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娘を追いかける孤独と向き合った日々

娘は、寝返りが成功した瞬間から、自分で動きたくて泣く赤子だった。動けるようになると、静止している時間は1秒足りともなくて、かといってオモチャでも遊ばず動き回る。全く気が休まらなかった。しかし、赤子とはこんなもんだろうと思い大変だったが、そのこと自体をあまり気にはしていなかった。

夫の転勤で、娘が1歳になってすぐ他県へ引っ越した。当然年度途中で保育園に入れる訳もなく、私は育休を延長し、保育園を待った。

毎日娘と二人きり、公園を開拓したり、支援センターに行ったりした。私はそこで、まわりの乳幼児と娘がかけ離れていることに愕然とした。公園では親のまわりをとてとて穏やかに歩く子が目についた。石や葉をいつまでもいじる子が目をうばった。娘は何時間も私を振り返ることなく、歩き回り、土を口に入れ、走って逃げていた。

支援センターのこども広場は建物の3階にあり、廊下をはさんで遊具がある広間とオモチャがある小部屋に分かれていた。ママさん達はオモチャに夢中になるこどもを座って眺め、優雅に楽しくおしゃべりをしていた。優雅ではなかったのかもしれない。でも私には別世界の住人としか思えなかった。私はというと、息をきらせながら、建物の1階から3階にまでを3時間丸々、延々と行ったり来たりしていた。娘がオモチャに触り止まるのは、どんなに長くても5分もなかった。「ママ友作ったらいいじゃん」と軽く他人は言ったが、隣に座って、「かわいいですね!何歳ですか?あ、うちは、あ、すみません」で終了である。元々、ガンガン友達作れるタイプではない上に、会話がここで終わりで、どうやって連絡先を聞くのだ。知り合いもおらず、娘も発語もほとんどなく、このレベルの会話ですら、今日は他人としゃべったなーと感動すらした。

ある日、トイレに行っているママさんの6ヶ月くらいの子をセンターの方がみていた。その子は、その間、ずっと、目の前のオモチャをゆるやかにいじっていて、全く動かなかった。私は同じ生き物なんだろうかと思った。センターの方に聞いたら、この子はかなりおっとりだから、娘ちゃんはかなり活発タイプだからと言われた。愕然とした。最低な言い方をすれば、なんて世の中は不公平なんだろうとさえ思った。

1歳半の検診を経て、発語がほぼ0も手伝い、療育の広場にも誘いを受けて行くようになった。活発だから活発だから元気が1番!興味があるんだ、でも、どこに行っても娘みたいな子は見かけず、私は娘を追いかけていつも1人だった。親子が集まる小さな施設にも行った。テーブルを囲みお昼をみんなで和気あいあいと食べる中、外に行きたいとギャン泣きの娘を抱きしめ、年配の方の「母乳じゃないの。おっぱいあれば泣き止むのにね」という悪意0の慰めのような言葉から逃げるように娘を連れて外に出た。他の子がいればいるほど私は孤独だった。母からの私が甘やかしているからの言葉に笑っていられたのは、Twitterでの「言うこときく子は最初からそういう子だから」を呪文みたいに唱えていたからだった。

4月になり、保育園に入園が決まった。みるみる娘はしゃべるようになり、私の不安は多少和らいだ。が、親子遠足では、親子で体を使った遊びをしようという時間、娘は広い海浜公園に興奮し、全てを無視して走り去った。周りが夫婦で参加し、笑顔で触れあっているのに、娘だけが逃げ去り、連れ戻しギャン泣きの娘を押さえつけて耐えた。その日は複数の保育園や幼稚園が遠足に来ていた。何百人も園児がいて、その中で親子体操からギャン泣きで逃げるのは娘だけなのだ。何百人もいるのに、こんなにいるのに、理不尽に泣いているのは私らだけなのだ。お昼も、座らず、輝くお弁当をシートの上に広げた家族を横目に娘をひたすら1人で追いかけた。年長さんが娘を草すべりに乗せてくれたのだけが嬉しかった。帰り着いて私は号泣した。

さて、梅雨になり保育参観がやってきた。やはり私は1人で参加し、せまい教室の親子体操で全く同じことになり、私は涙が出た。歩き回る子はいくらでもいる、でも娘のは明らかに度をこしていた。家族でみんな微笑みながら楽しくお遊戯する中、私はギャン泣きする娘をひたすらに押さえつけているのだ、ひとりきりで。離したら、どこかに行ってしまう。帰ってから涙が止まらなかった。私らはイベントには参加しない方が良いのだろうかと思った。流石に私が思い詰めているので、夫が次からは一緒に行くと約束してくれた。

保育参観から数日後、お迎えの時に声をかけられた。主任の先生だった。「お母さんひとりで育児してない?」と、してるともしてないとも言えず「大丈夫です」としぼりだすと、「日頃保育園ではちゃんと出来てます。大丈夫、お母さんが一緒だと甘えてしまうんですよ。」と。涙が出た。もちろん、じっとしていられないことは多かったが、先生方は気にして、娘には話をし、じっとしていられなくなったら、広い場所で走らせたりしてくれていた。私は初めてひとりじゃないんだと思った。療育の広場の方も保育園を巡回し、娘の様子を聞いて伝えてくれた。娘にとって簡単すぎる作業の説明は聞いてないこともわかったし、お外に行く注意事項のお話中に歩き回り、いざ帽子をもらう時になると、サッと列に並んでおり、残されてお説教された話は笑ってしまった。本当に現金でしょうがない娘である。

娘は、3月生まれですぐ泣いちゃう男の子とペアだった。発語もゆっくりな彼を優しくフォローし、外出時や団体行動時も手を引きリードしているらしく、頼りになると言われた。奔放な娘が唯一しっかりする時は誰かのためなのだ。園の玄関でその子のママさんにお礼を言われた。娘が隣にいないと泣いちゃうくらいにお世話になっていると…お礼を言いたいのは寧ろ私の方だったが、上手く言葉にならなかった。そんな組み合わせを考えてくれた先生方にも感謝だった。今日、夕飯を食べながら娘が「○○ちゃんとお別れだったんだ」と言ったので、「え?お別れなの?」とびっくりすると、「あ、違う、そうじゃなくて、ペアが変わるの」と。少しさみしいけれど、足りないところを埋めあった2人がお互いに手を放す時がきたのだろうと思うとまた涙が出た。

その後も、全く外食は出来ないし(レストランの外に逃げるので交代で食べて追いかける)、保育参観で親子で先生のお話を座って聞いている最中に、走って教室から出ていく娘、追いかける夫、残るひとりの私としゃべり続ける先生とドン引きの保護者、親子遠足で親子で円になって先生の話を聞いているのに、遥か彼方に逃げ去り、豆粒サイズで夫に肩車をされる娘を遠目に残される私。まあ幾分かましになったような、なってないような娘だし、相変わらずママ友はいないし、娘は私がいない時だけいい子なようで、絵本の時間に、男の子と戦いごっこでふざけてロッカーで頭を切ったりの毎日である。保育園ではお片付けで頼りになるらしいが、家では自分のオモチャを「え~お母さんが片付けて?」と言ってくる。でも、あの孤独に押し潰されそうだった日の私には、娘がお皿を率先して洗ってくれて、上を向けて水切りに置いていたので「下を向けて置くと乾きやすいんだよ」とアドバイスすると、仮面ライダーに出てくるアンドロイド秘書の女の子の真似で「承知いたしました。お母様」って返す日が来るなんて夢にも思わないだろうなと笑いながら思う。朝のギリギリ時間に靴下を履いてくれと頼む時ではなく、スポンジで洗ったら、ゆすいでくれると、私は尚嬉しいかな。

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