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三船栞子と「適性」の関係を考える〜虹ヶ咲的論理とラブライブ的論理〜

はじめに—良回の先に立ち込める霧—

三船栞子がスクールアイドルになることを決めた虹ヶ咲学園2期7話は、これまでのエピソードで場面場面に登場して存在感を放ってきていた栞子が、ついに中心となってストーリーを動かした回だった。

はっきり言って神回だったと思う。三船栞子というキャラクターは、これまでの描写の積み重ねもあってその個性の輪郭はある程度見えていたが、同時に「このキャラクターはなんだろう」という妖しい霧を纏ってもいた。

第7話ではその霧がバッと取り払われ、”メインキャラクター”としての三船栞子がついに登場したのだった。
話の流れもシンプルでありながらクライマックスを盛り上げるように入念に作り込まれていたし(このような王道の回にこそ脚本家の腕が光るというものだろう)、ライブシーンも素晴らしかった。
ライブシーン後の姉との対話シーンでは目頭が熱くなった人も多いことだろう。
個人的には、このシーズンでナンバー1の回だったと思う。

だが、よくよくストーリーを振り返ってみると、同時にひとつの——新たな黒い霧が我々の行く手に立ち込めるのが見えるのだ。

あるいはそれは、単なる思い過ごしかもしれない。
しかし、一度気付いてしまった以上、考えずにはいられないのだ。
果たして、三船栞子は本当に適性原理主義を捨て去ったのだろうか、と。



"それ"は叙述トリックか?

同好会のにこやかな迫害

7話では、「スクールアイドル同好会の面々が三船栞子に対し、スクールアイドルとしての活動を促す」というのがメインのストーリーだった。
確かに、これまでのエピソードの中で三船栞子はスクールアイドルに対し、単に「肯定的感情」という言葉では表現しきれないような感情(あるいはその欠片)を見せてきた。感情が態度に現れにくい彼女のことであるから、やはりその意味は大きい。

しかしそれにしたって、同好会の勧誘方法は今までに比べいささか乱暴・強引であったように思う。姉の言葉や、今までの態度を材料として「栞子は明言こそしないが、スクールアイドルをやりたいはずだ」と推測したのだろうが、やはり先走った感が否めない。「三船栞子はスクールアイドルをやりたいはずなので、スクールアイドルをしなければ(させなければ)ならない」と、自他に対して強迫観念を持っていたかのように思えるくらいだ。
言い方は悪いが、今回の強引さに限っていえば、同好会による「善意の迫害」ともいえるだろう。

もっとも、最終的に栞子は自身の心からの決断でスクール活動を選んだわけだから問題にはならず、むしろハッピーエンドといえるような結末を迎えたわけだが。

しかし、やはり「終わりよければ全てよし」というわけにはいかない。
結果が素晴らしくても、途中で踏むべきステップを飛ばせば、どうしたってどこかに歪さが残る。そこにあるのは不健全さだ。そして禍根は将来、予期せぬ形で現れる。


三船栞子と「適性」

三船栞子を象徴する言葉がある。それは「適性」だ。三船栞子は、その言葉を場面場面で繰り返してきた。彼女にとって、適性という言葉の持つ意義は、通常の範疇を超えて大きいようだ。

本編では、ラブライブ予選で敗退して号泣している姉を見てショックを受ける、幼少時の栞子の姿が描かれる。栞子自身の述懐によると、それに際し「大好きな姉が後悔しているのは、適性のないスクールアイドルをやっていたからだ」という思いを抱き、そこから発展して「人間は自らの適性に従って生きるべきだ」という信条を持つに至ったらしい。

そして、本編では姉から「後悔していない」という言葉を聞き、同好会の面々の後押しもあったことからスクールアイドルになることを選んだ。
しかし、これで本当に栞子の「適性原理主義」は克服されたのだろうか?


人間は血肉と背骨を持つ生き物である

栞子の回想では高校3年生だった姉・三船薫子が本編時間軸で教育実習生となっていることから、回想は4年前と見積もることができる。栞子は現在高校1年生だから、当時は小学6年生だ。

その当時から、適性という言葉を胸に生きてきた。
12歳から16歳までの間に噛み締め続けてきた思想である。16歳の人間にとって、12歳以降の人生に対し、それ以前の人生なんてあってないようなものだ。
要は、人生を決定付けてきた、背骨となる思想といえる。

三船栞子が、人間が完全に論理的な生き物ならば、「姉は後悔していない」という情報が入力されたことによって、波及的に思想の全てが書き換えられることだろう。
つまり、適性に関する思想が塗り替えられると考えられる。

しかし、人間はコンピュータでもないし、完全に論理的というわけにはいかない。
思考や感情は、相互に繋がっていながらも、人間の精神の中に独立に、矛盾しつつ存在するものだ。
後悔していないという情報が入力されても、影響を与えこそすれ、今まで人生の全てだった思想を塗り替えるというのは考えにくい
たとえ、それがデフォルメされたキャラクターであっても。


三船薫子と「適性」

そもそも、三船栞子の姉に対する評価は次のようになる。

「姉は歌でもダンスでも高い実力を持ち、努力もしていた」
「しかし、適性がなかったのかラブライブでは結果を残せなかった」


一見して分かるように、この評価は不自然だ。
実力があって努力もできるのに、適性がない?
そんなことはあるのだろうか。
この場合、普通は「運が無かった」と表現されるのではないだろうか。
しかし栞子が運に執着するような素振りは見当たらない。

ともかく、この評価は三船栞子の、恐らく取り繕ったわけではない本心での評価であるから、尊重するべきだろう。

となると、薫子が負けた原因は簡単に思いつく。
それは仲間の実力不足だ。
恐らく、栞子にとってもそれはわかりきったことだったろう。栞子はきっとラブライブ予選を応援しに行っていただろうから。
ただ、言わなかった。「姉は実力はあったが、周囲の実力不足で敗退した」というのは、姉の尊厳を最も傷つける、負け惜しみの中でも最悪に属する言葉だからだ。
故に、栞子は姉自身に原因を見いださねばならなかった。
そうして苦しい思索の中で、「姉は実力はあったが、適性が無く敗退した」という不自然な評価が栞子の中に生まれたのではないだろうか。


「虹ヶ咲的論理」の敗北

さて再び「皆に背中を押された」場面に戻ろう。
ここで、やはりこれまでのストーリーが三船栞子という人物に対して正対応していないことが分かるだろう。

三船栞子は、自らに適性がないとしてスクールアイドルになることを拒んでいた。
しかし、それは本当に適性がないからではなかった。そもそも試していない以上、栞子自身にも自身の適性を見抜くことはできないはずだ。ここで鍵となったのは適性ではなく、単に「後悔」の問題だったということになる。栞子は姉の姿を見て「後悔」に対する強い恐怖感を抱いており、そしてこの回でそれが払拭されたという、そういう話だったのだ。

故に、このエピソードを通じて、栞子の中に深く根を張った「適性原理主義」というものは、全く処理されていない

もし仮に、その後のライブシーンで決定的に栞子の適性を否定するような描写や、他キャラクターの評価があれば話は別だった。しかし、栞子は完璧にやってのけたし、評価は「まだ練習が必要」としつつも、「明日からでもステージに立つよう誘われる」レベルだった。

そして、決定的なのが、ライブシーン直前の朝香果林のセリフ「好きというのも、立派な適性なんじゃない?」というものだ。
これは、虹ヶ咲的論理の放棄、あるいは敗北のシーンといえる。
虹ヶ咲の主題に従うならば、「適性なんかより、好きという気持ちが大事なんじゃない?」というセリフになるべきだった。
似て非なる前者のセリフが選択されたのは、やはり適性原理主義が栞子の中に根深く残っていて、しかもそれが取り去り難いことを、他のキャラクターたちも重々承知していたからに他ならない。

やはり、三船栞子は「適性原理主義」を捨て去ることができていない

今回のエピソードの中核には、イイ話的エピソードで覆ってしまうことで一見解決されたように見せかける、"叙述トリック"があるのではないだろうか。


「もういちど三船栞子回!」

「毒」を取り込んでしまった同好会

今回のエピソードでやたら同好会が先走った行動をしていた理由が、これで明らかとなった。彼女らは栞子の「適性原理主義」に正面から立ち向かうことを放棄し、勢いで押し切ろうという作戦を選んだのだ。そして、姉の介入という偶然的要素もあり、それは無事に達成された。

確かに一見賢いように思える。一人の人間の中に強く根付いた思想をすぐに変えてしまうことはできない。だからまずは取り込んでしまって、それからゆっくりと仲間にしていく。現実的な作戦だ。

しかし、やはりそれでは駄目なのだ。
栞子の適性原理主義は結局の所、「力の論理」が形を変えて現れたものでしか無い。今までの記事で書いてきたが、それはラブライブの論理だ。
虹ヶ咲の論理は、共存共栄の論理であり、多様性の論理だ。
この二つは決して相容れるものではない。少なくとも、衝突無くして妥協しうる性質のものではない。

同好会にとって、現状の三船栞子はやはり天敵である。
それを同好会の内側に取り込んでしまった以上、どこかで限界を迎えるのは明らかだ。


残話数を計算する

では、残りのエピソードでこの問題は解決されるのだろうか。
アニガサキ2期では、各ユニットの結成が描かれてきた。3人以上ならば2話構成というのが基本のようだ。
それに、栞子以外の二人、ランジュとミアの加入エピソードもやはり必要になる。
そして、2期はあと6話残っている。

ということを考えると、二人の加入回とR3BIRTH結成エピソードで合計4話
残りの2話のうち片方は高咲侑の回になるだろうし、最終回もそれとは別に置かれると考えられる。
R3BIRTHの結成エピソード内で処理するには、適性原理主義は少し時間を取りすぎる。それに2期はランジュの加盟が重要なテーマとなっているようだから、R3BIRTH回はランジュが中心になると考えられる。

よって劇場版は「逆襲の栞子」になるのではないだろうか、と予想する。



終わりに

ここまでクドクドと書いてきたが、栞子を無理に1話で加入させた意味をメタ的に考えれば、ランジュ加入を実現させるためと考えられる。
しかし、栞子は魅力的なキャラクターであって、中に持つエネルギーは非常に大きい。そのような「道具」として黙っているようなものではない
故に、彼女は必ず逆襲する
そしてそれは、論理と論理のぶつかり合いである。
虹ヶ咲幕府との骨肉の争いとなることは免れない。
その戦いは、アニガサキの今まで描いてきた全てが結集されたものとなるだろう。
それが楽しみでならない。


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