台湾にて戦没者慰霊祭に参加した
バシー海峡
日本にとって大切なシーレーンのネック、バシー海峡。全くの素人ながら、この海峡の重要性は昔も今も全く変わらないことは地図を見ればすぐ分かります。ここを自由に航行できるか否か、それが自分や自分の家族、隣人を含む多くの現在の日本人にとって生活に直結する重要な問題だと認識しています。
約80年前の惨劇
今から80年弱ほど前、この海峡を自由に航行する事ができず、10万人とも20万人とも言われる多くの日本人が命を落としたそうです。この人たちのことをバシー海峡戦没者と呼ぶそうです。
東京、大阪、名古屋など大都市への空襲や広島、長崎の原爆でそれぞれ数万〜数十万人の人々が命を落としたことは当然知っていました。しかし、バシー海峡を通過する輸送船が次々撃沈されて累計10万とも20万とも言われる多くの人々が亡くなったことは、2016年に台湾に来てしばらくするまで全く知りませんでした。しかも、戦後70年にわたって様々な事情により政府が関与する慰霊祭を行う事が出来なかったと言う歴史があったそうです。
慰霊祭参加
2023年11月19日に台湾の南端、恆春半島の先端あたりにある潮音寺でバシー海峡戦没者慰霊祭が執り行われました。第9回目だそうです。台湾駐在の日本人として帰国までに一度は参加したいと思い行って来ました。
慰霊祭の様子、そこで見聞きしたこと、また帰宅後に書籍やnet情報で調べたことを踏まえ、個人名を避け差し障りのないと思われる範囲で慰霊祭の様子をここに記していきたいと思います。活動にご関心を持たれた方は実行委員会のwebサイトにアクセスし問い合わせてみてはいかがでしょうか。
スローガンは銘心鏤骨
それで、慰霊祭には一つの明確なメッセージがありました。それは実行委員長から発せられました。
「人は二度死ぬと言われます。一度目は肉体の死。二度目は私達後世代の記憶から忘れ去られた死です。バシー海峡の戦没者たちに二度目の死を経験させてはいけない。そのために慰霊祭を継続していきたい。」
そしてこのメッセージを短く示す言葉として「銘心鏤骨」(心にしっかり刻み込んで忘れないと言う意味)の四文字が紹介されました。これがこの慰霊祭のスローガンだそうです。
素敵なデザイン T-シャツ
言葉は、T-シャツにもプリントされています。
このT-シャツのデザインですが、私の聞き間違いでなければ実行委員会に参加しているボランティアの大学生がデザインしたものです。私は高雄新左営駅から合流したのですが、そのバスのなかで語っていました。
思いを語る学生たち
この学生は、はじめてバシー海峡を見つめたときに「なんて穏やかな海なんだろう」と思ったそうです。過去に悲惨な出来事があったその海が穏やかであった事が強く印象に残ったとのことでした。それをデザインに取り入れ表現したと。台湾に留学中の女子学生さんです。
バスの中には他に慰霊祭の司会を務めた学生さんがいました。こちらも女子学生で、台湾の大学に留学中だそうです。
「T-シャツ、よかったら買ってください。他にハンカチ、缶バッチもあります。」とにかく明るい。
よく売れていました。これも運営資金の足しにするそうで、購入は活動支援にもつながる様です。
式次第
参加者を乗せたバスは8:20に高雄の高速鉄道の駅新左營を出発し、2時間半強で潮音寺に到着。ほぼ11:00。受付を済ましてすぐ開始。式次第は次の通り
一、国歌斉唱
一、開会の辞
一、来賓弔事
一、読経
一、焼香
一、遺族弔事
一、弔事朗読
一、ご挨拶
一、閉会の辞
日台合わせて80名以上の方が参加していたとのことです。追悼の言葉を捧げる人たちは、時折言葉をつまらせ涙ぐむものの、式次第はしなやかに進んでいったという印象です。
このあと場所を変え近くの海岸で献花。この辺りの浜に多くのご遺体が漂着し、地元の人々が引き上げ火葬など弔ってくれたそうです。今はその悲惨な光景の面影もなく、確かに穏やかで透き通ったきれいな海でした。
ご住職の読経を聴きながら各自海に向かって献花。私もそっと投げ入れました。
慰霊祭を通じて思うことは、非業の死という形で肉親を亡くした方の悲しみは、数十年の歳月を経ても尚消え去ることの無いものなのだなということ。ここに追悼の意味、追悼施設があること、慰霊祭が行われることの大切さを知ったように思いました。
また、このことは別の観点からも指摘がありました。帰りのバスの中で慰霊祭参加者の感想を述べ合う時間があったのですが、ある方は、慰霊をするということは本当に大切なことで、これがあると分かっているからこそ命をかける職の者は誓いを立てられる(発言要約)とおっしゃっていました。
それぞれの思い
このバスの中には他にも実に様々な人がいました。ご遺族、ご住職、世界各地の慰霊碑を回っている方、この慰霊祭にはもう何度も参加している方、別の慰霊祭を実行される方、日本政府関連団体または友好団体の方々、歴史戦史に関心のある方、台湾で活躍した先人たちの足跡を追いかける方など。台湾駐在者以外にも、記憶の範囲では、佐賀、岩手、静岡、名古屋、千葉、東京、岐阜、宝塚など。司会の学生さんは、自身とバシー海峡とに縁があった事に思いを馳せていました。
他に、バスには乗り合わせずに台中から枋寮まで電車で来て、そこからスクーターを借りて走ってきたという女性もいました。なんと和服姿で運転して来たとのこと。地図で見ると60km程ある。もう台湾で何十年も料理屋をやっているそうです。ちょうど昼食のテーブルが同席で、エビの殻を剥いてくれたり螺肉(タニシ?)の身を取り出して爪楊枝に刺して、皆にふるまってくれました。皆が遠慮しない様に「食べないと怒るよッ(笑)」とのコメント付きです。
参加者各位それぞれに思いがあり自発的に手弁当での参加です。政治色も無く、イデオロギー的発言もなく、銘心鏤骨(めいしんるこつ)のスローガンのもと、運営されていました。慰霊の気持ちがあれば誰でも参加可能だと思います。慰霊祭の実働部分を学生さん他若い人達が担っているところを見て頼もしく思った次第です。台湾人の若者もいました。
私なりのメッセージ
来年、再来年の慰霊祭に向けて、この一文、台湾駐在の日本人の方々にも届けばいいなぁとの思いで書き記した次第です。
【日記 Discovery TAIWAN 2023/11/19 のこと】
追記
ここまで書き終えてから、読み掛けだった「慟哭の海峡」門田隆将(角川文庫)を読み終えました。潮音寺の今日に至る経緯を詳しく知り、関係者諸氏の国境を越えた献身、あきらめない心、共感する力、知恵、ご努力に驚くばかりです。
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