【エッセイ】人を信じる事が出来なくなった話。
皆さんは、血の繋がりのない赤の他人を信じた事ありますか?誰でもいいです。
友達、学校や塾の先生、クラスメイト、推し、などなど。色々な人と関わる人生、誰かを信じることができるのはとても素敵ですね。
私は、誰1人信じることができません。
いつか未来に幼稚園からの幼なじみがこれを見るかも知れない。けど、ごめんね。
厨二病でしょうか?そう言われてもまあ仕方無い。もちろんみんなのことは大好きだし、これからも一緒にいたいと思う。悩みを相談することもある。
だけどそれが人を信じることに繋がるのはちょっと違うかな、なんて思う。私の「極秘情報」じゃない限り誰にでも喋るし、むしろそっちの方が沢山の意見を吸収できる。だから中途半端な隠し事は無い。隠したいものは自分の中に留めておく。
いつからこんなに捻くれてしまったのか、私にも分かりません。少なくとも中学生の頃は「信じてるからね!」って言えていたはずのに。軽々しくと言ったら語弊があるけど、今では冗談ですら信じてますとか言えない。
誰かを信じること、期待することが怖くなってしまった。
だからどこかいつも保険をかけている。もしこの人が裏切っても……なんてことを考えている。いつも最悪を想定しているのだ。けど、これの何が悪いのか分からない。
人を信じることが出来る人は本当に素敵な人間だ。誠実な人こそ、周りから愛されるのでしょう?
私は臆病で、これも言い訳でしかないのだけど、ずっとずっと人を信じることが怖い。裏切られる前提でいないと、傷付いたときのダメージが大きい。それを知ってしまったから。
人と関わるうえで、どうしても信頼とか期待は生まれてくる。それが無いと成り立たない関係性がいくつもあるのも分かっている。それでも……。
多分これは私の性格が100原因なのだけど、もし可能であるなら、誰かが私の事を救って欲しいとも思ったりしてしまう。偉そうだけど、自分ではどうしようも無いから変えて欲しいって。
信じさせてよ、期待させてよ。
そんな事言えたらどれだけいいか。
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