【リトアニア戴冠記念日から考えた日本に足りないもの】

はじめに。

九州地方での豪雨によって甚大な被害に遭われている方へお見舞い申し上げます。どうか被害が大きくならないように願うばかりです。僕にも九州在住の知人が何人かいるので、他人事ではありません。気持ちばかりではありますが、被災地支援のクラウドファウンディングで支援させていただきました。

こうした有事の際に、助け合いの気持ちを持って行動できる人が増えたら素敵だなと思います。


【リトアニアの戴冠記念日から考えた日本に足りないもの】

相変わらず図書館に籠る毎日です。今日は午前中図書館で記事を書き、一旦家に戻ってご飯を食べて、次はカメラを担いでまた図書館に行きました。

そんな今日は夕方図書館にて3回目のインスタライブをしてみました。内容は昨日のブログで書いた「境界線が曖昧化する北欧社会」についてです。

夜も更けてぼちぼち図書館を出ると、隣に建っているオペラハウスにて人だかりができていました。「人に人が集まる」とはよく言ったもので、僕もその人だかりに釣られて見に行きました。すると、見覚えのある国旗を持った人、民族衣装を着た人がたくさん。何やら歌を歌っているようです。歌い終わると、皆が拍手をして1つになっているように見えました。

国旗はバルト3国に数えられるリトアニアです。きっとリトアニアの民族衣装なのでしょう。北欧の独立記念日はだいたい覚えているのですが、バルト3国についてはさっぱりわかりません。

リトアニアといえば、かつてロシア帝国から独立したのも束の間、ソ連の支配下に置かれた歴史的背景があり、独立を取り戻したのは1990年とだいぶ最近のことです。

しかし、ググって調べてみると、今日は独立記念日ではなく「戴冠記念日」だそうです。「戴冠記念日?」聞きなれない記念日です。

調べれば、リトアニアはこれまでで国王が1人しかいない国だそう。その歴史上たった1人の国王が王位についたのが1253年の今日(7月6日)だったのです。この日はリトアニア人にとって重要なようで、というのも独立記念日は2月だとか。2月と言えば天気が最悪なことなので、心から祝えない(外に集まったりして祝うのが難しい)。今の季節は一年でも日照時間が長く、晴れ晴れとお祝いできる。そういうことみたいです(今日のオスロは雨のち曇りでしたが、、)。

そんなわけで、国民賛歌のような皆が知っている歌を歌っている様子を見て思いました。

「なるほど、一体感のわけは『音』にある。」

以前宗教ってなんだろうって考えたことがあって、調べていくうちに3つのキーワードが出てきました(昔のブログでも書いた気がする)。

・バイブル
・教会
・賛美歌

バイブルはいうまでもなく思想です。同じ思想をもってして初めて共感ができたりするものなので、ここは根幹と言えそうですよね。

続いて、教会。「溜まり場」として物理的に集まれる場所があるとコミュニティーとして繋がりが強固になると思います。

そして、賛美歌。キリスト教なんかがわかりやすいと思うのですが、クリスチャンがみんな知っている歌を共通言語として持っていると一体感が生まれる。音があるとやっぱ記憶に残りやすいんですよね。

そう、この賛美歌の役割がデカいと思いました。

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▼音の持つ役割

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「音」の持つ力には前から感心していたのですが、考えてみればいろんな国、地域で誰もが知っている歌があると思います。それは国歌である必要はなく、「みんなが歌える」という条件さえ満たしていれば良さそうです。多くの場合、国歌がそれに当たりますが。

以前こんなことがありました。僕は一応大学院生なのですが、オンラインでプログラムコーディネーターとミーティングをする時間がありました。この日は6月5日、デンマークのナショナルデーです。次のセメスターからデンマークへ異動になるので、現地のコーディネーターも参加していました。

それでデンマークのナショナルデーの話になって、そのコーディネーターに国歌を歌ってよという流れになりました。コーディネーターは当然のごとくデンマーク国歌を歌います。歌い終えると、次はノルウェーのコーディネーターがノルウェー国歌を歌い、そしてその後にはクラスメイトが母国の国歌を歌う謎の流れになります。

お察しの通り、日本の順番がきました。僕のプログラムには僕含めて3人の日本人がいますが、この時3人とも同じことを思っていたはずです。

「日本の国歌はちょっと、、」

知っているけど喜んで歌える人って少ないと思います。建国記念日に君が代を歌う人はあんまり聞いたことがありません。

つまり、極端な話僕たち日本人には「音」という点からすると共通言語がないんです。これによって、音で1つになる大チャンスを失っています。

スポーツなんかがわかりやすいと思うのですが、推しのチームには応援歌がありますよね。ファンの間でそれが共通言語として機能していて、肩を組んで歌い合えると思います。見ず知らずの人であっても「肩を組んで」歌い合えるんですよ?初対面であっても、「音」の共通項さえあれば1つになれるということがわかると思います。

スウェーデンではお酒の場で歌う歌があります。「Helan Går」というやつです。多分YouTubeに転がっていると思うので、よかったら聞いてみてください。すごくポップな歌です。

考えてみたけど、日本で国民全員が胸を張って一緒に歌える歌ってないんじゃないかな。もしかしたらこれがないから、どこか一体感に欠けるのかも、、?でも今から1億人に浸透させる歌って、、現実的ではないか。

一体感を作りたいのなら「音」の持つ力を侮れないなと、リトアニア戴冠記念日を目の当たりにして感じました。

これは国レベルだけでなくても、組織、コミュニティーレベルでも生かせそうです。
メモメモ。

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