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Shelikeエッセイライティング課題「柳の木は今日も手を振る」

 本エッセイは、Shelikeエッセイライティングの課題である。テーマは「家族と贈り物にまつわるエッセイ」。添削前ではあるが、添削後だと自信をなくして掲載しないと考えたので公開します。


柳の木は今日も手を振る


 初めて着たときには、あんなに違和感のあった制服は今や私の手首にすっぽり収まって着崩されている。空を見上げると白く、広い雲が空をやさしく包んでいる。自宅のマンションが大きな影を作っているのを眺めていると、ベランダから大きく手を振る姿が見える。父だ。父が自宅のマンションから大きく手を振っている。私もいつものように地上から手を振り返す。手を挙げれば、着続けてやわらくなった制服から手首がはみ出る。この制服を着るのも、今日で最後だ。父と自宅に背を向けて、駅へと歩き出す。高校最後の登校日。私の卒業式に向かうために。

 高校受験に失敗して、少し遠い私立の学校に通うことになった。私が通うことになったのは、その地区でも有名な人数の多いマンモス校。私自身は入学することに対してあまり不安には思えていなかったけど、両親は少し不安に思っていたそうだ。中学生のときに友達が少なく、私があまりにも学校のことを話さないので、心配されていた。
 けれど両親は、どれだけ心配していたとしても基本的に私を自由にしていてくれた。特に、父親がそうだ。いつも私に「やりたいことをやっていい」と言い、テレビに写る偉業を成し遂げた人たちを見て「あんな仕事もあるんだぞ」と、いつだって私の視野を広げてくれる人だ。以前は、そんな父に無責任な人だなと思うこともあった。私はずっと何かを成し遂げられる人間だとは思ってこなかったし、やりたいことを追いかけたとして、それに失敗したらどうしようとばかり考えてきた。だから、父のことはずっとあまり好きではなかった。父が私に「やりたいことをやればいい」と言うたびに、私が感じている将来の不安を軽視されているような気分になっていたから。「やりたいことをやる」というのは余裕がある人ができることで、私にはそんなことはできないと思っていた。だから、父の言葉とは反対に、できるだけ普通に進学して、普通に働いていこうと思っていた。
 けれど、自分の中で形にならないものを抱えている感覚が残っている。「やりたいことをやらないこと」に納得した気になっていても、それを見ないフリしている限り私は私に満足できなくなった。

 大学進学と同時に新型コロナウイルスがやってきた。人との関わりを完全に絶たれ、私の世界は実家の4.5畳の子供部屋だけになった。そのときの私は背中にのしかかった焦燥感と戦うので精一杯で、その部屋から抜け出せなくなった。「大学生にもなったのに、なにもできていない。」「オンラインで授業を受けていてもなにも身になっていない。」誰もいないから誰にも相談できずに抱えていた。自分の部屋にしか世界が広がっていないような感覚があって、オンラインでクラスメイトと顔を合わせても他人としか思えなかった。それどころか、「この人たちって本当に存在しているんだろうか」とまで考えていたのだから、なにかを相談するという発想にならない。大学生活を充実したものにしたい。けれど、充実のやり方も知らず人との関わりも奪われていて、時間が減っているという焦りだけがそばにある。
 そんなときに思い出したのが、父の「やりたいことをやっていい」といういつもの無責任な言葉だった。今からでも、人との関わりが絶たれていても、私はやりたいことをやってもいいんだという父の言葉をそこで初めて本当なんだと思うことができた。そこで初めて父は私を軽視していたわけじゃなくて、本当にやりたいことをやってほしいと思ってくれていたんだと気付いた。

 そこからの大学生活はとても充実したものだった。やりたいことを書き出して、そのために行動していく日々。文章を書きたいと思って他学部の講義に参加したり、学部全体を巻き込んだイベントをやりたいと思って展示会を主催や企画運営をした。思い出深いものの一つには、自分の文章を見てもらいたいと思って本を作って販売し、完売させることができた。新型コロナウイルスの影響から、みんな集まれる場所を作りたいと思い、メンバーを集めて学生団体も作った。そんなことを続けていたら、友達や先生たちは私のことを「行動力がある」と言ったり、「積極的だ」と言ってくれるようになった。そういわれるたびに、少し違和感を感じながらも父のおかげかもなと考えていた。父のおかげで、私は今まで押し込めていた抽象的な「やりたいこと」に光を充てる機会を得られたんだ。

 私が大学生活が楽しくなってきたころ、父は小さい緑のカエデの木を育てるようになった。小さな植木鉢に買ってきたカエデを移して、「俺の子!」といって喜んでいたことをよく覚えている。父のことだから正直、途中で枯らしてしまって終わりだろうと思っていた。けれど、その予想とは反対に、父は甲斐甲斐しくそのカエデの世話をしていた。毎朝起きて一番最初に水やりをし、カエデにとって強い日差しがダメージになると知れば、日よけを買ってきていた。そんな父の努力もあってか、カエデはどんどん大きくなっていき、サイズをあげた植木鉢へ、二度の引っ越しの末、私の身長と同じぐらいの背丈まで伸びた。自宅のベランダの柵からカエデの茎が飛び出している。大喜びの父に、「よくここまで大きくなったね」と、何の気なしに声をかける。すると、笑顔で「お前みたいだ」と言われた。父には、私がそう見えていたのだろうか。にこにことカエデを眺めている父を見て、私が今まで父の言葉に背中を押されてきたことを少し話してもいいかなと思えた。
 父のことはいまだに無責任な人間だと思っている。やりたいことをやれというのも、なにかを成し遂げた人を指差して「お前もなれるよ」と言うのも、現実的じゃないと思っている。今も、普通に働くことを楽しめたら、それでいいんじゃないかと思っている。けれど、私は父のおかげで「やりたいことをやる」ということの楽しさを知った。だから、これからも無責任だとしても、「やりたいこと」を目指すことを諦めたくない。今は、父の言葉が本当にそうすることが私にできるから言ってくれているのだと、信じることができるから。

 自分のサイズにピッタリ合わさった真っ黒なスーツは、動きづらくてそれが余計に私の緊張を煽っている。けれど、空を見上げると澄み渡るような青空が広がっていて、少しだけ心を落ち着けることができる。今日は自宅マンションの大きな影を眺めても、ベランダから大きく手を振る父の姿は見えない。代わりに、父の育てたカエデの木が風に吹かれてゆらゆら、大きく揺れている。それが、なんだか父が手を振ってくれているようで、安心する。いつものように地上から手を振り返すことはしない。けれど、父が応援してくれていることを、見守っていることを私は知っている。パンプスを前に向けて歩き出す。カツカツという音が私の緊張した鼓動を正常に合わせようとリズムを刻んでいる。就活の真っ最中、「やりたいことをやる」ために、最終面接へと向かった。


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最後までお読みいただきありがとうございました。

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