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その音で紡いで

「今日までありがとう。不甲斐ない部長だったと思うけど、みんなと一緒にここまでこれてよかった。最高の仲間をもったよ、本当に、ありがとう…」
教室内に拍手が響き渡る。七月の中旬、惜しいところまで進んだ先輩達は今日で引退となった。教室中からすすり声が聞こえる。それぞれが残りの時間を大切にしようと、手紙を渡したり拍手を交わしたりしているがオレは到底何かをする気なれなかった。今日で先輩達との部活が最後という事実に打ちのめされていた。
(最後、もう部長と弓を引くことはないのか…)
行き場のない気持ちを晴らすために、一人道場に向かった。オレ一人、送迎会から抜け出してもきっと誰も気づかないだろう。溢れだしそうな涙をまだだ、まだだとこらえ、駆け足で扉に向かう。

 二年前、中学三年生のオレは高校を決定するため色々な高校を見学していた。特にやりたいことも将来の夢もないため、夏休み直前だというのに志望校が決まっていなかった。生憎勉強には困っていなかったため“選べる”ことが皮肉にも頭を悩ませる。今日来た高校もきっとピンとこないまま終わるのだろう。そう思いながら校内をふらふら徘徊する。暑い中頑張るサッカー部や野球部、体育館の中からはバレー部やバスケ部の掛け声が響きわたっている。
あまりにも直射日光が眩しくて頭がくらくらする。少し休もうと、日陰に移動する。するとそこでは弓道部の活動が行われていた。袴姿の人がずらっと並んで、弓を引いていた。バン、っと的を射抜く音が聞こえる。反射的に道場の方に顔をむけると、そこには美しい姿で弓を引く女性の姿が目に映った。その一瞬、オレはその場から動くことができなかった。長い黒髪を高い位置でまとめ、身長が高い彼女は袴を着こなしている。炎天下の中、首を伝う汗を拭うことすら忘れてしまう。一目惚れだった。この瞬間からオレはこの高校を目指すことにしたのだ。

 そして、送迎会を迎えた今日まで、オレは何もアクションを起こすことができなかった。柄にもないと皆に言われながらも始めた弓道も案外楽しくて、でもそれは一から教えてくれた先輩のおかげだ。それなのに、なにも伝えられずに終わるのか、女々しすぎるだろオレ。
 グサッ。鈍い音が聞こえる。放った矢は的からほど遠く安土に刺さる。余計なことは考えない、そうじゃなきゃ当たらない。
「馬手が下がってるし、離れの時弓手を振ってる。だから安定しないんだよ」
聞き覚えのある声に思わず思い切り振り向く。そこには、送別会を終えたはずの部長が居た。嘘だ、いつから。
「偉大なる先輩の送別会だというのに、途中で抜き出すとは一体何者だ~?」
「すみません、少し引きたくて。そういう先輩こそどうして戻ってきたんですか」
「ん、最後に一本だけ引いてけじめを着けようと思ったんだけど」
「けじめ?」
「うん」
そう言って部長は懸けを装着し、弓と矢を取り出す。テキパキ動くと同時に、あの日と同じポニーテルが揺れる。本当にこの人は袴が似合う。
「この一本で今後弓道を続けるのかけじめをつけようと思う。この間の大会の団体戦、あそこで私があと一本当てていればば入賞できていたんだ。」
「でも、そんなの…。きっと誰も気にしてないとおもいます」
「“部長”として勝手に責任を負っているだけ、ただのプライドさ。だから今ここでこの一本を当てることができたら、私は心置きなく弓道をやめることができる」
そう言って、先輩は射位に立ち構えの形をとる。
「だから、そこで見守ってろよ、かわいい後輩」
振り返り満面の笑みでオレに笑いかける。その笑顔に釘付けだ。落ちかけている夕日が先輩を照らす。日中よりは涼しくなったとはいってもまだ暑い。暑さか緊張によるものなのか分からない汗が首を伝う。そんなことどうでもよくなる程いまオレは先輩の動作一つ一つを見逃したくない

 足踏み。胴造り。弓構え。

入部してから先輩にしつこく教わった弓道の基本の流れ。オレが覚えるまでなんどもなんども教えてくれた。

打ち起こし。引き分け。会。

本当にきれいな射型をしている。この矢を当てたら、本当に先輩は弓道を辞めてしまうのだろうか。オレはこれからもこの人の隣で弓を引きたい。あの日願った夢が今、目の前で終わろうとしている。それなのに黙って見ているだけなのか。なにか、かける言葉を…
「先輩、好きです!!!」
 離れ。残心。
矢を放ったと同時に弓手が大きくぶれる。ドンっと鈍い思い音が響きわたった。矢は的もちろん、安土にすら当たらず壁に直撃する。二人の間には沈黙が訪れる。先輩は何が起こったのか一瞬分からず、ただ茫然と的の方向を向いたままでいる。
「あの、先輩…」
「ハハ、アハハっ」
予想外の反応に驚く。告白を受け、更に自分の射を邪魔されにも関わらず先輩は楽しそうに笑う。アハハハハ。あまりにも不思議で自分でもなんて声をかければいいのか分からなかった。ただ笑う先輩をみることしか出来なかった。
「ねぇ、上沢。」
クルっと振り向き、オレの方を向く。
「私に、弓道続けきっかけをくれてありがとう。」
夕日が眩しくて、先輩の表情を読み取ることはできなかった。けど、どうしてか泣いているようにも見えた。

「はい、一回集合」
あれから一週間後、オレは次の代の部長として選ばれた。理由は分からないけど、顧問にお前が先輩の意思を引き継げと任命されてしまった。あの後、先輩は「おつかれさん、またな」とだけ言って道場から出ていってしまった。後から聞いた話し、先輩はすでに同じ弓道部の副部長と付き合っていたらしい。バレたらめんどくさい事になると思って必死に隠していたとなると、情報が流れてこなかった事にも納得いく。しっかり断らないのも先輩の優しさだったのだろう。
 約二年間の片想いはあっけなく終わってしまった。思えば、一目惚れが理由でここまで弓道を続けてきたのは自分でもアホだと思う。けど、今は違う。
 先輩はオレに弓道を始めるきっかけをくれた。
 オレは先輩に弓道を続けるきっかけを与えた。
これからも、誰かのきっかけになりたい。七月もそろそろ終わりを迎える。今日も中学三年生が部活動見学にやってくるだろう。
「いいかみんな、気合いれて良いとこ見せるぞ」
バンっ。次々と矢が当たる音が道場を賑やかにしていく。オレ達の夏はまだ始まったばっかりだ。

 


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