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”2種類の習慣”と”習慣化の方法”

毎日やることをよく習慣と言ったりします。朝起きて、シャワーを浴びるのが日課な人もいるでしょうし、日本人のように毎日湯船に浸かる人もいます。何かを食べた後、なぜか歯磨きをしたくなる人もいるでしょうし(僕です)、朝食には必ずコーヒーが必要という人もいます。

こうした習慣は意識して行動しているわけではなく、目を瞑ってでも勝手に体が動き出すという感覚でやっていることだと思います。

先ほどあげた習慣の例をよくよく考えていると、薄っすら浮かんで見えるのが「生理的に必要」ということ。この「生理的」というのがどこまで適切な表現なのかは分かりませんが、つまるところ、やる理由がよく分からなくても気付いたらやっていて、やらないとどこか気持ち悪くなること、と置き換えられると思います。
#ここが大切です


僕が思うに、習慣というのは「やらないと気持ちが悪いもの」です。これは極めて主観的で、一方で文化によって支配されている側面もあると思います。それこそ毎日湯船に浸かるのは世界中どこを探しても日本人だけです(海外に住んでいると浴槽に浸かれないので、そろそろ水虫ができそうです)。

北欧人のように、コーヒーを1日に5,6杯飲むのが普通である人は少なく、でも彼らにとっては生理的に必要なものです。北欧の人たちに「なんでそんなにコーヒーを飲むの?」と聞くと、「コーヒーを飲まなきゃ一日が始まらないんだよ」などと意味のわからない回答が返ってきます。何を言おうとも彼らにとっては生活必需品なんです。
#コーヒーがなくても朝は迎えられるよね



それぞれの毎日の習慣には個人差があると思うのですが、その習慣には2種類あると思っています。この2種類の区別を付けておくと、もし何か新しく習慣化したいことがあったとして、それが習慣化する確率はグッと上がるはずです。

1つは、先ほどの「生理的に必要なこと」です。ある種自然発生的に習慣化したことで、かつてはそこには意味があったんでしょうけど、今となってはそれをやるにあたっての意味はあまり考えません。

歯磨きは衛生面より論拠立ててその必要性を説明できるかと思いますが、それよか「磨かないとなんか気持ち悪い」の方がやる理由として勝っていると思います。
#たぶん歯磨き粉のせいです


2つ目は、「意図的に必要なこと」です。「生理的に」に続いて、「意図的に必要なこと」というのは日本語としてあまり意味が分からない表現だと思います。

言わんとしていることをもう少し分かりやすくいうと、「意図的に習慣化したこと」と言い換えれそうです。やらなくても気持ち悪くならないし、そもそも習慣化する以前はその意味(存在)すら知らなかった、みたいなことを無理やり習慣化することを指します。

分かりやすい例でいうと、野球男児がよくやる「素振り」。多くの場合、素振りをやると上手くなる、というニュアンスから素振りを始めると思います。「野球を上手くなりたい→素振りをする」という流れだと思います。

なので、最初はやらなくても気持ち悪くならなかったはずです。しかし、それを何日も何日もひたすら続けることによって、気付いたら「やらないと気持ち悪いもの」へと変換されます。こうなったときに、その人にとって「素振り」は習慣となったと言えると思います。


実は僕にも意図的に必要な習慣があります。それこそが、まさに今書いている「ブログ」です。去年の8月中旬より突然始めて、なんだかんだ1年と2ヶ月くらい毎日書いています。

国語が苦手だったトラウマで、文字を読んだり書くのに抵抗があったのですが、「北欧情報メディアNorr」というサイトを自分で立ち上げ、そこでは記事(文字)が基本となっているので、無理やり文章力を上げなくてはなりません。

そうした半ば強引に習慣化させたのが、このブログでした。もちろん、ブログを始めた理由は他にもあります(むしろ他の理由の方がメインの理由)が、去年の7月は1文字も書いていなかったわけなので、意図的に必要となった習慣といえます。

ここまでの1年とちょっとの間、途中書きたくない(書くことないねん!)と思った夜も多々ありましたが、ある日にキャズム(習慣とnot習慣の狭間の溝)を超えてからは、書かなきゃ寝れない習慣へと成り上がりました。毎日大体夜8時くらいになると、「今日は何について書こうかな」と考えるのが生活の一部になりました。


【習慣化の方法】

このようにして考えてみると、習慣には2種類あり、
それは無意識に習慣化した「生理的に必要な習慣」と、
意識して習慣化させた「意図的に必要な習慣」です。

前者、「生理的に必要な習慣」の数は大体みんな同じなはず(歯磨きとか)ですが、後者の「意図的に必要な習慣」には個人差があるはずです。言い換えれば、(意図的に必要な)習慣は増やせる


習慣化させたことがあるのであれば、1日の時間割を改め、あたかもその未来の習慣が生活の一部として組み込まれているかのように設計することだと思います。

時間割を決めてからは、ある程度腕力勝負(頑張り)なところもありますが、「やらないと気持ち悪くなるもの」が習慣である以上、ここは避けて通れないんだろうなと思います。


今月始めたギター。おそらく習慣化しないでしょう(ある程度弾けるようになれば弾く意味が薄くなるので)が、ギターの合間に勉強する、という逆転が起きています。5時間ずっと弦を鳴らすことも珍しくなく、指の先っちょが硬くなっています。早々に「痛み」は乗り越えたので、あとは音を楽しむだけですね。


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