2021.10.13

Every dog has its own day

いちばん書きたいことはいつだって書けないさ、と思いながら今日も筆をとる。

今朝は朝からテレビに張り付いてスマホで撮影するというミッションがあり、ぼろぼろになりながら8:00に起きる。遡ること4時間前、AM4:00に蚊の羽音で起き、枕元のヘッドライトを点けては消してを繰り返していたのだ。深い眠りを邪魔するしつこい羽音は、渋谷西武の前で若者除けに放たれているモスキート音よりも2.3倍くらいはタチが悪い。世界でいちばん嫌いな音だ。

その後、渋谷のど真ん中でバイト。店長は私語も許さない感じの真面目な人だが、とにかく話がくどい。ためしに頑張って最後まで集中して聞いてみたところ、1文で終わるような内容を何回も舐め回して言っていた。あー。
こういう苦しい感じの人に楯突くカロリーは持ち合わせていないので、この場合に私は「使えない馬鹿」に徹すると決めている。あえて完全なる指示待ち人間に成りさがり、相手の信頼度を下げる。さすれば頼られることがないし、ストレスフルなコミュニケーションが発生しないという、あまりおすすめしないネガティブなライフハック。

昼にバイト先の大好きな先輩のおすすめ崎陽軒の弁当を買う。
お会計が960円で、先に1,000円を出して小銭をもぞもぞしていたところ、レジ担当のせっかちなおばさんはもうレジに登録してお釣りを40円渡そうとしてくる。いやいや、私は60円出したいの。
「すみません!1,060円でもいいですか、涙」とぴえん顔をして懇願すると、表情を変えない明るい営業トーンで「は〜い、いいですよお!」と言いながら気前よくポケットからペンを出し、レジから出てきたレシートに上からシャシャシャっと斜線を引いて手書きで「1,060」と書き直した。そんなんアリ!!!?と思いつつ、その流れがあまりにもスムーズに行われたので感心して見入ってしまった。

夕方のデパ地下のイートインスペースはそこそこ空いている。適当な席を見つけて崎陽軒の先輩お墨付き弁当を食らう。えいや。

おいおいおい、びっくりするくらい固いではないか!!!!!

つくってから時間が経っているせいか、俵型のご飯の連なりが全く離れない。割り箸が折れそうなほどに固い。こりゃないだろう、というくらいにすべてくっついていた。その粘着具合に気を取られて、肝心のシューマイの味を今書こうとしても思い出せない。シューマイが売りのお店なのに、ぜんぜん味が思い出せない。記憶にないということは、きっと普通の味だったんだろう。

ヘトヘトの状態で帰路につく。
帰ってやらねばならないことがざっと思いつく限りで3つもある。あー。
亀のようなスピードでしか歩けない。電車の中では座れたこともあり、猛烈な眠気に襲われる。あ〜〜〜〜。
私をメガシャキにさせてくれる飲み物はなんだろうと考えた時、セブンのアイスカフェラテのLだと思った。セブンにフラフラの状態で入り、アイスカフェラテを淹れる。セブンのアイスカフェラテは、冗談抜きに世界でいちばんおいしい。

昨日は胃が冷えていたし、帰路には街灯の下で細雪のような冷たい雨が降っているし、今日はどんなに疲れていても銭湯に入りたかった。
帰宅後、Amazonでポチっていた57577という短歌カードが届いていて一気にテンションレベルが100に爆上がり。復活。

先週の日曜日、知り合いの編集者宅にお邪魔した。その時彼女の子供が遊んでいたのがこの57577カードだった。カードを引いて、この57577が作り上げている偶然の世界観を一生懸命想像しようとする子供を横目に、私は深く深く感動していた。
単語自体はわかるのに、繋げて声に出した瞬間、一気に異次元の世界に飛ばされる快感。これこそまさに、ルールに敷かれた言葉の世界の打開策なのではないか。最近私が言葉や文章というものに感じていた閉塞感を、一気に飛ばしてくれたのがこのカードだった。

対象年齢はいざ知らず、私はそのあとそそくさとこれをポチり、手元に届くのをカメのように首を長くして楽しみにしていたのだ。
この57577の短歌カードたちは、カメのスピードで歩いて帰った私を出迎えてくれた。
記念に早速カードを引き、声に出して読む。

画像1


グッドです どこかの星へ 逆襲の 忍者の里に 二匹のネコが

どんなイメージが頭に思い浮かぶだろう?
私は、宇宙の小さな惑星の中に佇む泥棒ネコが思い浮かばれる。このキテレツ具合がたまらない。オチもない。意味もない。論理も秩序もない。
本来ルールや意味でがんじがらめになっている言葉の可能性に、とてもワクワクした。

あまりにも感動したので、ボソッとTwitterでこんなことを呟き銭湯に出かけた。

銭湯で流れていた「突然ですが占っていいですか?」をぼーっと見ながらまったり過ごして外へ出る。ふとスマホをみると、
なんとこの57577を作った方からリツイートされているではないか。
やった、やった。
今日の疲れは銭湯とこのリツイの件ですっかり飛んだ。

ああ、ツイッターよ。
どれほどここが無法地帯で、荒れに荒れた荒野だとしても、私がここを抜け出せないのは、こういうところにあるのだ。
私がツイッターを続ける理由はただ一つ。

自分が好きなもの、これいい!好き!と思った作品の作者に、「つくってくれてありがとう」と伝えるため。私はこれが好きです、と告白するため。それだけなのだ。

ツイートはさながらボトルメールのようだ。
最近は随分と不快なゴミの漂着物が多いツイッター海だが、それでもたまに、本気のピュアなボトルメールが本人に届けられることがある。
その浮遊感、不確かさ。私が頑なに公開アカウントにする理由は、ツイッターが持つボトルメール的なふわふわした感じが好きだからだ。

今回の57577は狙って(作成者本人に届きますように、と願いながら)ツイートしたわけではなかったけれど、運よく本人の手元にメールを届けることができた。このうれしさ、偶然性に、ツイッターで味わういろんな不快な感情や流されそうな怒りも全て忘れることができる。伝えることのできたうれしさ。

それから余談でもう一つ。
私個人としては、自分が本気で心の底から「好き!!!」と思ったものは、なるべく本人に言葉で伝えたいと思う。特にそれが作品などのクリエイティブの場合、必ず言葉にして伝えたい。
それは、私が以前ZINEを作ったとき、わざわざ言葉にして興奮気味に感想を伝えてくれる読者にとてもとても救われる思いをしたからだ。
ZINEを通して、ものづくりといわれる聞いた感じは華やかでカッコいい活動が、実は地味で泥臭く、労力のかかることなのだと身を以て知った背景がある。自分の作ったものに好感的なコメントや感想をもらうことは、こんなにもうれしいことなのだ...と。であれば、せめて私は本人の元へきちんと感想を届けたい。好きは好きと言いたい。そんな風に思うのだ。
人によっては感想を聞きたくない人もいるかもしれないけれど、私は、本当に「好きだ!!良い!!」と思ったことはきちんと本人に伝えたい。それは、口に出して宣言しない限り可視化されないファンとしての姿を相手に見せるという私なりの誠意でもあるし、少しでもその作品やものをつくってよかったと思ってもらえるといいな、という密かな願いも含む、ごくごく純粋な気持ちによるものなのだ。

てなわけで、私がツイッターをやっている1番の理由であり、醍醐味である「自分の気に入ったものをつくってくれたひとに、直接感想が届く」という瞬間を今日は味わえた日だった。

それだけではない。

そのリツイによって、何人かの短歌界隈の方を知った。
その方の短歌を見ながら、また私はニヤけてしまった。
私はいよいよ短歌という道の世界の扉を開いてしまったかもしれない。ツイートされている短歌という言葉の世界の伸びていく感じが、もう清々しくてたまらなかったのだ。きっとこれだ、私が求めていたものは。

私がここのところずっと窮屈に感じていた、文章や言葉のルール、しがらみといったものから一切解放された表現手段の先に、いよいよ「短歌」があるのかもしれない。まさに未知との遭遇だった。

新しい世界、しかも、求めていたものにかなり近い世界を知ってしまったよろこび。快感。ここにもまた、ツイッターをやめられない理由がある。


大きな潮の流れが変わってきている。
力を抜いて、自分に降りてくるインスパイアを信じて、この潮に乗りたい。明日も大事な予定がある。もっと流れは変わるだろう。

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