明日って
何げに見ていた動画から流れてきた
A「10億円、今すぐ欲しい?」
B「うん!」
A「その代わり、明日までの命」
B「じゃあ、いらない」
そう、そうなんだよな
ってことは、明日の命の価値は10億より尊いってことだ
つい、金を欲しがる。莫大な金をどうすれば手に入れられるか
でも、私も、きっとそう。今、10億もらっても、明日死ぬとしたら
夏休みで生活リズムがダラけて、家は散らかり放題になりそうだし、各部屋のエアコンも気になる。
ご飯の支度もそうだし、買い物の度の出費もすごい
ジュース買ってきて、アイス食べたい、お菓子どこー?
あー!うるさーい!
でも、これが私には金には変えられない居場所であり幸せなんだ、と
慌しい日常に追われ、つい見失いがちになる
金があれば問題の9割は解決できると言うのも事実だ
でも、そこばかり見ていたら卑屈になるよなぁ
なんで、金という道具に私は振り回されるんだろう
少し前までは、そこまで思わなかったのに
環境や付き合う人に感化されやすいな
追われる暮らしをしているわけでもないのに、すごく執着している気がする
ちょっとアタマを冷やそう
いつからか? 何がそういう思考にさせるのか?
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