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双極性障害と私という当事者。

※恐ろしく長いのでお時間がある時にでもお読みください。


双極性障害について。

ご覧になっている皆様は『双極性障害』という病気をご存知でしょうか。
知らない方にもできるだけ分かりやすく簡潔(にできるといいな)な説明でまとめていきたいと思います。
双極性障害は、以前躁鬱(そううつ)病と呼ばれていました。
しかし、鬱との根本的な違いが伝わり難い為、現在では双極性(両極端であること)を表現する名称となっています。これも近年「障害」という言葉が当事者間で重く受け止められてしまうことがしばしばあり、『双極症』(以下、双極と記載します)と名称が変わることになりました。
双極は躁鬱と呼ばれていた通り、躁と鬱とを繰り返す脳の病気で、Ⅰ型とⅡ型に分かれています。
そもそも躁鬱の『鬱』は多くの方が知っていると思いますが、『躁』ってどういう状態のこと?って疑問に思う方もいますよね?
鬱とは真逆の状態なので、テンション高い感じかな?くらいの想像はしてもらえると思いますが、ちょっと違います。私の言葉で説明するならば…電車はレール上を規定速度で走ってますが、レールも速度も無視して爆走してしまいコントロール不可で「ヒャッハー!!」な状態、それが『躁』です。

Ⅰ型の特徴
躁の症状が顕著に現れ、周りからも認識されやすいです。症状の酷さから入院での治療が必要になったり、人生を破綻させてしまうようなことになったりします。
例えば…
躁:急に自信に満ちて後先考えず企業、借金して高価な買い物、性格も攻撃的になったり、多弁、正に『人が変わったようになる』
鬱:気分が塞ぎがち、抑うつ状態が続き、心身がエネルギー不足

Ⅱ型の特徴
Ⅰ型より鬱での期間が長く(全体的な期間的にⅠ型が3分の1が鬱に対し、2分の1が鬱期間)、躁の状態も軽躁といい、Ⅰ型より比較的控えめであることが多いです。ただ、そう言うと誤解を生みそうなので注釈として付け加えますが、軽躁の状態も充分辛いし、人生狂わせる可能性は持っているので注意してください。
軽躁時というのは、気力が上がっており、先のⅠ型とも共通していて、多弁であったり、色々なアイディアが沸いてきて楽しかったりします。でも、自力で止めることが難しいことが多く、決して『調子が良い』ワケではありません(鬱に比べると良さそうに見えると思いますがそうではないんです)。

治療について
基本的には投薬治療中心、心理療法、基本的な生活習慣を送る、その他(認知行動療法etc.)という感じに送ります。
投薬治療は当たり前ですが、主治医とのコミュニケーションが大事で些細なことでも相談して、調節をしていきます。そして、意外かもしれませんが次に重要なのは基本的な生活習慣です。
鬱でも躁でも眠れないし、鬱の場合は過眠もあるし、睡眠が不安定です。
そして、気力が無いのでご飯を食べるのも怠いです。放って置くと人間としての生活が危うくなります。
じゃあ、躁の時に動けばいいじゃないかと思われそうですが…躁の時ってエネルギッシュに確かに動けたりするんですけど、それって言わば『先借り』のようなモノなんですよね。つまり、後でツケが回ってくるんです。
だから、躁の時は極力セーブして動く必要がありますが、先述の通り躁の時はやめられない、止まらない!なので、難しいことが多いです。

寛解について
双極は完治させることは難しいですが、寛解させることはできます。
ただ、決して症状が落ち着いたから薬を飲まなくてもいいかと言うと、それはNOです。再発を防ぐ為に、投薬は続けなければいけないのです。
寛解というのは、躁でも鬱でもない、自分のフラットな状態が保ち続けられることが認められ、主治医に『寛解したね』と太鼓判を貰って「寛解した」と言えるのです。

※病気についての概ねの説明はここまでにします。
 興味持って、さらに詳細を知りたい方は調べてみてください。

私の双極性障害についての捉え方。


私個人の捉え方ですが、自分は双極性障害とは『綱渡り』のような状態で生きていると思っています。躁と鬱ギリギリのバランスを取りながら、ほんの僅かな影響で不安定になってしまう人生という名の『ただ1本の綱渡り』。
鬱の方に足を取られれば転落か、綱にしがみつく。躁の方に足を取られると、何を思ったのか側転や倒立して渡り出したり、下手すると飛んでいってしまう。
影響は、通常の人が思っているよりも『本当に僅かなこと』です。
話してる相手の機嫌、人混み、天気、気温、ちょっとした失敗や誰かの些細な一言。その時の自分の心情などコンディションによる受け取り方に違いもありますが、本当に気にならない人から見れば「そんなこと」が、渡っている綱を揺さぶる暴風や嵐になるんです。
そんな状態でも、見てる人は知らないから仕方無いけど「真面目に渡ればいいのに」って思われてもできないのが現実です。

『私』という当事者

私が双極性障害Ⅱ型と診断されるまで
私は双極Ⅱ型と診断が下りるのは、一般的な双極の人からするとかなり短いスパンで診断されました。
基本的に鬱状態の時に心療内科、精神科を受診する方が多く、治療をしていく中で躁の症状が現れて判断されます。躁の症状が出るまでの期間や治療法により、人によっては10年以上経過して双極と診断される方もいるそうです。でも、それは診断ミスとかでは無く、医者側からしても判断がとても難しく(特にⅡ型)慎重にならざる得ないのです。
そして、例に漏れず、私も鬱状態の時に心療内科を受診しました。採血、光トポグラフィー検査、問診、10枚に及ぶ問診票の記入(1時間以上掛かった…)と、受診内容の結果から『重度の抑うつ状態による鬱状態である』という診断でした。しかし、その後1年を待たずに私は『双極性障害Ⅱ型』だと診断されるに至ったのです。
私には3つ下の妹がいて、自分が通院を始めた時点で既に鬱病として10年以上別病院で通院していましたが、妹の病院の対応は良くなく、自分が「光トポグラフィー検査だけでも受けてみないか?」という声掛けをキッカケに転院、結果は双極性障害Ⅱ型と診断されて現在に至ります。
その妹の存在があったから、自分も『双極性障害では無いのか?』と思えたし、軽躁が出始めて、改めて光トポグラフィー検査で双極性障害Ⅱ型と診断されました。つまり、自分が早い段階で双極の治療が開始できたのは、妹のおかげであり、ある種ラッキーな要素が重なった結果でした。


私と鬱の距離感
自分は妹が鬱で通院していたので、病識として鬱病やそれなりに他の精神疾患について知っている方でした。興味や予防の意味も兼ねて調べたりしていたので、原因、予防策や対処法、通院の必要性、知っていました。知っていましたが、自分の我慢強さが仇となり「自分はまだ大丈夫」そう思い続けて、対応が遅れてしまい、受診した時には『割りと手遅れ』な状態でした。躁鬱については知らなかったので、それも大きな要因となりました。
自分に鬱っぽい症状があるのは、中学生の時には気付いていました(妹が鬱状態になるより早い時期)。でも、何が変わる訳でもないので『自分は鬱状態を持ち合わせているから、酷くならないように気をつけよう』と思って生活してきました。自分の中の懸念という程度の認識だったので、誰に話すこともありませんでした。
思い返せば、たぶんあの時期が鬱状態だったんだな、と思う時期はあるので少なくともその頃から、軽躁状態と鬱状態を繰り返していた事になります。
双極は治療せず放置して、躁と鬱の状態を繰り返すごとにスパンが短くなりラピッドサイクラー(短期交代型)になってしまいます。そういう意味でも自分が受診した時には、自覚があった頃から10年以上経過していますので『手遅れであった』と言えると思います。


懸念が『限界に変わる日』
私の初診日は2015/12/12です。よくそこまで持ったな…という一言につきます。そして、我慢し過ぎてしまった、とも。
2013年度~2014年度、恐ろしく激務でした。2014年4月に、仕事場にアクセスしやすいように引っ越しをしました。終電を気にしなくてよくなるように、と朝早番ができるように、できるだけ移動時間を短くしてそれだけ仕事にあてたかったからです。

※ここから概ね仕事の愚痴です※
仕事の見直しをしながら、作業量を減らしたりしていきましたが、2014年度は職場長の次点が自分だったので、中心になって動かなきゃ行けなかったり、新人教育や監督、その他諸々…追いつかなーい\(^O^)/
その頃入った派遣さんには本当に申し訳ないけど、必要最低限を教えるのが精一杯で、自分がそれ以外の仕事を抱えてしまって20時~22時残業当たり前でした(出勤は6時半~7時半とまちまち)。
家には、お風呂と寝る為に帰る生活。ご飯はコンビニ。家でできる仕事は持ち帰って少しでも進めて…。
それでも、団結力と職場の人たちが本当に良くやってくれて、充実感すら感じている自分がいました。今思えば、これ、きっと躁だったんでしょうね。
そして、2015年度。その少し前に産休明けで先輩が戻ってきてました。
これで自分がやるべき仕事に専念できる!そう思っていた矢先に『中堅研修に行かないか』と上から話がありました。
現状を顧みると拒否権は無く、キャリアアップとか望んで無かったんですけど…結果的に行くことに決めました。それが大きな間違いでした。
研修内容自体は確かに勉強になりました。内容的にはリーダーシップとは何かということがテーマで、自分の職場内での問題点を洗い出して、改善案を出して1年かけて実行、最終的に1年での成果を年度末に発表しなきゃいけないというすごくプレッシャーで地獄の内容でした。
研修当日(確か5月か6月)は、見知らぬ人しかほぼ居ない中に、人見知り且つその頃には鬱の症状が出始めていたので、複数の集団ワークが苦痛で苦痛で仕方無かったです。
それ以外にISMS委員(情報資産がどうとかいうの)や、よく分からないけど会社を盛り立てる為の面談を偉い人と(怖い)マンツーマンで面談して謎課題だされるとか、もうやることいっぱいで何で先輩戻ってきてるのに仕事片付かないのか意味わかんなーい…
※仕事の愚痴終わり※

要点をざっくりまとめて結果的に言うと、トドメを指したのは自分のキャパシティを超えた仕事量で、キャリアアップの為の研修が重荷でした。
2015年6月以降、昼食はいつも駅ナカやコンビニで買って食べていたのですが、昼食が選べなくなりました。決めるのに15分、30分、最悪45分も掛かるようになり、面倒なのでシリアルを食べるようになりました。
8月頃から、思考がまとまらないと感じることが多くなり、考え事をしていても頭の中に靄が掛かっているようなハッキリしない感覚で煩わしさを感じるようになりました。
これ以降はイライラしたり、朝寝坊してしまったり(不眠は前からあった)、物覚えが悪くなり、面倒くささに拍車が掛かり…
ある日、あんなに好きだった仕事に行くのに足が重い…と感じている自分に気がついてしまいました。
そして、決定的な日が訪れました。12/11、どうしても起き上がることができず、仕事を休みました。この時にプツリと糸が切れました。


心療内科を受診するという決意
プツリと糸が切れた12/11、その日のうちに心療内科の受診を決めました。
会社の先輩が通っているところがいいよって話を聞いていたので、先輩に連絡を取って病院を教えてもらい、その日のうちに電話して無理矢理翌日に予約をねじ込みました(自分でも意外な行動力でした)。

やはり、自分の妹が既に心療内科に通院しているというのは、決意するのに大きな影響を与えました。
たぶん、元々そういった話や病気に関わりが無かったら、躊躇したと思うんです。まだ頑張れるんじゃないか、まだ大丈夫なんじゃないか、なんて自分をごまかしながら、いつか本当に倒れてしまうまで受診しなかったのではないか、と思うのです(ある意味倒れてるんだけど)。
未だに精神疾患については偏見や理解を求めるのが難しい世の中で、自分が躊躇なく迷いもせずに受診を決意できたのは、間違いなく妹のおかげです。
元々、我慢強く育てられたこと、あまり人に自分の悩みを相談することができなかった、そんな私は病院を受診するその日まで、誰にも打ち明けること無く『いつかこの日が来る』という覚悟を決めていたのです。
仕事を辞めようか迷ってた時は、相談に乗ってもらったりもしていたのですが(ネット上で)、圧倒的『辞めた方がいい』意見が多かったけど、辞められなかった私なのです。


診断が付くことの不安と安心感
心の糸がプツリと切れた割りに、自分でも驚く程の早さで病院を予約できたのは自分の中の懸念では無く、決定的にして安心感を得たかったんだと思います。
『あなたは鬱状態にありますよ』と言われて、「ああ、自分が調子がずっと悪かったのはやっぱり鬱のせいだったんだ」って思いたかったんだと思います。『自分が悪い』って思うのが怖かったんです。単純に私のできが悪いだけだったらどうしようって、ずっと不安だったんです。
その反面、本当に鬱だって言われても「本当に鬱なのかな…?」って疑ってしまいそうな自分もいました。だから、問診だけではなく血液検査や、光トポグラフィー検査ができる病院を選びました。検査結果でも認識することで、自分を納得させる為でした。
その為、自分が『鬱状態である』という診断をされた時は、安心…というか、ストンと胸の中に着地させることができました。

双極人としての私

自分はそんな経緯を経て、結果的に双極Ⅱ型の人として生きています。
仕事の経過は退職するまでを纏めて、近日公開できたら、と思っています。
そんなわけで、ガチマジ無職でただの普通の変態で双極の人というのが今の私の自己紹介のセオリーで肩書き?です(笑)
鬱から双極に診断が変わった時は「あー、ですよねー」としか思えなかったし、軽躁状態がうまい具合に重なったので仕事の山を乗り越えたことができたと思っているので、その辺りは特に何も感じていません。
ただ『双極性障害』という病気を知っていたら、もっと違う対応ができたのかもしれない、そう思って私は今ツイッターやこういったSNSで『双極性障害について知ってもらいたい』一心で発信しています。
そして、同じように精神疾患や障害を抱えている人たちへの理解が深まることへの期待も込めています。自分1人に何ができるわけではありません。
でも、自分がツイッターで赤裸々に病気や仕事のことについて綴った時には一定の反響があったので、同じように不安を抱えている人にも需要があるかもしれない、そう思っています。

少しでも不安を軽くしてもらえたら、誰かの心の端にでも残ってくれれば。
知識として知っているだけでも、全然違います。
そして、それがいつか誰かの助けになるといい、心からそう願っています。

長々とお付き合いいただき、ありがとうございました。

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