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1年10ヶ月と12日



あの日出会ったキミはとても小さく
目を怪我してた。
その目を怪我してたから
どうもほっとけなくて我が家に
我の家族として迎えた
あの頃の体重は334gと小さく
触れれば潰れるんじゃ無いか。ととても怖かった

それから月日は流れいつしか
我の唯一の話し相手に。
我の唯一の兄弟に。
家で1人寝てるだけの生活のあの頃を乗り越えれたのは
全てギズモのおかげ。
あの頃に出会ってなかったら
きっと我、今この世にいないんじゃ無いかな。
そのくらい死のうとした。
毎日のように死のうとした。
死ぬ事を考える事が日課になってた。
自殺の本とか買ってた。
それを読んで知ったのは
車の中密室にして練炭を焚くといい
そしてそのまま眠りにつく。
すると、苦しむ事もなく寝たまま彼方へいける。
実は小学生の頃から
そう言うの調べるのが好きで
調べまくってるので色々と知ってるが
中学生になり、自ら身をもって知りたい!と思ったあの日
3階から飛び降りた。
あの時はあの家から逃げたくて飛び降りるしか
逃げる方法が無かったからかもしれんが
飛び降りる人の気持ちがわかった気がした。
若干このまま死ねばいいのに。って思ってたが
まぁ、ただの家の3階なので
裸足で綺麗に着地した。

2度目のそんなやつは
顔に袋を被った。苦しくてすぐに諦めた。
3度目、4度目と続くが
その後は全て首吊り。
成功すると垂れ流しになる事を知ってたので
出来るだけ少なく済むように、沢山痩せた。
でもいつも気が飛びそうになる直前で苦しくて諦める。

そう。結局死ぬ気のない自殺
ただ、その時その時でその時居た我は全て死んだと思ってる。

最後にしたのはどうしても祖父母に会って
話したい事があったあの日。
その頃精神科に通ってた我は
眠剤やらなんやら沢山もってた
家に1人。誰も帰ってこない。
今日は帰ってくるのかな。って待つのは疲れた
アイツが帰ってきた時、我が死んでれば気づくかな。
そう思って、眠剤半シート飲んで慣れた手つきで首を吊った
眠剤に耐性がついてたんやと思う。
眠くもならずただヨレた。
そして、苦しいともがいて諦めた。

首にくっきりついたロープの跡を見てもう2度としないときめ
その跡を付けながらいつも通りバイトに向かい
誰も帰ってこない
ただ広い家に1人。

そんな時にいつもそばに駆け寄ってくれてたのがギズモ
我がヘトヘトでもう無理。ごめんお世話できそうにない。
そんな時にあたかも"大丈夫"って言ってくれてるかのように鳴いて
私を呼んでくれた。

何を話してるんか分からんが
今も過去と似たような状態であると思う。
でも、ご飯のおいしさを知った。
21歳。焼肉食べれるようになったよ。
お寿司も食べれるようになったよ。
20歳までお菓子が主食やったのにな。
今でもご飯よりお菓子を基本的に食べてるが
やはり、ご飯が美味しい。
実家に住んでる時はご飯がとにかく嫌いやった
理由は簡単でいつも1人
いつも作り置きの冷めたご飯
温めれば暖かいが美味しくない
たまに賞味期限とても切れたご飯
カビの生えたバケットとかよく家にある。
冷蔵庫は中国のあの独特な匂いがする
そんな所。
お弁当は嫌いやった
腹立つくらいに嫌いやった
目の前で温かいご飯を作ってくれるお母さんが羨ましかった。
家に帰ると誰か居る
そんな家庭が羨ましかった

今世ではもう無理。
来世に期待しようか。と思うが
期待すれば結果が悲しくなるので期待はしない。

だから、何を話したいんか
何を話してるんか、全く分からんが
我の脳はいつもこんな感じで次々と言葉を出してくる
でも、人を前にすると言葉が詰まる。
自らを曝け出してる人の前では
お前黙れよ。ってくらいにうるさく喋る。

なんでこうなったかは分からん。
ただ、幼少期からずっと1人やった
いや、実際には周りに誰か居たが
ずっと1人やった。
悪者に見られた小学生時代
我が悪くなくても全て我の責任
いいよ。皆んなが幸せなら。それで、
何を言っても大人は信じてくれないので
そのマインドで居た
気づけば反論する事も面倒になり
違ってもそう。と言うようになった

大人ってなりたくないな。
そう思いながら大人になった
なので、今も中身は何一つ変わらん
見た目だってほぼ変わらん。
それは、我が変化を求めていないから

だから、何が言いたいん。
この辺でやめておこう。

ギズモが来てから良くなったよ。
よく笑うようになったよ。
ありがとう。
グレムリンのギズモ飼ってみたかった。
夢叶えてくれてありがと。

黙ろ。

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