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FF16を遊んだ感想

まとめ

面白いけどPS5買って50時間超遊べとまでは言えない。


ストーリー

終盤の展開がやや批判されがちだけれど、明らかにGame of Thronesだった序盤中盤と比べ、日本の漫画や特撮の脂を隠し切れない終盤のセリフ回しや演出にはかけがえのないものを感じた。
JRPGの西洋信仰を煮詰めたようなデザインにハイクオリティなグラフィック、そしてバカバカしさと紙一重の過剰で緩急のある演出は、世界のゲームビジネスがいかに巨大化しようともスクウェア・エニックスのファイナルファンタジーただ一つしかたどり着けない境地だと思う。そういった貴重な体験には事欠かない。

ただやはり世間でもさんざん言われている通り、現実の社会問題をモチーフとしたような設定の扱いには違和感があった。明らかにエネルギーと環境問題を連想させるマザークリスタルには最大の課題である経済や生活とのトレードオフがまったく描かれていないし、人種差別であるベアラーには現実の差別問題のような無理解や同調圧力といったグラデーションが無く、ただ弱者救済に「目覚めた」主人公達の正義を明らかにするために差別している・されているようにしか見えなかった。そしていずれも終着点を見せないまま完結する。

現実でも解決していない、理解が求められている問題を打ち出しておきながらぞんざいに扱うのは、それは本筋ではないからと言われたらそれまで。しかし我々ユーザーは受け取り方に困る。本作を手放しで絶賛すれば社会に対する意識が低いと蔑まれかねないし、逆に批判すれば意識高い系ポリコレ戦士の誹りを受けかねない。結果、本作の感想を述べるのは自分の中でやや面倒になりつつある。


門戸を広げるとは

本作は誰でも楽しめるように門戸を広げていると聞く。開発者の発言や実際のゲーム内容から見ても実際そうだろう。だがそれはめんどくさいオタクゲーマーの切り捨てでもある。

例えば「〇〇を取ってきてほしい」と依頼され、マップを移動して光る地点を調べる・・・という、いわゆるお使いイベントがFF16ではかなり目立つ。
開発スタッフが共通するFF14にも同様のイベントはある。しかしFF14はMMOであり向こう数年に渡って運営されるコンテンツなのだから、お使いで得たゲームの進行や幾ばくかの報酬は資産になり得る。ソシャゲで単純なデイリークエストを誰もがやるのも、その報酬はリアルマネーに等しいからだ。

では買い切りオフラインゲームであるFF16にお使いイベントを導入する理由は何か?おそらくは「プレイ時間の水増し」とか「誰でも簡単にこなせるから」とかになってしまう。自分はそんなもの無い方がマシと考えているので、「クリアまでの時間が長いと喜ぶ奴もいるんだろうな」とか「ボタンを押すだけで楽しいと感じる人、人生楽しそう」などのライトゲーマーに対する差別発言を押し殺しながら遊ばざるを得なかった。

FF16は確かに「誰もが楽しめるように作られた作品」なのだろう。しかし昨今は競技性の高いストリートファイター6やシステムがオタクすぎるゼルダの伝説TOTKといった作品が一般受けしていて、それらは「誰もが楽しむ努力をしてくれると信じて作られた作品」なのだと思う。それらと比べるとFF16は、どこかライトゲーマーを信じず、ヘビーゲーマーに我慢してもらうような自信の無さを感じた。


FF16は低く見積もっても70点から80点は外さない作品。これは誰が遊んでも同じだと思っていて、世界一つまらなくないゲームの太鼓判を押してもいい。
なのに世間では批判の声が目立つのは単に「筆を執る人に嫌われがち」なのだと思う。良いところはある、しかしこれを褒めるのは名が廃る。センシティブな設定の雑な扱い、売上のための妥協、そういった欺瞞に俺はきちんと気づいたぞ!と主張したくなる作品だった。もちろん、この記事もその主張のための文章です。

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