片を付け、前へ進む。

ここのところ、生活習慣改善の1つの取り組みとして『21時~22時はスマホ・PCを見ない、触らない』というのを取り入れている。
自分は働いていない身分なのに、どうも時間の使い方が上手くないようで、1日のうちにもう少し何かしらできても良いんじゃないだろうか、と思ったことが発端の1つにある。
もちろん、持病があるので全て『時間の使い方の上手い下手』では解決できないこともあり、今のところその時間を死守することくらいしかできていない。

しかし、実際にその『1時間』を設けてみて分かったことが、特に何をするかは決めておらず、その日の気分で何をするか決めているのだけれど、大体片付けを始める。
面倒くさがりやの『この私が』、である。
思うに、実家に戻ってきてこの春で丸2年経つことになるが、部屋はまだ片付いていない…というのが自分でも気になっているがキッカケが無かったのだろうと思う。後、やる気。
意外と1時間と決めると、すんなりと始められるし、途中で嫌になったら辞めて他の事をする、という対策をすることで次回のやる気減少対策も取れている。
……むしろ、時間の使い方というよりも『自分の扱い方』を分っていなかった節が考えられるので、今後も『時間と自分の扱い方』は1つのテーマとして取り組んで行きたい所存である。

今、自室の片付け真っ最中なので、部屋は割りと荒れている。
動線や自分のやる気スペース (読書や書き物をするスペース)を作ることを目的にしているので、なかなかに頭を使う。それ故、21時~からの1時間以外にも片付けをしたりはしているのだけど、ペースは早くない。
というのも、自分に片付けのセンスが無く、余計に頭を悩ませている次第なのである。
自分は片付けにはセンスがある人とない人がいる、というのをずいぶん前から主張しているのだけど、なかなか分ってもらえない。
何かしら入れ物や棚があるとして、そこに何を収納したら良いのかがパッと思い浮かばないのが私だけど、妹なんかは割りと「ここにこれ置いたらいいじゃん」というのがすぐに出来る。
私が小難しく考えたり、完璧を目指すからそうなってしまっている可能性も大いにあるけれど、こればかりは性格なのでどうしようもない。

さて、長ったらしい前置きがあったが、片付けをしながら思うのは『片付ける=片を付ける』というのはよく言ったものだということだ。
部屋の片付けだけではなく、物事でも片付けというのは行われる。それは、自分の心身を守る為であったり、成長させる為であったり…目的や伴う結果は色々である。
そんなことを考えつつ、さらに片を付けるというのは『割り切る』というのに少し似ているということに考えついた。もちろんイコールではないし、そうだと言い切ると齟齬が生じる。
なぜそのような事を思ったか?
うまく説明はできないけど、片付けも割り切るということも『定められた枠の中でどうにかすること』というのが共通しているのかな、と。
片付けは言わずもがな、限られた間取り、家具、生活用品などをいかに上手く使いやすいように収納し、暮らせるようにするかという所。
割り切ることについては、概ねどうしようも無い問題について、いかに納得するか、落としどころを探すか、という所。そうやって考えると妥協にも同じようなことが言えるだろうか。

このように日々片付けをしながら、きちんと今まで『片を付けてこなかったツケだな』と思いながら、自分という基盤作りの為の部屋作りをしている。
『片を付けてこなかった』は自分の内部、感情にも言えることだと実感している。片付けをしていると、自然と今の自分に必要なことが分かってきたり、逆に不要なことが分かってくる。
今の自分には、おそらく次に進むための準備として『片を付ける』、これが必要なことなのだろう。
今年は色々な意味で次のステップへ進む準備をする年、そんな気がしている。

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