【ネオ中世という現代】
2週間で開脚180度チャレンジに挑戦中なのですが、気づいたら余裕で(5/3)2週間が経っていることに気づいたのですが、現状150度くらいしか開いていない松木蓮です。すみません、無理でした。
社会の変遷のあり方を勉強するのが好きで、それは何よりヒストリーはストーリーで読み解くべきだ、と思っているからです。これまでの歴史を俯瞰してみたときに今はどんな時代なのかを考える時間が結構好きで、今日はここ数日読んでいた「評価経済社会」という本からの学びのシェアです。
少し整理してからその大きな流れについて改めてまとめようと思うのですが、今日は中世にフォーカスしていかにしてそれが現代に近いのかを考えました。
中世といえば農耕社会であり、封建社会でした。土地を持つ人、持たざる人で身分が異なり持たざる人は農奴と呼ばれたりもしました。
毎日畑を耕して生きていた人たちに、新しい光が差し込んだのが農業革命。農具、農法の改革で一気に生産性が上がり、時間が余るようになります。つまり働くなくても良い時間が増えたということになります。
ここでその時間を埋めるために持ち出されたのが、宗教です。どんなに小さい町であっても教会が建てられていて、そこで説教を受けるのが日常になりました。つまり、余った時間を精神性に捧げたと言い換えることができると思います。
教書を手元に置かない人々を目前にしめしめと感じた聖職者たちはインチキなことを教え出します。それを信じ込んだ人々は教会のために働くようになります。
とまあ、こんな感じで産業革命へ移行し、その後の情報革命(産業革命3.0)へと続くのですが、この中世の様子がいかにも今だと思いました。
当時を一言で言うと、時間を持て余して精神性に身を捧げていた時代。まだその先駆けか走り出しあたりかなと思うのですが、これは今まさに起きているような気がしています。ロボットが日常生活でのコモディティとなる近未来では人は働かなくても良くなって、その分時間が余ります。
その時間の行き先が中世では宗教でした。現代にもそれに近いことに時間を割くと思っていて、それがまさしく精神性であると思います。必ずしも宗教というわけではなくて、思想や世界観に人が集まり出すのだと思います。それはディズニーランドに見てもそうですが、音楽などでも同じだと思います。ライブのあの世界観にファンが沢山生まれるのはすでに起きていることで、あんなイメージだと思っています。
メディアが多様化して、かつネットが普及した今に至っては「情報過多」というよりは多分「情報解釈の過多」の方が正しい。ある出来事をどの角度から切り取って考えるのかが多様化していると思います。それを誰もが発信できるので自分の思想に合った集落がポンポンとできる。オンラインサロンなどはまさにそれで、主宰者のもつ思想や妄想、世界観に感化されて入るパターンが多いと思います。そこに入れば自分と同じ価値観の人が沢山いて居心地が良いので。
ネオ中世とでも言えるかの時代がまさに今なんじゃないかなと思いました。こう考えるとやっぱり歴史を勉強する重要性は改めて感じますね。
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