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【数学から学んだこと】

数学以前に算数時代から「数字」に苦手意識があって、今もまあ克服しきれていないのですが、数学から学んだことを考えてみました。

なぜ苦手だったかはさておき、算数・数学の授業を受けていてその勉強する理由がわからなかったのを覚えています。もちろん、得意だった分野はたくさんあって、算数でいうと掛け算九九がめちゃめちゃ得意でした。

もともと暗記にはそれなりに長けていたっぽいので、それをいかに早く暗記できるかというある種の「ゲーム」感覚でやっていたものは得意意識がありました。思えば、壊滅的にできなかった高校数学も「微積」だけは抜群にできました。微積の授業の先生はそれまでとは違う先生で、その先生が「ゲーム」感覚で教えてくれたからです。

「役に立つか」という点からすると、他の科目は日常に活かせるものが多いので、目的意識がはっきりしていました。国語は、そもそもコミュニケーションの大前提として必要だし、英語はそれがグローバルになった時に必要。理科は日常の現象を科学的に説明するという意味で楽しかった(小学生の時に将来の夢は宇宙飛行士だった!!)。小さい頃から1番得意だった社会は、国の成り立ちやその歴史について学べることが純粋に楽しかったです。

その点算数や数学は一定のことを学び終えると、なかなかその意義を見出せなかったのです。とはいえ、全く意味がなかったかというとそうではなくて、今だからこそ「こうやって使えるじゃん!」っていう方法論がわかってきました。


まずは、因数分解。これ自体には苦手意識はなくて、むしろパズルみたく楽しんでいたのですが、よくよく考えると「なんで分解する必要があるんだろう」という疑問が付きまといます。

今の僕なら、因数分解から学べることとして「抽象から具象への転換」。つまり、一見するとややこしく見えるものでも、要素ごとに分解してみるとわかりやすくなるよね、という作業工程を学んだのです。これは数学の域を超えて応用していて、例えば、「料理こそ因数分解だ!」と思っています。

出来上がった料理を見て「これってどうやって作ったんだろう?」とかそのレシピを見て「うわ、難しそう」と感じるかもしれません。でも、その工程を1つ1つ切り離してミクロ的にみると、意外と簡単です。

大学の課題をやるときも同じで、「〜について、4000wordsでまとめなさい」という課題があるとします。「英語で4000words(僕の肌感、日本語で8000文字)も書けないよ〜」となりがちですが、質問に対する答えを要素別に因数分解して、その要素ごとに〇〇wordsっていうふうに分けると意外と大したことありません。

因数分解的な考え方は、「わかりにくい不可視なもの」を「わかりやすく見える化する作業」だと思っています。


それから、関数(xy座標)。
比例や二次関数などがそれですね。これは抜群に使える考え方だと思っています。二次関数なんかいつ使えるんだよ、とか思っていたけど、その曲線は日常的によく出くわすと思います。

基本的に物事は良くなっていくと思うのですが、その+への向かい方はだいたい直線的(一次関数)ではないと思います。曲線的(二次関数)によくなっていくことが多いです。

「信用は複利的に溜まる」と言う時の「複利」はまさにそうだと思っていて、どこかの臨界点を突破した途端にギュイーーーーンと増えるものです。

xy座標もそうで、あの十字の軸のグラフはポジショニングに使えます。例えば、僕が運営しているNorrというサイト。北欧に関する記事をアップしているのですが、もちろん他にも同じく北欧について発信しているサイトがあります。

そこでx軸に「役に立つ・意味がある」をそれぞれ左右に置き、y軸には「情報・世界観」を売るものとしてとります。

この場合、ニュースサイトのようなメディアの場合は、「役に立つ×情報」の象限にポジショニングしていることになる。Norrはどちらかというと「意味がある×世界観」を目指しているので、それとは真逆の象限にいる。

ざっとこんなところでしょうか。

考えれば他にも使い方はもっとあると思うのですが、数学的な考え方はこんな風に日常に落とし込めるんだと思うんです。こうしたことを教えてくれた先生はあまりいません。

まとめてみると、大切なのは「使い方を教えること」です。これは数学だけじゃなくて、例えば「お金」でいえばその使い方(正確にはその性質と生み出し方)を教えるべき(福沢諭吉が描かれているなんてどうでもいい)だと思うのです。

その「使い方」を教えない限り、数学嫌いな人は増え続けるでしょうし、いつまでたっても「お金は汚い」を克服できないんだろうなと思います。

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