかる。窓から聞こえてくる会話、どこかの部屋にやってきた訪問者、野良猫に勝手に名前をつけて呼ぶ人……普段は滅多に出会わない世代の暮らしぶりを少しだけ垣間見れるのも楽しい。

午前中、この時間帯になると、高頻度でどこかから爆音の演歌が聞こえてくる。音の方向からして1階の部屋だ。今も演歌が大音量で聞こえている。歌詞まで判別できるほどで、「さみしいねぇ」を連呼している。自分の生活に演歌が食い込んでくることなど、富士そばに立ち寄った時くらいしかない。逆に新鮮で楽しい。

前に高校時代の友人と会い、「人間はいつから演歌を聴き始めるのか」という話になった。酔っていたので詳しくは覚えていないが、たしか「演歌ブーム」なるものが昭和の時代にあり、そのときに親しんだ世代が今もメインのリスナーなのでは」と話していた気がする(合っているかは全くわからない。思考実験のような、妄想話だと思ってください)。するとメインの聴取者が高齢になるにつれて、演歌のリスナーはどんどん減っていくということになる。

中高の頃から良くも悪くも歯切れの良かった彼は、「だから俺、演歌っていつか消滅すると思う」と相変わらず身も蓋もないことを言っていた。

どうだろう。うちの母親は最近になって、気にかけている演歌歌手ができたという。といってもテレビに出ていたらチャンネルを変えずにいるだけで、ライブに行くほどの熱狂的なファンではない。それに年を重ねて歌詞が響くようになったというより、顔や雰囲気で「なんか好き」というレベルらしい。

会社員時代は駅前の富士そばで蕎麦を啜ることも多くあったのだが、富士そばの店内BGMは御年88の会長セレクトにより、24時間常にシブい演歌が流れている。気になって調べてみると、会長が丁稚奉公をしていた10代の頃、寂しいときに流れていた演歌に救われた過去があるそうだ。この話を聞いてから、演歌を聴く人には、それなりの契機があることを知った。和歌で言えば「いとをかし」の心なんだと思う。


このアパートのどこかに住む演歌住民も、おそらく聴き始めるきっかけがあったのだろう。住み始めてから1年とすこし、未だ顔を合わせていない住民の人生に思いを馳せる。人生の折り返しを過ぎ、この築40年超えの古いアパートでひとり暮らしをしながら、演歌を爆音で聞いている。人が知れば「なぜいい年してそんなアパートに」「身寄りはいないのか」と言いたくなるかも知れない。

でも彼らの生活を間近で見ていると、そんなことは口が裂けても言えないのだ。みな静かに、穏やかに暮らしている。諦めも、疲れも、悲しみも全部ひとりで飲み込みながら。住民の「もう、なんだよぉ」が、私には人生そのものに対する悲痛な声に聞こえてくることがある。

だから映画『PERFECT DAYS』を見た時、ただただ映像美で私たちの生活を殴られているような気がした。かわいい娘から突然頬にキスをされることも、小洒落た洋楽のカセットを流すことなどない。彼らが昼間から窓を開け放って流すのは演歌なのだ。


そんな私たちが住むアパートも、この年末で解体されることが決まった。
建物の老朽化が進んでいるため、とのことらしい。

不動産屋の担当者が、「いやぁ、僕も大家さんからは全く聞いてなくて。なんか勝手に決めちゃったみたいです」とうす笑いながら電話してきた。人の人生など知らんこっちゃない、という感じで。

私は若いし、最悪、広島に帰れば良い。なんとでもなる。
だが、それ以外の住民はどこに行ってしまうのだろう。家賃の金額帯からして、ここより生活のグレードをあげることは難しい。屋根裏にいるネズミと一緒に我々は掃き出されるのか……そう、「掃き出される」という言葉が今は相応しい。

いよいよ引っ越しの日が来て最後にドアを閉める時、適当な演歌でも聴こうかと思っている。ここを離れてしまえば、きっと演歌を耳にすることなどなくなるから。

こんなの、「さみしいねぇ」以外の何物でもない。

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