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卒業がきまった:さよなら、私の勉強コンプ

4年間通ったわせだを、無事卒業できることが決まった。
それも今朝。

今日という日は、私の中でとても感慨深い日になると思う。
だから今日はすこしだけ、あまり好きではないタイプの内容を書いてみたい。感情記録として、今の私を、どうしてもここに残しておきたいと思った。

「おめでとう!今決まるんだね!意外とおそいね〜!」と言われまくった今日1日。この確定時期の遅さはひとえに私の不真面目が原因だ。他の真面目な友人たちはとっくの昔に卒業を確定させ、友人とアルバム用の写真を撮り、袴を選び、あとは学位記を受け取るのをのんびり待っている。私は大学3年の完全リモートの1年でボロボロと単位を落としてしまい、今学期はその皺寄せを猛烈にくらっていた。

1単位でも落とせば留年確定。非常にあやうい状況だっただけに、webで「卒業決定」の文字を見た瞬間に、思わずベッドから飛び上がって喜んだ。
あのうれしさは、4年前に同じくベッドの中で合格通知を聞いたときと似ているものがあった。



早稲田は私が高校生の頃からずっとずっと憧れ続けていた大学だ。
中学生の頃は、まさか自分が早稲田に行くとは思っていなかった。勉強も得意ではなかったし、小学生の頃からずっと根に持っていた、自分の頭の悪さに対するコンプレックスを引きずって、早稲田なんて雲の上の上の存在だと思っていた。

雷が落ちたのは、高校1年生のときの進路説明会だ。
冗談ぬきに、あそこで私の運命は確実に変わったと思う。

その進路説明会には立命館大学と早稲田の入試担当が1人ずつやってきた。高校に上がり、そろそろ文理選択や大学の進路を考えなければいけないという憂鬱になってくる時期だったのを覚えている。
トップバターは、立命館大学の入試担当だった。関西人ということもあり、話し始めるやいなや、軽快なボケを程よいテンポで決めてくる。スライドも簡潔で見やすい。学校にやってくる大人にしては珍しく、話もつまらなくない。
ホールで最初に聞こえてきたくすっとした笑いはだんだんと大きくなり、しまいにはみんなが手を叩いて涙が出るほど腹を抱えて笑うまでに大きく膨らんでいた。立命が、場の空気を持っていってしまったのだ。
高校という閉塞的な環境下で、外部から届けられる普段馴染みのない「笑い」は、窮屈な思いをしている高校生にとってのオアシスにもなる。まるで新鮮な空気を存分に吸うかのように、私もその説明に夢中になって聞き入った。

その出来上がったホールに投入されたのが、今日我が母校となった早稲田の入試担当だった。
そして案の定、早稲田の入試担当はムードをうまく活かせず、全く面白くないプレゼンをしてしまっていた。ボケもない、話も普通のことしか言わない、自分の想像を超えてこない、おそろしいほど普通の説明会。

けれどその普通なプレゼンを見て、私はなぜか「ここだあああああああああ!!!!」と思ったのだ。
何を見てそう思ったのかうまく思い出せない。写真を見て、そこに通う自分が想像できたのか、それとも何かのカリキュラムが良いと思ったのか、当時の私が刺さったポイントはわからない。でも確実に、「ここにいきたい...!」と思うようになった。

上で少し書いたが、私は小学生の頃から強烈な「頭の悪いコンプ」を抱えていた。どうやっても算数ができない。どうやっても先生の話を理解できない。どう頑張っても人の話が右から左へ流れる。どうやっても覚えるべきものが覚えられない。宿題もわからない。そんな自分がとても嫌だった。
頭のいいこ、つまり、先生の話を一度聞けば家に帰ってすぐに自分で宿題が解ける友達に、もはや嫉妬に近い憧れを持っていた。
わたしだって頭がよくなりたいのに、その方法がわからない。どうしたら勉強ができるか、それて根本的なところから教えてほしかった。
それが聞けなくて、というか気づいてなくて、教えてくれる人もだんだんイライラしてくる。その姿を見るのが1番嫌だった。

なんなら、算数に関しては2才下の弟の方がよくできた。弟は先生の話を一度で聞けるタイプの頭のいいこどもで、宿題も自力でできて、まさに自分のクラスで嫉妬を感じるようなタイプのこどもだったのだ。そんな奴が同じ家に住み、学校や先生からの評価も生々しく耳に入ってくる環境。当時の苦しさや悔しさの強さは、小さな体で抱えるにはあまりにも大きすぎるパワーだったように思う。

学生生活が終了することが決まったいま、振り返ってみると私の学校生活は、すべてこの「勉強コンプ」がつよいマイナスの原動力になってきたように思う。頭の悪い自分を、ずっとなんとかしたかった。このつよい負のパワーに、小中高大の16年間は、本当に、本当に、苦しまされた。本当に、しんどかった。

小学4年生のころ、ついに自分の意思で、中高一貫校を受験したいと親に頼み込んだ。バカな自分から卒業したかった。
地頭の悪い子どものマイナス500からのスタートだったゆえに、この中学お受験も吐くほど辛い思いをした。遊びたいのに遊べない。塾のない日も宿題に追われる。目の前で遊びの約束をとりつける周りの友人たちを横目に、自分は塾に通わなければいけない。当時は幼くてその感情が「つらい」と認知できなかったのだが、今思えばあれは完全に「しんどい」ものだったと思う。へたに精神的に成長して、あの環境と同じものを今体験してしまうと、大人は簡単に鬱になってしまうだろう。それくらいにつらかった。
何度塾をやめたいを言ったかわからないが、それでもなんとか第一志望の中高一貫校に合格することができた。自分の頭悪いコンプレックスが、そのとき少しだけ軽減されたものの、中高とすすんでも結局それは変わらない。
相変わらず数学ができない。テスト勉強をコツコツと取り組むことが生来的にできない。家で勉強することができない。小テストに準備するモチベーションが生まれない。

その一方で、自分が磨くべき武器もわかってきた。英国社の文系科目だ。
この3つだけは、なぜかテスト勉強もそこまで苦にならなかった。むしろこの教科で悪い点数をとる自分が許せなかった。文系3科目なら、ひょっとすると頂点を目指せる。そう思い、一般入試で早稲田を目指すことにした。

だが現実はそうは甘くない。
高校2年の春で部活を引退してから、学校でのアイデンティティを失った私はもぬけの殻のようになった。「塾なんて嫌いだ!独学で早稲田に受かるんじゃ!」と強気でいたくせに思うように勉強に身が入らず、そのまま浪人が決定した。浪人時代の厳しい修行僧プレイのエピソードも割とあるが、さすがにこんな話を読んでくれる方にそこまで付き合わせていただく勇気はないので、割愛することにしたい。

早稲田は、2年間の現役時代と1年の浪人を経て、なんとか入った憧れの大学だ。
法学部の合格が決まった時も今日の背水の陣ぐあいとよく似ている。当時は入試シーズンももう終わるという時期なのに、合格通知をどこからも受け取っていなかったのだ。

それから4年後の今日。
私の長い長いコンプレックスとの戦いに、ようやく終止符が打たれた。私は、勉学コンプの最終関門としてたどり着いた学校を、卒業する。
小学生の頃から続いていた、自らのバカさとの戦いがようやく終わった。私は、私のバカさに勝った。

もちろん、世界的に見れば〜とか、
成績の詳細の観点でいえば〜とか、そうやって細かく客観視していけば、私のレベルなど全く大したことではない。けれど、小学生の頃のあの絶望的な「お勉強のできなさ」を考えると、やっぱりこれは誰になんと言われようと、この戦いは私が勝ったのだと言いたくなる。

もう戦わなくていい。もうテストの点数や試験の結果で自ら(時にDNA)の愚かさを恨まなくていい。グロテスクな比較を周りとしなくていい。合格や不合格という二限的な争いを避けて生きられる。これからは、誰のなんのカリキュラムに従う必要もなく、学びたいものを、学びたいタイミングで、学びたい深さまで学ぶことができる。

卒業の実感より、自分との戦いがおわった実感をかみしめている。
今日はとても感慨深い1日だ。

さようなら、先生と生徒と、テストのある学校という存在。私の勉強コンプレックス。






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