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「コスト」ではなく「フィー」と言おう。「銘柄」ではなく「会社」と呼ぼう。

Shimoyamaさんのツイートです。

その通り!って、腹の底から思いました。

#投資信託  を保有していると毎日定められたルールに基づいて、投資信託の運用に関わる「費用」が資産から差し引かれます。

この「費用」は「信託報酬」あるいは「運営管理費用」と呼ばれます。これをどのように理解するか、ということがポイントです。

「信託報酬」→フィー
「運営管理費用」→コスト

言葉遊びのように思われるかもしれませんが、これって結構大事なことじゃないか、って感じました。

この「費用」は投資信託の保有者が負担し、投信会社、販売会社、信託銀行といった投資信託運営に関わる人たちが受け取るものです。言い換えると、この人たちがいなければ投資信託は存在しえないわけです。こうした人たちが「その先」にいることを意識するという意味で「信託報酬」「フィー」の方が、言葉としてピッタリ来るように思います。

「運営管理費用」「コスト」と理解してしまうと、とにかく下げろ、もっと削減せよ、という風に、私は考えてしまいます。「その先」に人への配慮というか、リスペクトというか、そういうものが無いように思われるのです。「安ければとにかくそれがいい」ということですから、スイッチも簡単に行われます。こうした「コスト」への強い意識は私自身にも以前あったものですが、これが株式投資の本質を見誤ってしまうことになるような気がします。本質を見誤るというのは、「コスト」こそがリターンの源だと考えてしまう、ということです。

株式投資のリターンの源は、保有している株式の価格が時間と共に上昇していることにあります。価格が上昇するためには何が必要か。

株価 = 1株当たり利益 x 株価収益率

1株当たり利益は、株式を発行する会社の利益、価値の創造からもたらされるものです。「会社」が生み出す「価値」です。

株価収益率は、その会社を「市場」がどう評価するか、です。「市場」がその会社に値段を付けて、なおかつ、その値段で売買できるか、なのです。

どんなに「コスト」が安くても、そのポートフォリオを構成する株式を発行する会社が「価値」を生みだすことなく、あるいは、「市場」で評価を受けない、売買されなかったら、そこからリターンは生まれません。

上述の通り、投資信託は、投信会社、販売会社、信託銀行がいなければ成り立ちません、存在しえません。その提供するサービスにリスペクトをもって報酬を、フィーを支払うという感覚を持っていたいな、と感じます。

これからは「コスト」って言わないようにしよっと。


もう一つ、言葉遊びだ!と言われるかもしれないこと(でも、個人的には大事にしていること)を。

ある時期から意識的に、投資先のことを「会社」と呼ぶようにしています。「銘柄」と呼んだりしないように。

この業界の人は会社のことを「銘柄」と呼ぶのです。場合によっては上場企業についているコード番号で呼びます。まるで会社を完全な「無機物」として扱っているかのようです。
(中略)
私の経営する投資顧問会社では会社のことを「銘柄」と称したり、コード番号で呼んだりすることを厳禁しました。(中略)会社という「有機体」に投資しているという原点を忘れないように努めたのです。

#みさき投資  さんとの出逢いからです。3年前のノートです。

「投資信託」と「ファンド」っていうのもありますね。

私は「投資信託」という言葉が好きです。「ファンド」は何だかお金の塊で、お金を投じている人たちはバラバラで、みたいな感じ。関係者みんなでつくりあげるもの、って感じもないし。

おそらく、この訳語が出て来たのは "Trust" なんでしょう。

1924年に設定されたこちらはFundではなくTrustだったようですし。

「投資信託」は関係者みんなでつくっていくもの、育てていくものだと思うんですよね。

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