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パニック障害が寛解していた頃

パニック障害が寛解していた時期が二度あった。
どうして寛解していたのだろう?と考える。
あの頃には、生活を共にする、信頼できるパートナーがいた。

パートナーと言っても、恋人ってわけじゃない。
友達・・・というのもちょっと違う。
一緒に行動を共にして、一緒に食事に行く。
いわば、準家族のような存在だ。
一度目は同じ寮、同じ大学に住んでいる学生たちだったし、二度目はルームメイトがそれだった。

自分が特に何もしなくても、自分の近くにいてくれる。
仮に発作が出てしまっても、彼らが自分から離れていくことはない。
そう、自然に思えたからこそ、パニック障害の症状も、緩和されていたのだろうか。

とはいえ、母親と外食に行っても、発作が出てしまうことがある。
それは、家から出て独立したいという気持ちが強いからなのかもしれない。
だから、「準家族」のような存在でないとダメなのだ。それを求めているから。元からいる家族では、不十分なのだろう。
本物の家族でも、元々家族ではない相手と、妻と一緒であれば、大丈夫なのかな?むしろ、大丈夫な相手だからこそ、結婚したいと思うのかもしれない。

パニック障害になって唯一良かったことは、自分が求めているものをはっきりと認識させられることだ。
パートナーがいると症状が軽くなるのは、パートナーを求めているから。
本当は、一人でもっと自由に行動できたら、乗り物に乗ったり外食をする時に、他人には必要のない勇気を出さなくても良くなったら、そう願うのだけれど・・・

行きたいところに行き、会いたい人に会い、食べたい物を食べる。

気軽に外食を楽しめる日がもう一度来ることを、ただ神に祈るしかない。

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