書く、綴る、そして残す。

ある日、夢を見ました。
『何も書けなくなる夢』を。
自分の頭の中には書きたい文字、文章、相手に伝えたいことがある。
それなのに文字を書くことができないんです。
タイピングも試してみました。でも、やはり文字に思っていることを起こそうとすると、何も出てこない。
何も考えてないとか、インプットが不十分であれば別に良いんです。
でも、自分にはこんなにも書きたいことが、アウトプットしたいことがあるのに、何も書けない。ただただ、恐怖を覚える夢でしかありませんでした。

目が覚めて、夢だったことにとても安堵したと同時に『書く』ということは自分にとってとても大事なことだというのを認識しました。
そして、恐らく話せなくなることよりも辛い、怖いことなんだと思います。
今までも作家になりたかったり、せめて何か文字書きとしてしたいことをしてきました。作家には多分なれない、というのは自分の長編を書くにあたっての構成力の無さが分かった時に思いました。所謂、ショートショートと言われるような短いお話なら書けないこともないのですが…いずれは壁にぶち当たる、そんな気がしてます。
作家になれなくても、本に携わる仕事がしたい。これはずっと抱えてきたある種、夢のような物なのかもしれません。

なぜ、自分はこんなにも『書く』ということに焦がれているのでしょうか。
そもそも、私は作文が苦手でした。今の自分があるのは、小学校1年生だった時の先生が私に読書感想文の書き方を根気良く教えてくれたからです。
何度も何度もやり直しで、半べそになりながら書き直した記憶があります。
その経験があったからこそ、自分は『書く』ということが自然にできるようになり、好きになることができました。
元々読書は好きだったので、読んでインプットされていることをうまくアウトプットできなかったのかな?と今になると思います。頭の中で回線が繋がっていなかった、そんな感じでしょうか。
社会人になって、読書量はグンと減りました。そして、病気になったら漫画すら一時は読むのも困難なくらい、字が読めませんでした。これも、書けない程ではありませんが、なかなか辛い出来事でした。
現在は少しずつですが、遠のいていた読書に近付けている気がします。エッセイコミックの隙間のコラムとか、ちょっとした活字を読んでインプットできるようになってきました。

自分にとって、このように書き残すことに何を見いだしているのか、それは自分でもわかりません。
病気関連のことについては自分のことを知ってもらう上で必要だし、病気自体の認知を広めたいという気持ちがあるからと、かなり明確です。
でも、自分自身の思想、事柄、こういったことについては理由が不明瞭であると言えます。
………ここまで書いて、ふと、自分自身の整理の為か、と納得してしまいました(笑)
自分の事は自分が1番よく分かっていると思いがちですが、実はその逆で全然分かってないって事もよくありますから、自分の中の脳内整理がこのように、書き綴るということなんですね。
1人でめちゃくちゃ納得してしまった…。
ただ、書くことや読むこと、そう言ったことに焦がれる理由とは少し結びつかないので、単純に好きということなのかもしれません。
一時は病気や時間の忙殺でできていなかった事ですが、また読書を胸を張って趣味と言えるように少しずつリハビリをしていきたいです。

今後もきっと、ふと思ったことや書きたいことを自分の言葉で書いていくと思います。
これが私です、というただの凡人の独り言のようなものですが、誰かが少しでも興味を持ったり、楽しんでもらえたら何よりです。

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