【ライド】多摩川スピードウェイの遺構を見に行く
ネットにこんな記事が。
『多摩サイ中流~下流民』の自転車乗りの方々であればおなじみだと思いますが、多摩川右岸(神奈川県川崎市側)、丸子橋上流側にある石段。
夏場だと半裸のおじさま方が寝転んだりしてるあそこです。
この石段はかつてここにあった『多摩川スピードウェイ』という日本初の常設サーキットの観客席だった場所です。
半裸で寝転んでる場所は実は歴史的価値のある場所なのです(笑)
この石段が多摩川の堤防工事で取り壊される危機にあるというので、改めて眺めに行くことに。
来ました。例の観客席跡です。
「来ました。」と言っても、しょっちゅう通っている場所ですが。
ここで立ち止まるのは久しぶり。
改めて見ると長いですね。
一定間隔おきに小さな穴が空いていて石で埋められてるのですが、これは観客席を組むために角材を挿す場所として使われていたみたいです。
数年前に記念プレートが埋められたらしいです。
初めて見ました。しょっちゅう通ってるのに。
観客席上段からの眺め。
楕円形のコースがあった場所は今は野球場になっています。
今の風景から当時のコースの名残を見つけることは難しいですが、野球場のネットが張られている隙間が最終コーナ辺りだったのかなぁ。
※訂正:写真左の球場の内野辺りが最終コーナだった場所に近いようです。
ちなみに、このサーキットのこけら落としのレースとなった「第一回全日本自動車競走大会」では、後に本田技研工業(ホンダ)を創業する"本田宗一郎"氏が弟の"弁二朗"氏と自ら制作した車で出走したそうです。結果はメタメタに速かったものの大クラッシュを喫してしまったそうな。1936年のこと。
"多摩川スピードウェイ"が無かったらホンダのF1活動も無かったかもしれない。
サーキットというと"鈴鹿"とか"富士"が歴史もあって有名ですが、"日本初の常設サーキット"が多摩川の河川敷にあったなんて驚きですよね。
で、果たしてこの遺構は取り壊されてしまうのか、生き残ることができるのか。
モタスポファンとしては残してほしいと思いつつも、災害対策として整備することも大事なので複雑な心境です。